こんな政府与党が有事法制を手にしたら大変
今度は「徴兵制は合憲」発言
「非核三原則見直し」「核使用合憲」に続いて、
有事法制立案にも関与した自民党政調副会長・新国防族の
石破茂議員が「兵役の義務」に踏み込む



■もうたくさん!!こんな政権は倒す以外にはない。
 国会は、防衛庁リスト隠蔽問題で空転し、野党は審議拒否を続けています。当然のことです。女性スキャンダルで気が気でない山崎幹事長は防衛庁長官に責任転嫁に逃げ切ろうと必死です。とうとう鈴木宗男議員の疑惑について東京地検は刑事責任追及を決断し逮捕許諾請求の手続きを始めるとのこと。政府与党は再び金権腐敗と政官財の汚職構造の噴出で立ち往生です。
 一方小泉首相は、「重要法案を全部通せ」と指示したまま知らんぷり。「長居に行きたい」とだだをこね、涙を流してサッカー観戦に夢中と思えばオペラや観劇三昧の日々。小泉内閣は「司令塔なし」「シナリオなき会期延長」(日経新聞6月15日)と揶揄されるほどの無責任状態にあります。
 小泉首相も自民党も行き当たりばったり、やけくその強行しか頭にありません。政府与党は6月14日には、どさくさ紛れに国民負担を強いる健保法案を衆院委員会で単独強行採決しました。政府税調は大衆増税・消費税増税と企業減税の方針を打ち出し、国民への収奪と負担だけは着々と進めています。雇用不安と生活不安は増すばかりです。
 一方で戦争準備、他方で国民負担−−末期症状の小泉政権はその本質をさらけ出しながら成り行き任せの状況なのです。これほど戦争ばかりに血道を上げ国民負担を平気で押し付ける政権、それでいて何の指導力もない奇怪な政権がこれまであったでしょうか?実際のところ解散・総選挙で国民の信を問うべきでしょう。

■廃案を勝ち取るまでは予断を許さない。
 6月13日の朝日新聞、14日の毎日新聞などは、政府与党が有事法制の今国会成立を断念したと報道しました。5月24日の政府与党による強行採決決定以降、全国各地からの、国民各層・各界からの猛烈な反発を受けて、とうとうここまで来ました。しかし政府与党はまだ廃案を決めたわけではありません。継続審議にも2つあります。衆議院を通す方法と通さない方法です。政府与党が狙う国会会期の長期延長の8月初旬までまだ40日以上もあります。まだまだ予断を許しません。
 とにかく継続審議などもってのほかです。私たちはあくまでも廃案を求めて精一杯頑張る決意です。何としても廃案を勝ち取りましょう。

■自民党政調副会長・新防衛族の石破茂議員による「徴兵制合憲」発言が新たに発覚。−−明らかに憲法に違反する「徴兵制」。
 福田官房長官、安倍官房副長官の「非核三原則見直し」「核使用合憲」「ICBM合憲」発言、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)ミサイル先制攻撃発言などに続いて、今度は自民党の石破議員による「徴兵制は憲法に違反しない」という驚くべき発言が飛び出しました。
 これも福田・安倍発言と同様、『サンデー毎日』(6月23日号)ですっぱ抜かれたものです。(実はその前に『週間金曜日』5月31日号のコラムで暴露されたものですが)発言の場は政府与党が改憲を狙い目にして設置を強行した「憲法調査会」。それも5月23日に行われた「基本的人権の保障に関する調査小委員会」という「基本的人権」を論議する場なのです。
 改憲論者が基本的人権をどのように考え、どのようにしようとしているのかが一目瞭然に分かります。衆議院の「会議日誌」から彼の主張を聞くことにしましょう。
「1.人権の由来としての『自然権』という考え方が強調されすぎると、『権利は神聖不可侵なものである』と考えられがちだが、このような考え方はおかしいと思う。『自然権』という考え方に否定的な立場である参考人は、これについて、どう思うか。
2.日本が危機に瀕した際に、国民の権利を保障してくれるのは日本国政府しかない。このような観点から、有事法制においても、輸送や医療等の従事命令違反に対して罰則を科すべきであり、適正な法手続の下に国民の権利が制限されることは、国民が権利を享受するためにも必要であると考えるが、いかがか。
3.日本においては、徴兵制は意に反した奴隷的苦役であるとして憲法違反であるとの意見がある。しかし、国を守ることが奴隷的苦役であるような国ならば、国家に値しないと考えるが、いかがか。」
 ざっとこの通り。彼は、最初から最後まで戦争遂行のために基本的人権を制限し抑制せよと声高に主張しているのです。結論を先に申し上げますが、政府自身が明確に「徴兵制は憲法違反」と答弁しています。1980年の政府・内閣法制局の答弁書に明らかであり、現在防衛庁のHPに資料が掲載されているのです。(【資料2】【資料3】参照)
 防衛族である石破氏がこんな初歩的なことを知らないはずはありません。ウソを付いているのです。『サンデー毎日』の記者が詰問するとあっさりと「ごめんなさい。違憲と言うことになっていますね」と答えたそうです。しかし彼は開き直って主張します。「私が言いたいのは、徴兵制と議会制度が近代市民国家の根幹だということ。・・・国民みんなが兵役に参加するという話です」と「徴兵制」肯定論を再びぶつわけです。

■石破議員は単なる一議員ではない。政調副会長という自民党要職にあり「新防衛族」の若手タカ派のリーダーの一人。
 彼はかつて防衛庁副長官を務め、自民党の「新防衛族」議員の若手のホープであり、政調副会長として、今回の有事法制関連3法案の立案にも深く関わった人物です。一議員の不規則発言として放置すべきではありません。自民党国防族と同党若手タカ派こそが、米軍や自衛隊の意を受けて有事法制立案を主導し、法案強行採決の先頭に立ち、更には法案成立後の様々な政令や省令などでその具体化を推進する重要な“司令塔”だからです。
 山崎幹事長が「国防族」の大ボスであることは知られていますが、石破氏のような若手はめったに人前に出てきません。彼ら国防族は、永田町の狭い世界で好き放題に法案や政策を立案し、密かに裏側で動き回り戦争準備を着々と進めているのです。彼らの思惑通り、5月24日に有事法制が強行採決されていたら、と思うだけでゾッとします。
 だからこそ石破議員のように公然と徴兵制を肯定するような連中の発言を、出てきたその時点ですぐに叩かねばならないのです。福田官房長官や安倍副官房副長官のような核武装問題をめぐるぶっそうな発言を、あったときすかさず反撃しなければならないのと同じように、徴兵制という重大問題についても、すかさず非難を集中しなければなりません。

■すでに有事法制に「国防の義務」が盛り込まれている。「国民保護法制」で更に具体化される危険。
 もう一つ私たちが危機感を持つ理由があります。それはすでに有事法制そのもので事実上「国防の義務」が盛り込まれていることです。「武力攻撃事態法」第8条(国民の協力)の条項にはこう書かれています。「国民は、国及び国民の安全を確保することの重要性にかんがみ、指定行政機関、地方公共団体又は指定公共機関が対処措置を実施する際は、必要な協力をするよう努めるものとする」というものです。穏和な官僚用語に見えますが、「ものとする」という言い回しは、強制であり義務なのです。
 この条項を受けて今後法案成立後に2年間かけて成立させるという「国民保護法制」なる法律の中身に、「国防義務」が、これでもかこれでもかと詳細に規定されるのです。なぜ政府与党は「国民保護法制」を先に審議しないのか?その理由は、あまりにも露骨な戦争協力を強いるために、国民の反発を恐れているからです。おそらく石破議員は、「国民保護法制」立案に積極的に加わるはずです。
 問題になった5月23日の憲法調査会の議論をもう少し見てみましょう。同委員会は参考人である日本政策研究センター所長伊藤哲夫氏が基調報告を述べ、これに石破委員らが質問する形で審議が進みました。この伊藤氏がとんでもないバリバリの右翼改憲論者なのです。その肩書きは「日本会議常任理事」「教科書改善連絡協議会運営委員長」。あの「つくる会」教科書の応援団です。
 伊藤氏は「国民の義務」についてこう言います。「『国民の義務』なくして国家の成立はあり得ないため、憲法には義務に関する規定が必要と考える。自らの国を自ら守ることは民主主義の基本原則であるため、憲法に『国防の義務』を規定すべきである。この『国防の義務』は、『兵役の義務』とは区別されるものである。」と。
 それにたたみかけるように石破議員が、伊藤氏の言う「国防の義務」では足りない、「兵役の義務」(徴兵制)まで進めなければならない、そもそも「徴兵制は違憲ではない」と発言し言外に憲法に書き込むことができると言ったのです。(【資料1】参照)

■「公共の福祉」とは「戦争と国防」か?−−有事法制とは「基本的人権」剥奪法。「公共の福祉」を理由にあらゆる権利を剥奪し戦争協力を強制する。
 有事法制は、アメリカの侵略戦争に加担・協力するものであると同時に、国内治安弾圧法でもあります。保守反動層・改憲論者は、現行憲法の平和主義原則に憎悪を持っていると同時に、民主的原則、つまり基本的人権の原則にも異常なほど憎しみを持っています。日本は人権を認めすぎてきた、やたら人権を振りかざすというわけです。
 「武力攻撃事態法案」第3条4項には、確かに「武力攻撃事態への対処においては、日本国憲法の保障する国民の自由と権利が尊重されなければならず」と書いてありますが、これはあくまでも枕詞です。これに続いてすぐ後に「これに制限が加えられる場合は」として、「国民の自由と権利」を種類、範囲の指定なくすべてに「制限」がありうるとするのです。典型的な官僚のごまかし方です。
 実際衆院有事法制特別委員会で、「何を制限するのか」を追及された福田官房長官は「今後個別具体的に規定する」と、ふざけた答弁を繰り返しました。結局、今後の「法制」にすべてを白紙委任しなさいと言うのです。さらに福田長官は答弁の中で、戦争反対の「集会や報道の自由は確保されているが、あくまで公共の福祉に反しない限りだ」と述べたのです。この「公共の福祉」こそ、現行憲法の基本的人権を切り縮め、奪い取るキー・ワードなのです。
 石破議員は言います。今回の有事法制では「保管命令」に反すると罰則がかかる。しかしそれ以外の「従事命令」に反した者には罰則がない。これはおかしい。国民を恐れては何もできない。国防を義務化せよ。戦争協力は国民の義務である。これに反する者には皆罰則を課すべきだ。等々。−−私たちには、国民はバカだ、勝手だ。罰則で締め上げて強制的に「国防の義務」を負わせなければ何もしない、と主張しているとしか思えません。もしそうならまるでファシストの論理です。
 伊藤氏も言います。「公共の福祉という考え方の中に国家の安全ということを入れると同時に、やはり国民の義務として、国防の義務というものはあってしかるべきだと私は考えている。」と。

■国民をただ黙って侵略戦争に従う奴隷的存在としか考えない自民党指導者、国防族、有事法制立案者たち。
 こんな露骨な発言をして苛立ちを隠さないのは、アメリカのようにアフガニスタンやイラクや北朝鮮に対して戦争を仕掛けようにもなかなか好戦的にならない日本の国民に腹を立てているからです。戦前・戦中の日本の「臣民」のように、「15年戦争に協力した忠良の民」のように、アメリカの侵略戦争に全面的に付き従う小泉政権と自民党に黙って従うよう迫っているのです。言うことを聞かねば「国防の義務」を課すぞ。さもなくば「兵役の義務」を課すぞ。−−もちろん彼らの「国防」とは侵略戦争(“自衛を口実にした侵略戦争”と言い換えても構いません。同じことです)のことです。
 このような発言をするのは、彼らが軍事と戦争と支配者の論理からしか国民を捉えていない証拠です。人格も何もない支配と管理と操作の対象、ただ自民党のエリート政治家や政府官僚に黙って従うだけの奴隷的存在としか見ていないのです。その意味では有事法制の底流にあるのは、国民蔑視、人間蔑視の独裁者の論理です。今の小泉政権とその与党政治と自衛隊を牛耳るのはそういう連中なのです。
 私たちは「国民保護法制」などはウソで、その実態は国民全体を戦争に動員するために国民に様々な義務を課す「国民義務法制」と捉えています。沖縄戦の悲劇と教訓が示しているように、これまでも日本政府と日本軍は天皇と皇軍を守り抜くために国民を犠牲にしたことはあっても、守り抜いたことはありません。もしかすると有事法制の本当の恐ろしさは、このような「国防の義務」や「兵役の義務」を説いてはばからない独裁者のような連中が政治の実権を握ることなのかも知れません。


2002年6月15日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




【資料1】衆議院憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会議録(衆議院HPより)

石破小委員 きょうはありがとうございました。
 私は、先生のお説は九九%ぐらい賛成なので、なぜ議論をしなきゃいかぬかなというふうにお思いかもしれませんが、お許しをいただいて、幾つか確認をさせていただきたいと思います。
 自然権という言葉は実に怪しげな言葉で、こういう言い方はいかぬのかもしれませんが、文明も何にもない未開の地があって、そこに人々が住んでいたとして、そこに権利はあるかというと多分ないんですよね。そうすると、自然権という言葉を振り回すのは、議論としてはえらくおかしいんじゃないかと思うんですが、ただ、私どもの法律の議論の中でも、例えばPKOが外国に出てどういうときに武器が使えるかといいますと、自己保存の自然権的な権利として武器が使用できると。自己保存のための自然権的な権利の発動としての武器の使用ができる、こういう言い方をしているんですね。変な話だと思うんですが、余りに議論が錯綜しますので、私も、最後は、どういうときに武器が使えますかと言われますと、正当防衛、緊急避難、自己保存、自然権なんて、そういうおまじないみたいなものを唱えざるを得ない。それで今までずっと来たわけですよ。
 ですけれども、私、ここ、自然権という言葉を入れるんじゃなくて、もっとはっきり言っちゃうと人間の本能みたいなものじゃないの、本質は人間の本能なんだろう、私はこういうふうに思っているのです。それを自然権という言葉を振り回すことによって、あたかも神聖不可侵の権利であるような物事の考え方というのは往々にして間違いを生じやすいだろうというふうに思っておりますが、一点、御見解を承りたいと思います。
 それから二点目は、有事法制の議論をしていますと、例えば業務従事命令、安全なところ、二項地域において、自衛隊が活動していない地域、後方支援地域みたいなところで、例えば輸送であるとか医療であるとか建築であるとか、こういうものを運んでくださいよ、こういうものを建ててくださいよ、こういう人たちをお医者さん、診てあげてくださいよという従事命令を都道府県知事がかけるわけですね。それに従わなくても罰則がない、こういうお話になっているのです。それも自発的なものに期待するんだから罰則はないんだよというお話なんですね。
 ところが、保管命令に反すると罰則がかかる。これの整合ある議論がどうしてもできないんですね。それは恐らく、推測するに、従事命令に反した者には罰則だ、こういうふうになりますと世論の反発を受けるに違いないということのはずなのですが、二項地域というのは安全な地域なんですよね、自衛隊が活動していないところですから。そこで輸送とか医療とかそういうものに従事してください、嫌だ、おれはやらない、それによってより多くの犠牲が出るということはあり得るわけであって、自発的なものに確かに私も期待をしたいが、しかし、その行政目的が達せられないということが一番困るわけで、そうであればこれは罰則をかけないとどうもぐあいが悪いんじゃないか。
 そうしますと、また国家によってどうだらこうだらみたいな話になるんですが、先生のお説の中で、私は本当にそうだなと思いますのは、国民の権利を守ってくれるのは、攻めてくる外国は絶対に守ってくれない。某国が守ってくれるとは私は思っていない。守ってくれるのは我々がつくった日本国政府であって、その日本国が危殆に瀕したときに、一日も早くもとの状態に復するために、きちんとした法的な手続のもとに権利が制限をされるというのは、むしろ我々が権利を享受するためにこそ必要なものではないかというふうに思っているわけであります。そのことについて御見解があれば承りたいと思います。
 それから、最後に、徴兵制についてですが、徴兵制をとるかとらないかはその国の政策判断だと私は思っています。フランスが徴兵制をやめました。私は、結構あれは驚きを持って観じまして、去年フランスに行ったときも、ことしフランスに行ったときも、どうしてということは随分聞いたのですが、結局のところは、徴兵制にしているとコストがかかって仕方がない、非常にコストがかかる。もう一つは、徴兵で集めた兵隊さんというのは、玉石混交というのか何というのか、とにかくプロ集団じゃないので、フランスも財政が厳しい、そうするとプロ集団でやった方が役に立つ。
 ただ、フランスとしては、結局、近代市民社会を支えているのは国民皆兵という思想と、それから財政民主主義というものだと思っているのですよ。我々の民主主義国家というのは、国民みんなが守るんだということと、王様が税金を集めるのではなくて、政府が集め、それをどう使うかということは議会が決める、これが柱だったと私は思っているのですが、その徴兵制をフランスがやめるということもかなりショックなことではあった。でも、それは政策選択なのだと思うのです。
 それで、日本の国において、徴兵制は憲法違反だと言ってはばからない人がいますが、そんな議論は世界じゅうどこにもないのだろうと私は思っています。徴兵制をとるとらないは別として、徴兵制は憲法違反、なぜですかと聞くと、意に反した奴隷的苦役だからだと。国を守ることが意に反した奴隷的な苦役だというような国は、私は、国家の名に値をしないのだろうと思っています。少なくとも、日本以外のどの国に行っても、社会体制がどんなに違ったとしても、そのようなことは、あなた、本当に何を考えているんですか、そういう反応になるのだろうと思っています。徴兵制が憲法違反であるということには、私は、意に反した奴隷的な苦役だとは思いませんので、そのような議論にはどうしても賛成しかねるというふうに思っておりますが、御見解を承れれば幸いです。
島小委員長 伊藤参考人、恐れ入りますが、石破小委員の持ち時間があと三分でございますので、よろしくお願いを申し上げます。
伊藤参考人 まず、自然権というものはどうだということですが、ロックは、これはやはりキリスト教神学を前提に出発しているんですね。ですから、自然状態というのは神様の摂理が通っている世界なんですね。だけれども、そんなものから出発して自然権なんて導き出されたのでは、少なくとも日本ではそういう議論は通用しない。それから、そうしていながら、じゃ神に対する義務ということをロックは説いているかというと、説いていないのですね。そこら辺がちょっとロックの議論も徹底性を欠いているんですね。
 そういう問題があって、おっしゃるように、権利というものの原点にあるのは、ある意味では本能だろうと思うんです。よき本能もあればあしき本能もあるだろうと。そこを腑分けして、これだけは欠かせてはならないということで、ある意味で聖域にしましょうというのが歴史の中でつくられていった権利の観念だ、そういうふうに把握した方がいいと私は思っている。ですから、当然、そういうものでありますから、相対的であって限界もあるということです。
 それから二番目の、有事の場合における権利の制限でございますけれども、やはり、まず何といっても、日本の今の公共の福祉の解釈の中に、国家の安全という要素が入っていないんじゃないかと思うんです。
 私は、今の憲法の規定でも、公共の福祉の中に国家の安全という観念が入っているんだと解釈すれば、かなりの有事立法をつくれると思うんです。ところが、これは私は世界標準だと思っているんですけれども、どうもないような議論をしているところに、どうしてもそこら辺のつじつまの合わない有事法制が出てきているんじゃないのかなという感じがします、ちょっと素人的な考え方ですが。
 それから、徴兵制に関する考え方は、先生おっしゃるとおりで、あれはまさにフランス革命の精神なんですね。ですから、徴兵制を否定するということは、フランス革命の精神を否定したということなんです。ですから、フランス人にとって非常にショックが大きかったとも思うんですけれども、逆に言うと、現代の状況から来る計算というものに合わないということが言えるわけであって。
 ですから、国防の義務と兵役の義務は違うので、私があくまでも主張しているのは国防の義務ですよというのは、そういうときに、ただ主体的な、自発的な協力ということだけでは解けない大変な問題が起こる。もちろん、そんな問題は起きないのが一番です。けれども、起きた場合は、やはり、ただ公共の福祉だけでも済まないだろう、もっと積極的に協力してもらわなくてはならぬ場合もあるだろう。そういう意味では、公共の福祉という考え方の中に国家の安全ということを入れると同時に、やはり国民の義務として、国防の義務というものはあってしかるべきだと私は考えている。
 そう言うと、とにかくこれは危険なことを言ったと鬼の首とったみたいに言われるんですけれども、でも、そうじゃないんじゃないですか、もうそういう議論はやめて、もっと現実を見詰めようじゃありませんかと私はあえて言いたいということでございます。
石破小委員 ありがとうございました。終わります。
  http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kenpou.htm




【資料2】「徴兵制度」1980.8.15 衆議院稲葉誠一議員質問主意書に対する答弁書(防衛庁HPより)

 一般に、徴兵制度とは、国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度であって、軍隊を常設し、これに要する兵員を毎年徴集し、一定期間訓練して、新陳交代させ、戦時編制の要員として備えるものをいうと理解している。
 このような徴兵制度は、我が憲法の秩序の下では、社会の構成員が社会生活を営むについて、公共の福祉に照らし当然に負担すべきものとして社会的に認められるようなものでないのに、兵役といわれる役務の提供を義務として課せられるという点にその本質があり、平時であると有事であるとを問わず、憲法第13条、第18条などの規定の趣旨からみて、許容されるものではないと考える。
  http://www.jda.go.jp/j/defense/policy/kenpou/nenpyo.htm




【資料3】日本国憲法
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

〔奴隷的拘束及び苦役の禁止〕
第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。