イラク現地レポート 2003/6/12-6/19

 私たちの署名運動の協力者でもある細井明美さん(NPO団体理事)が、以下の日程でイラクに現地調査に行って来られました。イラクの実態を皆さんに知ってもらいたいとのこと、快く私たちのHPへの掲載を了解していただきました。

 以下は細井さんの現地レポートです。


     6/8ー9 成田ーアンマン
     6/11−12 アンマンーバクダッド
     6/13 バクダッド
     6/14 ツワイサ
     6/15 ドーラ
     6/16 バクダッド
     6/17 ドーラ
     6/18 バクダッド
     6/19 バクダッドーアンマン
     6/20 アンマン
     6/21−22 アンマンー成田

 クラスター爆弾は探そうと思えばあちこちに転がっているようです。ただ情報を誰もが持っているというわけではありません。破片をもらってきましたが、それは家族をクラスター爆弾で亡くした人が持っていたものです。ただ、ドーラでは4/7に350人が空爆で亡くなり、その時にクラスター爆弾の集中攻撃を受けているのです。

署名事務局の皆様。他のMLに流した文章ですが、レポートとしてお送りします。イラクの状況を見たとき、国会でなされている議論がいかに危険で、戦争にのめりこんでいく結果になるかということがわかっていただけると思います。

 
クラスター爆弾(3週間前に爆撃された家の門と破片)


6月11日の深夜12時にアンマンを出発。バクダッドに着いたのは次の日の夕方6 時。到着まで18時間かかりました。
向こうではずっとアルジャジーラ(TV)を見ていました。パレスチナ問題を中心に政治問題を真っ向から取り上げていて非常に興味深いTV局です(ご存知のように今回のイラク戦争でもアルジャジーラはミサイルを打ち込まれ記者が亡くなっています)。アメリカの歴史をコロンブスから始めてベトナム戦争まで一貫して放映していましたが、このようなTV局が存在することが非常に羨ましく思われました。

イラクでは毎日銃声を聞きました。6月13日もイラク内4ヶ所で武装蜂起があり米兵も死んでいます。戦車は街角のあちこちにおり、道路をすごい勢いで走っていきます。
6月中に武器を捨てるようにアメリカ軍は各家を一軒一軒5〜6人でまわってガン・チェックを行なっています。とは云ってもマジメに捨てる人などいないようで、イラ クで米軍に抵抗している人たちの武器はミサイル以外なんでもあるそうです(イラク軍の倉庫から略奪)。それらを総動員して闘っています。ガイドをしてくれた人も銃を持っているとのこと。ヤミ市では銃を50ドルで売っています。

 表面は「アメリカ万歳」ですが、米兵が背を向けたとたんに冷たい視線で彼らをにらみます。私はこの視線に気づいた時少々傷つきました。アメリカのしたことは罪深いことですが、一人ひとりの米兵は本当に気の良い若者です。
  私はアメリカの味方をするわけではありませんが、現在のアメリカ兵それぞれがいろいろな理由で志願したことを考えたとき(市民権を得るためとの情報もあります)、彼らの苦しそうな表情に同情せざるを得ません。ドーラの浄水場でもインターネット・カフェ(彼らは祖国の家族・恋人にメールをするのでしょう)でも優しい笑顔で接してくれます。病院で疲れて座りこんでいた若い米兵は18歳くらいだと思います。あまりに若く、あまりに疲れ果てているので、本当に気の毒です。45度以上の暑さの中で冬服のような軍服を着て、周囲が全部敵の中にいたら精神が異常になってもおかしくはない。アメリカ国民は自分たちの息子がこのような厳しい環境にいることを知らないのでしょう。ドーラで会った兵士は「3月からずっとイラクにいるので早く家に帰りたい」と寂しそうに云っていました。


ホテルの前にいた米軍
 それでも街中を戦車とジープで行く米兵にはゾッとします。イラク人を逮捕しているところも目撃しました。一人のイラク人が地面に腹ばいにされ両腕をしばられ銃を向けられていました。バクダッドを出る日は失業した人たち(国民の6割が国営企業にいたのでほとんどの人が無給状態です)のデモがあり、米兵に2人の市民が殺されました。

 ファルージャでは、おもちゃのピストルを向けた子どもを追いかけていった兵士が自宅に逃げ込んだ子どもとその母親を撃った事件も起きました。

  正常な判断を失うイラクの暑さです。

 ウランにも街の人はおびえています。ガイガーカウンターを持っていることに気がつくと自分の家のまわりの放射能を量ってくれと言います。
 ツワイサで、米軍が撤去し残した核物質がありました。このツワイサの被害を知っているかどうかわかりませんので概略を書くと、核開発センターに侵入した人々が核物質の入ったタンクを持って行き、Yellow Cakeといわれている核物質を放り出し、タンクを水入れに使用したという事件です。彼らは単にタンクが欲しかっただけということです。道路に放り出してあるので、私も初めて核物質を見ました。
 こんなこと信じられないでしょ?なぜ米軍は残していったのかしら。Yellow C
akeから100mくらいの距離に民家もあり学校もあり、そばで子どもたちが遊んでいました。

 ドーラでは3週間前にクラスター爆弾が落ちました。誤爆であるのかないのか不明ですが、米軍はあわてて破片を回収しに来たようです。幸い怪我人が出ませんでしたが、壁と門扉は穴だらけです。鉄の門扉などぶち抜く破壊力で、通りぬいた爆弾の破片は壁につきささりました。庭の壁も穴だらけで、これが人間に当たるのかと思うとゾッとします。私はクラスター爆弾は丸い子爆弾が爆発するものだと思っていましたが、実際は鉄のかたまりが粉々に砕け散るのだということが破片から推測できました。しかも地面に穴があいてないところを見ると、人間の高さで爆発するものであるようです。

 国会でイラク特措法が提出されようとしていますが、自衛隊が迷彩服で米兵の代わりに町に立つということは、米軍の代わりに戦争をするということです。あるイラク人は「Real War」が始まると云っていました。絶対に自衛隊のイラク支援はやめるべきです。必ず死者がでます。
Hosoi Akemi

  

  小児ガンの子どもたち

  
Yellow Cakeとその近くで遊ぶ子どもたち(本当に黄色です。そして住民はこの危険性をいまだよくわかっていません)

写真の説明:

クラスター爆弾が落ちたのはドーラです。米軍はあわてて破片を収集に来たそうです。幸いなことに誰も怪我人が出ませんでしたが門扉と壁は穴だらけです。地面に穴があいていないところを見ると子爆弾は人間の高さで爆発するようになっているようです。鉄など通りぬけてしまうから相当の破壊力です。

劣化ウランによる小児ガンの子どもたちはマンスールの病院で撮りました。女の子は白血病のようです。ガンの薬が不足しています。

Yellow Cakeはツワイサです。ツワイサの被害が世界中に報道されて米軍が撤去したはずなのに一つだけ残っていました。ここから100mもしないところに住宅があり学校もあります。地元の放射能防護センターに行きましたがIAEAのことを知りません。現地で残って活動している日本の若者たちがこのタンクの周りに赤 いテープを貼って危険を知らせる看板をたてましたがどうなっていることやら。。。

クラスター爆弾は残酷な爆弾です。4月7日の爆撃で父親と兄弟2人を亡くした少年と合いましたが、彼の両腕もクラスター爆弾で傷だらけでした。爆弾があまりに小さく数が多いので取ることが不可能な場合が多く、でもそこから膿む可能性もあります。。。日本がこの爆弾を持っていることは許しがたいことです。