シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その22
ファルージャ大虐殺一周年:米軍の戦争犯罪(2)
米軍による医療破壊。告発される人道の罪
○ジュネーブ条約を真っ向から蹂躙する病院・医療機関、医療従事者への攻撃
○戦争の手段としての飢餓の使用:「イラクにおいては、食糧と水が兵器として使用されている。」



[1]はじめに−−告発される「戦争の手段としての飢餓の使用」と「医療の中立」の原則の違反。

(1) 今回の「ファルージャ大虐殺一周年:米軍の戦争犯罪」シリーズ(2)は、ファルージャで行われた戦争犯罪の中でも特に米軍の残忍性を際だたせる、病院・医療機関や医療従事者への攻撃というジュネーブ条約を真っ向から蹂躙する野蛮な戦争犯罪行為と、住民が生き延びるために不可欠である食糧や水の搬入の遮断という、許し難い人道上の罪を取り上げる。この戦争犯罪は、ファルージャ大虐殺一周年を前に、様々な形で告発された。以下で、この1年間に明らかになった事実に基づき再度その野蛮さを確認したい。
 それに加えてファルージャでは、市内への市民の封じ込め(住民の全員登録と検問)、破壊住居の放置、電気・水道・下水道などインフラの破壊、生活物資の封鎖、雇用の破壊、医療の破綻という事態が現在もまだ継続中である。ファルージャ攻撃から1年経っても市民は米軍の監視下に置かれ、感染症や種々の病気の患者が医療設備の破壊と薬の不足のために今も死んでいっている。この犯罪は現在も続いているのであって、米の責任は厳しく糾弾されねばならない。これらの惨状から回復することは緊急の課題となっている。
※以下のサイトには、これらアメリカによる戦争犯罪の記事や破壊されたイラクの町の写真などが整理されて掲載されている。http://www.brusselstribunal.org/index.htm


(2) イラク議会選挙が行われた12月15日、『イラクのための医師団』のサラム・イスマエル医師は、『ファルージャ一周年:「イラクのための医師団」は、人権侵害の独立した調査を要求する』を公表した。これは、2004年4月と11月にファルージャにいて医療活動に従事した医師たちによる「ファルージャ包囲と大虐殺」についての告発状となっている。『イラクのための医師団』は、イラクにおける健康と人権問題を監視する非政府の独立した民間の組織であり、健康・医療システムの復興・強化のために活動している。
 この告発状は、世界医師会の指針による「医療の中立(medical neutrality)」という単純な原則に立てば、病気や負傷した患者は、戦闘の中であっても無条件に手当を受けられなければならない、そして基礎的な薬や、食糧や水がそれを必要とする市民に供給されることが阻害されてはならない、と主張する。

 ファルージャでは、一昨年の4月と11月に“ファルージャの大虐殺”と呼ばれる前代未聞の人権侵害が行われた。告発状は、「医療の中立」への侵害として、「医師が、病気や負傷した人々を治療することを妨害すること」、「医療従事者や医療機関に対する軍事攻撃」、「軍事目的のために医療従事者や医療機関を利用すること」を挙げた。また、「ファルージャで使用された違法な兵器」として「化学物質とナパーム」、「クラスター爆弾」を挙げた。そして「集団的な懲罰」として、「民間人への食物および水の供給の拒否」、「無差別の逮捕・拘束」、「身分証明書、チェック・ポイントおよび住民履歴の作成」を挙げている。

 これらはたまたま起こったのではない。米軍ははじめから目的意識的に軍事作戦としてこれらの行動を行ったのである。特に攻撃の冒頭に、他の何よりも先に医療機関に対して攻撃を行い、病院が負傷者の治療を行えなくし、病院に運び込まれる市民の惨状がメディアを通じて世界に発信されないようした軍事行動は、米軍の過去の戦争犯罪の中にも例を見いだせないような残虐極まりない犯罪行為である。
 言うまでもなく医療機関を攻撃してはならないことは近代の戦争法では基本的な原則である。それは各国軍隊周知のことであり、例えば戦時であっても病院船を攻撃すれば戦争犯罪となることに明らかである。「国際人道法・1949年8月12日のジュネーヴ条約(第1〜4条約)」は一切の医療施設、医療スタッフを攻撃することを厳重に禁止している(第1条約第19条)。同時に、市民の負傷者や病人はもちろん戦闘に従事したものであっても、負傷し戦闘を離れたものの保護を規定している(第1条約第12条、第4条約第18条)。ファルージャ攻撃の際の米軍の行動がこれら国際人道法を真っ向から蹂躙する戦争犯罪行為であることは明らかである。
■第1条約
○第二章 傷者及び病者
第十二条〔保護及び看護〕 次条に掲げる軍隊の構成員及びその他の者で、傷者又は病者であるものは、すべての場合において、尊重し、且つ、保護しなければならない。
○第三章 衛生部隊及び衛生施設
第十九条〔保護〕 紛争当事国は、いかなる場合にも、衛生機関の固定施設及び移動衛生部隊を攻撃してはならず、常にこれを尊重し、且つ、保護しなければならない。それらの固定施設及び移動衛生部隊が敵国の権力内に陥った場合には、それらの施設及び部隊の要員は、抑留国がそれらの施設及び部隊の中にある傷者及び病者に必要な看護を自ら確保しない限り、自由にその任務を行うことができる。
■第4条約
第十八条〔文民病院〕 傷者、病者、虚弱者及び妊産婦を看護するために設けられる文民病院は、いかなる場合にも、攻撃してはならず、常に紛争当事国の尊重及び保護を受けるものとする


 以上のようなトータルな人権侵害の告発に基づき、イラクのための医師団は、緊急提言として以下の3点を提起した。
1、われわれは、ファルージャでの2度目の包囲を通じた、市内での不法な武器と化学物質の使用を調査するようにEUと国連に要求する。
2、われわれは、ファルージャの内部で行われた人権に対する暴力に対して国際的な調査を試みるようにEUと国連に要求する。
3、イラクのための医師団は、EUと国連が、イラク政府とアメリカの占領当局に対して圧力を加えることを要求する。すなわち、ファルージャの包囲を解除すること、チェックポイントで人々を侮辱することをやめること、そして市内で生活しているイラク市民が自由かつ安全に市を出入りすることを保証することである。


 イラクのための医師団」がここで問題にしている事実の大半は、過去のものではなく、現在も継続している。これらの提言は、単に真実の究明の要求ではなく、緊急の政治的要求でもある。ファルージャでは今でも、包囲下で人々が飢え、渇き、簡単な医療さえ受けられず、米軍に監視される不自由きわまりない生活を強いられているのである。
イラク国民議会選挙の日の、イラク政府とアメリカの占領当局を名指しした提言は、「民主化」の宣伝にも関わらず、事態は何も変わっていないことを告発している。
※「FALLUJA−ONE YEAR ON DOCTORS FOR IRAQ CALLS FOR AN INDEPENDENT INVESTIGATION INTO HUMAN RIGHTS ABUSES」http://www.doctorsforiraq.org/


(3) また、人権擁護のための20を越えるイラクの組織から成る「人権監視ネットワークMHRI(The Monitoring Network for Human Rights)」は、2005年8月 、イラクでの犯罪と持続的な人権侵害に関する報告書を作成し、国連に対して報告した。その報告では、ファルージャでの犯罪−−「戦争犯罪と人道的罪」を冒頭に、「子どもの権利の侵害」、「女性の権利」「健康状態」「拘留所や刑務所の拷問および人権侵害」など、イラク国内で起こっている人権侵害について、市民への聞き取り調査を元にトータルに明らかにしている。
※First Periodical Report of Monitoring Net of Human Rights in Iraq
Full Report (PDF) http://www.brusselstribunal.org/pdf/mhri-1-eng.pdf


(4) これらイラク国内からの報告の一方、10月15日、国連の食糧問題の特別報告者であるジーン・ツィーグラー氏は、10月27日の国連総会を前に記者会見し、有志連合軍がファルージャの包囲において、市民から水や食料を剥奪していること、補給路を寸断していることをあげ、「戦争の手段としての民間人の飢餓」の使用を禁止したジュネーブ条約に違反していると批判した(下記ジュネーブ条約追加議定書1)。ツィーグラー氏は、この軍事作戦を、反米勢力を掃討するために多数の住民を人質にするものとし、市民もろともの「兵糧責め」を厳しく断罪したのであった。
※戦争の手段としての市民の飢餓 (starvation of civilians as a method of warfare")
http://blog.zmag.org/index.php/weblog/entry/iraq9/
http://blog.zmag.org/index.php/weblog/entry/iraq12/
※国連の職員:有志連合軍が、「武器としての飢餓」を使用している(U.N. official: coalition forces using "hunger as a weapon" in Iraq) http://www.iwtnews.com/un_allegations

■ジュネーブ条約追加議定書1
第五十四条 文民たる住民の生存に不可欠な物の保護
1 戦闘の方法として文民を飢餓の状態に置くことは、禁止する。
3 ・・・・文民たる住民の食糧又は水を十分でない状態とし、その結果当該文民たる住民を飢餓の状態に置き又はその移動を余儀なくさせることが予測される措置をとってはならない。


 この報告書『特別報告者ジーン・ツィーグラーによる声明−−世界食糧デーにあたっての食糧への権利について』は、世界食料デーにちなんで国連の正式報告として出されたものである。先進諸国の収奪と環境破壊の結果として食糧危機が拡大しているアフリカ、昨年末の大地震と大津波の影響によって深刻な食糧・衛生危機にあるインドとパキスタンと並んで、「イラクにおいては、食糧と水が兵器として使用されている」という項目で、イラク・ファルージャにおける、飢餓を利用する米軍の軍事作戦を批判するという、異例の重要な扱いをした。
イラク駐留米軍のスポークスマンは、この報告を「根拠がない」と非難したが、それは、「交戦中に配給がおくれるようなことはあったかもしれないが・・・」という歯切れの悪いものだった。そして何よりも米軍は、ツィーグラー氏が求めた会談に応じなかったのである。
※「Statement by Jean Ziegler Special Rapporteur on the Right to Food on the Occasion of World Food Day(ワード文書 10月16日)http://www.eyeontheun.org/assets/attachments/editor/2005-10/18/
2005-10-16-jean-ziegler-special-rapporteur-on-the-right-to-food.doc



[2]レポート『イラクの病院は占領の下で病んでいる』:米占領下、崩壊し荒廃した医療システムの実態を暴く−−自らの手で大量の負傷者、患者を作り出し、一方でその治療手段さえも奪う−−

(1) 私たちがここで紹介するのは、アメリカのフリージャーナリスト、ダール・ジャマイル氏が2005年6月に発表したレポート『イラクの病院は占領の下で病んでいる』(IRAQI HOSPITALS AILING UNDER OCCUPATION)である。ダール・ジャマイル氏は、米軍占領下のイラクの病院と医療が置かれている状況についての取材と報告を続けている。このレポートは、ジャマイル氏が同僚とともに、2004年4月から2005年1月まで、イラク国内13ヶ所の病院を調査し、イラク戦争と占領による病院崩壊の現状を取材したものである。およそ半年前に発表されたものであるが、2004年4月と11月にファルージャでおこったこと、それだけでなく同様にイラク全土で起こっていることを克明に記した重要なレポートである。
 今回は、「ケーススタディ」と題された部分を中心に、@2004年4月と11月のファルージャ総攻撃における病院の封鎖と襲撃、A薬と医療機器、水と電気の不足、B不透明な資金配分と米企業による独占の3点について、概要を紹介したい。
 ジャマイル氏は、「この報告は、病院の直面する絶望的な物不足、水や電気といった基本サービスの不足が病院に与える悲惨な影響、およびイラクの病院での衛生業務の米軍による破壊を記録に残す」とまとめている。上記に紹介した国連と「イラクのための医師団」の報告は、6月にジャマイル氏が報告した事態が、改善されるどころか、ますます悪化していることを明らかにするものであることが分かる。
※IRAQI HOSPITALS AILING UNDER OCCUPATION http://dahrjamailiraq.com/reports/HealthcareUnderOccupationDahrJamail.pdf


(2) さらに2005年11月29日には、ジャマイル氏は『包囲される病院』(Hospitals Come Under Siege)と題する記事を発表している。主にアンバル州の州都ラマディに対する米軍の攻撃の中で起こった医療機関の破壊、医師たちへの攻撃という最新の状況の報告である。このやり方は、2004年4月と11月に、ファルージャで行った戦争犯罪の再現である。病院で重要な医薬品や装置の不足がますます深刻になる一方、米軍が日常的に病院への侵入捜査や妨害を行っているという現状が報告されている。日本ではこうした事実がほとんど報道されないだけに、非常に貴重な報告である。
 この記事によれば、米軍は、ラマディの産婦人科病院と総合病院に、週に二回、反政府勢力を捜索しているという口実で訪れ、病院に侵入し、閉まっているドアをすべて壊し、記録を乱暴に見て、ときには病院の職員を拘留しているという。さらにラマディ総合病院では、重病人病棟でもモニターもなくCTスキャンは壊れており、こうした問題は今やアンバル州全体にわたっていると医師たちは言う。そして「患者がきわめて危険な状態になる」と惨状を訴える。
ここでジャマイル氏は、イラクの現状は、占領国の義務を定めたジュネーブ条約違反であると厳しくアメリカを批判する。すなわち、ジュネーブ条約55条は、「占領国は、利用することができるすべての手段をもって、住民の食糧及び医療品の供給を確保する義務を負う。特に、占領国は、占領地域の資源が不充分である場合には、必要な食糧、医療品その他の物品を輸入しなければならない」と規定しているのである。(戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第四条約))
※“Hospitals Come Under Siege” http://www.dahrjamailiraq.com/hard_news/archives/hard_news/000327.php#more
 邦訳「包囲される病院」 http://teanotwar.blogtribe.org/entry-0a8f0d24d143639db1e3d19fbae51540.html
※イラクの医師たちが暴行を受け、拘束された事件は、以下でも報告されている。アンバル州ハデイーサでは、ハディーサ総合病院で米兵が医師たちを拘束し、「テロリストを治療した」と追及し、殴る蹴るの拷問を加え、目隠しをして連行した。
Iraqi Doctors Beaten and Arrested in Haditha Hospital (Sabah Ali) http://www.brusselstribunal.org/ArticlesIraq2.htm

 ファルージャ総攻撃において、米軍は、病院などの医療機関を真っ先に攻撃し、占領した。医師などの病院職員や救急車を直接攻撃した。さらに、薬や医療用品の搬入を妨害し、病院としての機能を麻痺させた。これによって米軍は、治療を受けられれば助かるはずの人々をも死に追いやったのである。米軍は、こうした病院攻撃作戦の「成果」を、その後のレジスタンス掃討作戦にも適用しているのである。
 ジャマイル氏は、『イラクの病院は占領の下で病んでいる』で、こうした現在も続く米軍の戦争犯罪の原型とも言えるファルージャでの医療機関への攻撃について、それを目撃した人々の証言を多数引用しながら、報告している。


(3) あまり知られていない事実−−たとえば身体が不自由な人がリハビリテーションを行えるイラク国内でただ1つの施設であるバグダッドのアル・ケナ病院攻撃が大量の身体障害者を作りだし、装具の装着やリハビリの訓練などがまともに行えない−−一つとっても、米軍の戦争と占領支配がいかにイラクの人々を苦しめているかが分かる。
 このような米軍による医療機関の破壊は、イラクの医療の崩壊に追い打ちをかけるものである。かつてアラブ一先進的とも言われたイラクの医療システムは、侵略によって破壊されたままである。薬や医療機器の不足は全く改善されず、医師などの人員の不足も深刻である。この点は、2004年4月の赤十字国際委員会(ICRC)の報告などで既に指摘されていたが、ジャマイル氏の聞き取った、医師たちからの広い証言は、この危機がその後も何ら改善されていないことを証明するものである。

 ジャマイル氏は、その原因の1つとして、米による不透明な資金配分とベクテルなど米企業による独占を指摘している。「イラクでの現在のモデル、『グローバル化された自由貿易システム』は、事実上、アメリカと他の数社の西側企業に限定され、明らかに機能していない。イラクにこの欠陥のある失敗したシステムを課し続けることは、現在の健康管理の危機をただ悪化させるだけであろう」としている。


[3]イラクの人々のために、今すぐ米軍の占領支配を終わらせなければならない。自衛隊を撤退させなければならない。

(1) 私たちがここで紹介する医療関連の情報は、全て、米軍の存在自体がイラクの医療を破壊している事実を物語っている。そもそも、今イラクで医療を必要としている人々の多くは、米による侵略と占領がなければ健康であったはずの人たちである。ジャマイル氏は、医療機器、消耗品、医療従事者の状況の悪化は「イラクの占領という暴力的な状況に起因する患者の天文学な増加によって、より複雑なものにされている」と述べている。このような事態は、米軍の占領が続く限り改善される展望はない。爆撃や銃撃による負傷者や、劣化ウランによるガンや白血病の患者、さらには全般的な衛生状態の悪化による病人など、自らの手で大量の負傷者、患者を作り出し、一方でその治療手段さえも奪う、このような米の占領を一刻も早くやめさせなければならない。

(2) 同時に私たちは、米軍だけでなく、「復興支援」を隠れ蓑に駐留を続ける自衛隊に対する怒りを禁じ得ない。「人道復興支援」を掲げながら、今回問題にしたようなイラクにおける医療システムの破壊に何一つ寄与しないどころか、米軍の占領支配に加担することで、医療破壊に加担しているのである。ここには、自衛隊に対する投石や撤退要求デモがなぜ起こるのかの答えがある。自衛隊は、米軍の占領支配に加担し、海外派兵と海外での戦闘訓練の実績を積み上げるためだけにサマワへの駐留を続けている。日本の最大の「人道復興支援」とは、医療など復興基盤を破壊するだけの米軍の占領支配と軍事作戦を今すぐやめさせることなのである。自衛隊は今すぐ撤退すべきである。

2006年1月5日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局





【紹介】ダール・ジャマイル・レポート
『イラクの病院は占領の下で病んでいる』より
IRAQI HOSPITALS AILING UNDER OCCUPATION
by Dahr Jamail
http://dahrjamailiraq.com/reports/HealthcareUnderOccupationDahrJamail.pdf

1.2004年4月と11月のファルージャ総攻撃における病院の封鎖と襲撃

 2004年4月と11月のファルージャ総攻撃において、米軍が病院や救急車を直接攻撃の対象とし、多くの犠牲者を出したこと、さらには、市内の病院を封鎖して、物資の搬入をできないようにし、医療活動を妨害したことについては、当時も不十分ながら報道された。ジャマイル氏の今回のレポートは、その米軍の蛮行の様子を、現場に居合わせた人々の生々しい証言によって、改めて明らかにしている。



(1)2004年4月。病院と救急車への攻撃。


ファルージャ総合病院の駐車場にあった数台の救急車は、フロントガラスの運転手側に銃弾の穴があいていた。
 4月の攻撃について、ファルージャ総合病院の医師たちは、米海兵隊が医療サービスを妨害し、米軍の狙撃兵が故意に病院と救急車をターゲットとした、と証言した。
 同病院のアブドゥラ医師(仮名)は、「海兵隊は、彼らは病院を封鎖しなかったと言っているが、実質的には封鎖されていた」、「彼らは、病院と都市を結ぶ橋を封鎖し、病院からの道路を封鎖した。病院の前の敷地は、兵士と車両で埋め尽くされた」と証言した。そのため、切実に治療を必要とした無数の患者が、治療を受けることを妨げられたという。
 また彼は、自分の病院が銃撃されたこと、救急車が銃撃されたことについて、米軍を非難した。「何日間も、私達は外にでることも、ドアに近づく事さえできなかった。狙撃兵がいたからだ。彼らは医院の正面玄関を銃撃していた。」と彼は言った。戦闘中に働いていた病院の救急隊員の1人が狙撃兵に撃たれて殺されたこと、別の病院の近くにいた負傷者たちを収容しようとした救急隊員が殺されたことも、証言した。
 その他にも、アブドゥラ医師は「戦闘機に爆撃された家族を避難させるために救急車を出した時のことを覚えている」と語った。「救急車は狙撃され、家族のうちの1人が死に、3人が銃撃によって負傷した」。
 ファルージャ総合病院の駐車場にあった数台の救急車は、フロントガラスの運転手席側に銃弾の穴が開いていた。

 別の医師、アーメド氏の証言では、海兵隊は、医師らが病院に入るのを何度も禁止し、患者の治療を意図的に妨害した、という。米兵は、レジスタンス兵士を捜すためにひっきりなしに病院に侵入し、その間、必要な薬品や病院を支援する物資の搬入を一切許さなかった、と証言している。

 ファルージャのジュマリア地区にある別の病院で働いていたラシード医師は、「我々にとって最大の問題だったのは、米軍の狙撃兵たちだ」と言った。「我々は市長のオフィスの近くにあるビルの上に彼らがいるのを見た」。
 また、ラシード医師は、アメリカの狙撃兵が救急隊員の脚を撃った事件について語った。救急隊員は生きていた。しかし、救助に来た者が狙撃兵によって撃たれ、ラシード医師らが助けようとしたが、手術台の上で死んだという。「彼は負傷者を収容するのを手助けするために救急隊員として働いていたボランティアだった」とラシード医師は話した。
 (2004年)5月に病院へ訪問した際には、駐車場に停めてあった2台の救急車はフロントガラスに銃撃による穴が開いており、別の救急車は後部ドアや側面に銃撃による穴が開いていた。

 アブドゥラ医師もラシード医師も、米軍によって彼らの病院が医療援助を受けたという話は一切聞かない、と証言した。

 アル・ノーマン病院の前衛生課長、アブドゥル・アリ医師は、米兵らがレジスタンス兵に関する情報を求めて病院へ来たことを証言した。彼は、この侵入がかなり定期的に行われ、患者の治療が妨害されたことを認めた。「それは10日前に行われた――それはファルージャから人々が避難して来た時から始まった。彼らのほとんどが子供、女性、老人だというのに。」

 アル・カルク病院のある医師は、国の至る所で蔓延していると思われる同様の問題を経験している。「私達は、米国人が負傷したイラク人を病院から追い出していると聞いている。彼らは常にここへ来て、負傷した戦士をかくまっていないか尋ねてくる。」


(2)2004年11月。外科医を町から放逐し、ファルージャへの救援活動を妨害。

 11月の攻撃では、米軍は、ナザル救急病院を完全に破壊した直後、ファルージャ総合病院に押し入った。米軍は職員と患者の両方を拘束した。現場に居合わせた医師によれば、水と電気が「遮断され」、救急車は没収され、外科医は全員、包囲された町から追い出された。

 レバノン放送社(LBC)のカメラマン、ブルハン・ファサア(Burhan Fasa'a)は、戦いの最初の8日間を目撃した。「私は、ジュラン地区近郊からファルージャに入った。そこは総合病院から近かった」と彼は語った。彼によると、「病院の上に米軍の狙撃兵がおり」、「視界に入るものは誰であろうと銃撃していた」ことは間違いない。イラクの赤新月社は、市内に救急車3台を急送する許可が下りるまで、まる1週間待たなければならなかったという。

 同様の証言は、同じ時期に他の都市の病院からも出ていた。
 例えば、ファルージャの約10km東にある都市、アミリヤ・アル・ファルージャでは、中央病院が、米兵とイラク兵によって2回も襲撃された、と医師らは語っている。「最初は11月29日の早朝で、2回目はその翌日だった」とその病院の医師は言う。「彼らは全員に向かって大声で叫んでいた。医師と患者ら全てに向けて」と若い医師は言った。「彼らはグループに分かれて、病院のあらゆるところに押し入った。門を外から壊し、ガレージのドアをつぶし、そして私達の食料と物資を置いてある備品室を襲撃した」。その後、彼はレジスタンス戦士らについての尋問を受けた、と話す。「米兵は、私が協力しなければ、ファルージャでやったことをここでもやってやるぞ、と脅迫した」と彼は付け加えた。
 別の医師は、同じ病院内の全てのドアが蹴破られたという。医師ら全員が、警備員らと共に、手錠をかけられて数時間尋問された、と彼は証言する。
 さらに彼は、銃弾で穴だらけにされた救急車を指して言った。「米軍はこことファルージャの道沿い全部に狙撃兵を配置している。ファルージャへ行こうとすると、彼らは救急車を撃ってくる。」

 近くのサクラウィヤでは、アブドゥラ・アジズ医師が、占領軍はあらゆる医療用品について、市内に入る分も出ていく分も一切封鎖していた、と報告した。「彼らは私達が救急車でファルージャに行こうとするのを、一切させなかった」と彼は言った。


(3)ファルージャ総合病院。分娩処置中の医師を縛り上げる。

 2004年11月。米軍とイラク軍がファルージャの総合病院を襲撃したときにいあわせた医師、アスマ・ハミス・アル・ムハナディが後に語ったところでは、「私達は非武装で、医療機器ぐらいしかもってないにも関わらず、彼らは私達を縛り上げて殴った」という。彼女は、兵士らが患者らをベッドから引きずり出して壁に押しつけた、と言う。「私は陣痛の起きている女性と一緒だった。臍帯はまだ切っていない状態だった」と彼女は証言する。「その時、1人の米兵が、イラク兵らに向かって、私を逮捕して腕を縛るように叫んだ。私が母親の分娩を手伝っているにも関わらず。」

 ファルージャで行われた救急車を標的としたり、医療施設を妨害する作戦は、第4回ジュネーブ条約に明白に違反するものだ。条約は、戦時の緊急車両に対する攻撃および医療行為の妨害をはっきりと禁止している。

 米国政府がこれらの問題についての広い調査を始める必要があるのは、明らかである。それによってこれらの行為に対する責任を負うことが、正義をもたらし、イラクの医療関係者が自由に仕事をできることにつながるのである。


2.薬と医療機器、水と電気の不足。劣化ウランが原因か、ガン患者が急増。

 イラク国内の病院は、極めて深刻な状況にある。薬、医療用品、医療機器の欠乏、資金の払底、人員の不足、水道・電気など基本的なインフラの崩壊によって、まともな医療が行えない状況にある。イラク政府とその背後にいる米国は、イラクの医療の再建を、全く行おうとしていない。
 その一方、米による侵略と占領は、患者を急増させ、医療にかかる負荷を一層重くしている。


(1)アル・ケナ病院。リハビリとのための基本的装具が欠乏。


アル・ケナ病院では、側弯症の患者が背中に支えをあてがわれていた。こうした患者を適切に治療するために必要な部品は、常に不足していた。
 バグダッドのアル・ケナ病院は、身体が不自由な人がリハビリテーションを行えるイラク国内でただ1つの施設である。しかし、タミズ・アジズ・アブル・ラーマン医師は、人工器官を作るために必要とされる不可欠の機械類についてもこと欠いている、と語った。「私達は、部品もなくなった1970年代製の時代遅れの機械を使用している」と、ほこりまみれの工作場の中で、故障した機械類を指して言った。「11か月前に、保健省に緊急の注文を出したが、何も受け取っていない。(湾岸戦争後の)経済制裁中よりもひどい」。
 十分な車椅子がないので、身体を動かすのが不自由な患者の大半はアル・ケナ病院でサービスを受けることができない。
 同病院のカッセン医師によると、保健省の米国人職員がやって来て、どういった物品が必要かを調べにきたが、カタログとコンピュータ・ディスクが渡された以外、一切連絡がないという。「ここに来た米国人らは、このような病院が何のためのものか知りさえしなかった」。
 作業場は、布、ピン、金属棒や留具といった装具を組み立てるために最低限必要な素材さえ欠乏している。それを必要とする患者が急増しているにもかかわらず。「明らかに、私達は切断手術をうける患者の劇的な増加に直面している。侵略と、そして現在は占領のために」と、ラーマン医師は言う。


(2)アラビア小児科病院。ガンの新患者が急増。

 バグダッドで若者のガン患者を治療するアラビア小児科病院の、ワアド・エダン・ルイス医師の話では、戦争の前はほとんどのガン患者は南部の人間であったが、今では、同様に多くの患者がバグダッドで発生しており、これが物資とスタッフに対して大きな逼迫要因となっているという。
 ガンの割合のこの増加がどの程度のものかについては、不十分な疾病調査やガンの登録に頼ることになるため、実証するのは困難だ。しかし、この問題は、侵略および占領下での軍事作戦による犠牲により既に過度の負荷をかけられてもがいている健康管理システムに、より一層の重荷がのしかかっていることを示している。
 ルイス博士は、ガンの割合が1990年代後半に劇的に跳ね上がり、彼の病院だけで毎週4人の新患を扱っている、と述べた。
 ペンタゴンは1991年の湾岸戦争中に、イラクで300トン以上の劣化ウラン(DU)兵器を使用したことを認めているが、実際の数字は800トン近くにものぼる。アル・ジャジーラ放送によれば、これまでのところ、今回の戦争において、バグダッドだけで200トンのDUが使われている。
 医療用品は常に不足している。患者たちは、自分達に必要な物資を自分で買って病院に持ってくることで、これを補っている。子どもたちは、しばしば自分の食べ物を自分で調達してこなければならなくなっている。病院は食事を供するのに必要な資金にも事欠くようになっている。ルイス医師は、これらの欠陥は、保健省に資金供給をしている米国からの資金が不足しているためだ、と述べた。


(3)サドルシティのチュワデル総合病院。清潔な水や注射針さえ不足。

 また、水と電気の不足が医療に与える影響も、深刻になっている。
 バグダッドのサドル・シティの広いスラム地区にある2つの病院のうちの1つであるチュワデル総合病院のマネージャー長、カシム・アル・ヌウェスリ医師は、彼の病院が占領下で直面している苦難について、「私達にはあらゆる薬が不足している」と述べた。侵略以前にはこのような薬の不足はめったに生じなかったという。「本来は禁止されているのだが、私達は時々、静脈注射について再使用しなければならない場合がある。針さえも。選択の余地がないのだ。」

 彼の病院では毎日平均3000人の患者を治療する。ヌウェスリ医師は、他の問題をすべて悪化させる主要な問題の1つが、清潔な水の不足であるといった。「チフス、コレラ、腎石などはもちろんのこと、さらに今、非常にまれなE型肝炎(HEV)も発生しており、我々の地域において一般的になった。2003年の侵略以前にはこのような問題に直面しなかった」と語っている。
 この病院では、基本的な滅菌のために、1日当たり少なくとも2000リットルの水を必要とするが、その15%しか手に入らない。また、停電も大きな問題だ。「電気なしでは、手術室の器具は作動しない。水をくみ上げるポンプも動かない。」

 排泄物から経口感染するHEVも、主として、排泄物に汚染された飲料水を摂取することに関係している。死亡率は低いが、病気に感染した妊婦が胎児を失うことがよくあり、その死亡率は15−25%である。分娩時に感染するという報告もある。
 HEV感染の最良の予防は、汚染水を回避することであるのは明らかだ。しかし、サドル・シティのような、200万人以上の住人がいるバグダッドに広がるスラム地区においては、ほとんどの住人にとって不可能なことである。
 ヌウェスリ医師は、ドイツのNGOの1つが給水車を持ってきたが、それでも衛生的に手術するために必要な浄水のわずか15%にしかならない、と語っている。
 若いアメル・アリ医師は、電気、水、薬、医療機器の不足について、「これらの非常に悪い状況の原因は、米国にあると思う」と、はっきり言った。


(4)バグダッドのヤルムーク教育病院。停電で手術中の患者が死亡。

 バグダッドのヤルムーク教育病院の看護師長、アーラン・バーリは、電気の不足が原因で生じた悲劇について話した。「ある人が手術を受けている時に停電になった。機器を動かす電気が来なくなったため、彼は手術台の上で亡くなった。」
 病院には発電機があるにはあるが、まともには動かない。部品が欠けていたり、慢性的な燃料不足により燃料を使い果たしてしまっているためだ。調査したほとんどの病院は、完全に機能する補助発電機を持っておらず、それらを修理するための資金や部品を欠いていた。

 米占領当局とイラク政府は、イラクの病院と医療システムが直面しているこの深刻な状況を改善するための方策を、何ら取っていない。

 バグダッドのアル・ケルク病院のサルマド・ラヒーム医師は、米軍や復興請負業者から援助を受けたことは「いまだかつて一度もない」と述べている。陸軍の軍人がここに来て、何が必要か尋ねた。我々は答えたが、彼らは必要なものを何一つとして持ってこなかった。CPAからも何人かが来たと聞いているが、彼らは何もしなかった。」
 ファルージャ総合病院のモハメド医師は、外国の業者からも米軍からも、事実上援助はないと語った。「彼らは、薬ではなく爆弾を落とすだけだ。」

 イラク保健省の副大臣である、アメル・アル・フザイエ医師は、薬と医療機器の不足について、米国主導の有志連合が、保健省が要求した資金の提供に応じていないためだ、と非難した。「我々は医療機器の購入のために5億ドル以上を要求したが、このうち約束されたのは3億ドルだけで、それはまだ約束のままだ。」


3.不透明な資金配分と米多国籍企業による医療市場の独占。

(1)医療が改善されない背景にある、米企業による「復興事業」の独占。
 イラクの医療の状況が一向に改善されない背景に、米による不透明な資金配分と、米企業による「復興事業」の独占があると指摘されている。
 ニューヨーク・タイムズによれば、「去年の秋に米議会が承認した184億ドルのうち、実際に支払われたのは約6億ドルだけ」である。そして、占領当局は、何が最も至急に必要であり、不安定な状況下でどのように対策を取るかについて、それにふさわしい資格を持ったイラク人に助言を求めるのではなく、ほとんどノウハウのないアメリカの軍需産業に任せた、という。

 アメル・アル・フザイエ保健省副大臣は、イラク復興のためにアメリカが用意した186億ドルのうちの10億ドルが保健省に割り振られた、と語っている。2004年6月のインタビューで、彼は、ベクテルが、米国国際開発庁(USAID)を通じて、病院の再建や修復のための下請けと金銭の分配について請負っている、とはっきりと述べた。
 なぜ病院や医療施設の再建作業が行われていないのかという問いに、フザイエ医師は次のように答えた。「通常、USAIDとベクテルは、イラクの治安情勢を理由にしている。しかしそれならば、なぜ彼らはイラクの企業がその仕事をすることを許可しないのか?」「私達はイラクの下請け業者を使って働かせることもできただろう」と彼は続けた。「問題は、彼らが、自分たちですることを望んでいる、ということだ」。

 アントニア・ユハスによると、USAIDは、イラクでの戦争前に、復興事業に入札するよう要求した。「イラク人、人道支援組織、国連、その他の米国以外の企業や組織は、極秘入札過程から除外された。米国とイラクの数十億ドルの公債は、『急派された』復興請負業者らに、既に分け与えられていた」。
 イラクでの「自由な企業活動」は、最初から、全く自由なものではなかった。このような請負契約は、現在のイラクの法律の変更によって促進された(占領した国の法律を変更することは、米政府が批准している1907年のハーグ規定、1949年のジュネーブ協定の両方に違反するものである)。これらの変更の大部分は、連合軍暫定当局(CPA)行政長官のポール・ブレマーの政令によってなされた。
 この政令は、イラクで活動する米企業がすべての事業を所有し、あらゆる活動を行い、すべてのカネを自国へ送ることを可能にしている。イラクの経済を助けるために、この地域へ再投資する必要は一切なく、イラク人を雇う必要もなく、保障されるべき公共事業もなく、労働者の権利は容易に無視することができる。また、会社はいつでも投資を引き上げることができる。
 さらに、これらの企業が第三者を殺害したり、有毒化学物質や汚染された飲料水を廃棄して環境破壊を引き起こして傷つけたりした場合でさえ、この損害をうけた第三者は、イラクの法制度に頼る事もできなければ、米国の法制度下で法廷に訴え出ることもできない。
 デービッド・フィドラーが示唆しているように、このような法令は、19世紀後半から20世紀前半にかけての植民地秩序を造りだして維持した、政治的・経済的・法的な思考のシステムを思い出させる。


(2)復興は建物と庭だけ。薬や医療機器など本当に必要なものにカネが回らない。

 さて、USAIDによって十分な復興が外部に発注されたにもかかわらず、イラクの健康管理システムは、麻痺したたままである。ベクテル社は、侵略によって発生したあらゆるダメージの包括的な分析を行い、健康管理分野を含めた復興計画の優先順位付けを請け負った。ベクテルは、約50の主要な健康管理センターの小規模な復旧作業を終え、USAIDに残りを渡した。2003年4月30日、USAIDは、ボストンに本拠をおくAbtアソシエーツに対し、4380万ドル相当の「イラクの保健制度全体の強化を行い、保健業務の迅速な正常化を確実に行う」という契約を与えた。

 1年半がたち、イラクの医療施設の再建は、せいぜいよく言っても、表面的なものとしか言えない。バグダッド・メディカル・シティは新しく塗りなおされた塗料が似合ってきたように見えるが、センターに駐在する眼科医、ハマド・フセイン医師が言うには、「私は何も復興の兆候を見たことがない。建物と避難はしごが新しくピンクとブルーに塗り直された以外にはね。」
 彼は、「イラクのこの最大の医療複合施設に欠けているものは薬だ。私が薬を処方しても、薬屋にその薬がなく患者に与えられない、といった具合なのだから。」と続けた。さらに「車椅子が足りず、エレベーターの半分は壊れており、医療従事者の不足のために、患者の家族らが看護師として働くことを強いらるという始末なのだ」と付け加えた。
 「メディカル・シティの庭の維持費は6800万ドル、建物を塗りなおす費用は1億5000万ドル、修繕費は1800万ドルかけられた。しかし病院の中に一歩足を踏み入れると、そこはサダム政権の時代より、かえって悪くなっている。」

*このページの写真は、上に紹介したレポート”IRAQI HOSPITALS AILING UNDER OCCUPATION”からのもの。