[翻訳資料]
イラク:アル・カーナ病院はすべてを剥ぎ取られた
NEWS & ANALYSIS ELECTRINICIRAQ.NET 22 April 2003
Iraq: Al-Qurnah hospital stripped bare
(http://electroniciraq.net/news/699.shtml)


空爆によって負傷した少女。仮に病院の機能が麻痺していたならば、少女はどうなっていたのか!(写真 BBC NEWS)
 ようやく電気が復旧した日曜日、イラク南部のアル・カーナ市の人々は喜びに沸いた。男は路上や屋根に飛び出し、喜びを示すライフル銃を空に撃ちはなった。しかしある家族にとっては、喜びのかけらもなかった。家族の女性は、頭を打ち抜かれた。彼女は病院に運び込び込まれた。しかし彼女が亡くなるのを、医師はただ見守ることしかできなかった。病棟も、手術室も、略奪者たちによって週のはじめにすべてをはぎ取られてしまったからである。

 守衛と医師たちを押しのけ、武装した略奪者たちが病院に押し入ってきた。さらに市民30万人のための130床の施設をあさり回った。ギャングどもは戦争で負傷した患者が横たわっているベットすらも奪い去ったと婦人科のサルマ・クワディ・マッキ医師は語った。二日間にわたり、照明、電源、ワイヤ、空調設備、家具、薬、手術用具、洗面器のすべてが、見事になくなった。

 手術室の扉をこじ開けるために彼らは銃を使用した。略奪者たちが運び出せない物は破壊された。病院の各所に、二台の発電器による電気を送り届ける配電盤もそうである。水もない。トイレはふさがれ、あふれている。

 事件が起こって以来、スタッフが働いている時間帯の安全を確保するために、英軍は病院の玄関に基地を設置した。病院の主要な回廊に医師たちが集まり、起こった事態に衝撃を受け、どのように遂行すべきなのかに思いをめぐらしている。また破片を拾い集めたりしている。

 内科専門のマホメド・ナウレツ医師は、彼らは病院に通い続ける患者を見守ること以上のことはできないと語った。「ビジネスを演じているようなものです。私たちは飲み物を与え、死を待つしかできないのです」。

 ここからもっとも近い他の病院は、75km南方のイラクの主要都市バスラにある。しかし救急車は1台だけで、今なお夜間の運転には多くの危険がつきまとう。「私たちはまったく助けることもできず、人々が不必要に亡くなっているといる。これが真実なのです」とナウレツ医師は語った。廃棄したものを再利用したベット用の清掃されたシーツもない−洗濯機は破壊されてしまった。さらに食べさせることもできない−調理場からすべてが持ち去られた。「壁だけが残された。窓ガラスは割られてしまった」と彼は語った。

 病院の18人の医師と専門家の大部分は業務に戻ってくるだろうが、彼らは意気消沈し、破壊行動に対して怒っている。そして患者を助けることができないことに挫折感を抱いているとナウレツ医師は感じている。

 病院が業務を回復できるまでには、それ以上かかるかもしれないが、三週間程度の期間を要するであろうとの見通しを彼は語った。「私たちを助けて下さい。医療の面でも、財政的な面でも。そして私たち自身を。私たちはすべてを破壊されてしまったのです。私たちには、真の助けが必要なのです」とナウレツ医師は嘆願した。

 災害のニュースが広まるとともに、援助も到着し始めた。月曜日には、国連からの医療品を満載した二台の車が病院に到着した。米国の援助組織であるInternational Medical Corp.(IMC)によるものである。その数日後には、クウェート赤新月社から携帯型の水貯蔵タンクが運ばれてきた。病院のスタッフはIMC事務局に、その他に必要な物、一週間以内に必要である物品のリストを手渡したとナウレツ医師は語った。

 クウェート市からやって来た、救済と開発を担当するIMCの副代表のラビー・トーベイ氏はIRINに次のように語った。先週バスラ北部での調査期間中、アル・カーナ市の病院にかかわる問題の悲惨な状態に出くわした。その他の病院の多くが戦争を生き抜いたが、アル・カーナの病院は事実上崩壊してしまった。略奪があった期間、スタッフが苦労して医薬品を守るために、彼らの自宅で保管していたのだが。クウェートからイラクに入った最初の援助団体であったIMCは、この国に12人のスタッフを有している。

 女性たちは助けを求め、病院の裏にある彼女に家に来るようになっているとマッキー氏は語った。しかし設備もなく、帝王切開やその他の産科補助を必要とする女性たちに何もしてやれない。女性たちにしてやれることとといえば、助産婦の家庭訪問に頼ることだけである。

 月曜日、病院には5人の患者しかいなかった。その一人、75歳のムクビル・タウマさんはベットで力無く眠っていた。彼の息子であるハウワンさんが、つねに父に風を送っていた。ひどい感染症を患っており、涼しくするためのエアコンもなく、医師は何もしてやれない。起こった出来事に激怒しているとハウマンさんは言った。「狂った奴らめ。すべてを奪っていきやがって。家具からすべて。それらを売ってやがる」と彼は叫んだ。

 彼の父親は十分な治療を受けることなく死ぬかもしれない。大きな苦悩をかかえていても、現実的な選択肢はまったくない。彼はその事実を認めている。「この病院しかない。他にはないんだ。どこに行けというんだ。イラクから出て行けと言うのか」と彼はつぶやいた。

(*緊急翻訳につき、不正確な訳があるかもしれません。ご容赦ください。2003.04.24)