イラク戦争劣化ウラン情報 No.25      2006年2月27日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局 吉田正弘

イラク戦争で使われたウラン兵器のせいでイギリスの放射能レベルが上昇した
−−イギリスのクリス・バズビー博士とグリーン・オーデェットが発表(*1)−−


(1) イギリスの環境保護グループ、グリーン・オーデェットが2006年1月の日付で、イギリスのバークシャーにあるオルダーマストン核兵器製造工場(AWE;Atomic Weapon Establishment)の放射能モニターのフィルターから測定した空気中のウラン濃度が、イラク戦争冒頭の「衝撃と畏怖」爆撃作戦の開始後に通常の4倍の高レベルに跳ね上がり、作戦の終了とともに元に戻ったという研究報告を公表した。「イラク戦争でのウラン兵器の使用がヨーロッパを汚染したか?イギリス、バークシャーのアルダーマストン核兵器製作所の測定からの証拠」という表題のこの論文の著者はクリス・バズビーとサオイーズ・モーガンの両氏である。バズビー博士はECRR(放射線リスク欧州委員会)2003報告の作成者の中心人物である。

 この研究は、バークシャーにあるオルダーマストンAWEの敷地内と、周囲15キロメートルのところに配置された各4個の放射線モニターのデータを、情報公開法によって公開させ、そのデータを検討したものだ。データはバズビー氏らが2004年にAWEに公表を要請したときには「なくなった」と拒否された。2005年に情報公開法に基づき要請してはじめて、しかしぐずぐずと出してきた。しかも、2003年のはじめの数ヶ月のデータが「失われていた」のだ。この意図的とも思われる隠蔽は何を意味するのだろうか。結局バズビー氏は防衛調達局にデータを公表させてそれを分析したのである。

 2週間おきに測定された空気中の放射性物質採取フィルターのウランの測定値が、イラク戦争の開始の9日後に跳ね上がり、4月になって大規模な空爆の終了とともに元のレベルに戻った事が報告されている。論文によれば、2003年の3月13日−27日の間に、空気中の放射性物質の濃度で、ウランの濃度が通常のピークの4倍に跳ね上がった。この期間には、イラクで米英軍による「衝撃と畏怖」という名の大規模空爆作戦が行われ、その後地上戦の開始に伴って装甲車両に対する劣化ウラン弾の大量発射が始まった。バズビー氏らは「衝撃と畏怖」作戦で大量に使用された地中貫通型の爆弾がウラン製であったために、爆発によって巻き上がられたウランの埃がイラク上空からイギリス上空にまで気流によって運ばれ、AWE周辺で空中のウラン濃度を跳ね上げたのではないかと考えている。観測地点の一つ、AWEから15キロ離れたレディングでは、環境庁に通報しなければならないレベル(1000nbq/m3)を2度も超えるほどの濃度に達している。
 報告書は、イラクとヨーロッパ上空の気流について検討し、イラク上空では北向きの気流(南ないしは南西の風)がこの時期に存在し続けていたこと、そこからイギリス上空の高気圧に向かって流れがあったことを気象記録から証明している。


(2) さらに、もう一つ不思議なことに、この空気中のウラン濃度のグラフでは、2002年4月11日から25日までの間にも通常のピークの2倍以上の高さの異常なピークが観測されている。著者は、この原因がアフガニスタン戦争でのトラボラ地区(洞窟陣地)に対する地中貫通型爆弾の大量使用に有るのではないかと示唆している。

 この報告を報道したイギリスのサンデータイムス(*2)によれば、国防省の高官は「劣化ウランがそんなに遠くに運ばれるはずがない」「他の環境上の発生源の可能性の方が大きい」と否定した。あるいは「たぶん近所の(原子力)発電所からやってきたのだろう」(*3)などと批判している。英国学士院の劣化ウランに関する2002年の報告書取りまとめの議長を務めたブライアン・スプラットは、劣化ウランが原因という主張には疑問を呈したが、「衝撃と畏怖」作戦で巻き上げられた大量の土砂の中の天然ウランが原因かも知れない」とコメントしている。(*2)

 空気中のウラン濃度の測定データは、98年4月から2003年11月まで紹介されている。その中で通常の変動を大きく越え突出した値は、2002年4月(トラボラ)と2003年3月(「衝撃と畏怖」作戦)しかない。これは非常に重要である。モニターのデータはAWEの敷地内の観測点よりも15キロ離れた観測点の方がいずれも高い値を示しており、このウラン濃度の上昇がAWE内部からのものでないことは明白である。さらに、政府の言うような「ローカルな発生源」について、もしも原子力発電所や核関連施設の事故など人為的なものであれば、即座に政府の知るところとなるはずだ。また、自然現象であれば、これだけの期間のうちに同様のことが起こっても不思議でないのに、実際にはイラク戦争とアフガン戦争にちょうど一致した時期にしか観測されていない。さらに、スプラットのいう「砂嵐の土の中の天然ウラン」説も、イラク周辺では毎年砂嵐が何度も繰り返されており、それが観測されていない事から説得力がない。


(3) 「劣化ウランは遠くに運ばれない」という政府の主張も根拠がない。昨年亡くなったレオニード・ディーツ氏は1991年に4ミクロンの劣化ウラン粒子が26マイルも運ばれたことを報告した。戦場で使われた劣化ウランの粒子はこれよりもはるかに小さい(半数近くが0.56ミクロン以下)ので、はるかに遠距離にまで拡散する。バズビー氏によればコソボでは戦闘後9ヶ月経っても雨水から劣化ウランが検出されており、またこの時の劣化ウランが遠く離れたボスニアの空気中からも検出されている。
 逆に、バズビー氏は、イギリスにまで拡散して落ちてきたことから、劣化ウラン兵器が局地的でなく非常に広範囲にわたって放射性物質で環境を汚染する危険性を指摘している。報告書はウラン濃度の増加の平均が500nBq/m3であり、標準の男性のモデルから一人あたりの吸入量が0.25ミクロンのウラン粒子2300万個に上ると試算している。この汚染による健康への影響、特に出産への影響を調べるべきだと報告は提言している。

 この報告書に対して、「地中貫通爆弾はに劣化ウランを使っていない」と米政府が言っているから、対戦車攻撃では劣化ウランのダストが出たとしても、爆撃作戦である「衝撃と畏怖」作戦やアフガニスタン戦争でウランが検出されるはずがないという恣意的な批判も一部の活動家から出ている。しかし、地中貫通爆弾に非劣化ウランが使われていることは、米政府自身は認めていないが、アフガニスタンでのUMRCの住民のウラン汚染の調査結果、ダイ・ウィリアムズ氏による米軍特許などの文献の証拠から極めて可能性が高いと考えられる。米政府が認めないからないという予断で物事を判断すべきではない。私たちの考えでは、事実に基けば、バズビー氏らの発見はウランの広範囲への拡散による影響だけでなく、地中貫通爆弾へのウランの使用を傍証する重要な発見ではないだろうか。

 この論文は全文が18ページで、以下の場所からダウンロードすることができる。以下に、その要約(アブストラクト)の部分だけを翻訳して紹介する。

(*1)Did the use of Uranium weapons in Gulf War 2 result contamination of Eorope?.
Evidence from the measurements of the Atomic Weapons Establishment,Aldermaston,Berkshire,UK
http://www.llrc.org/aldermastrept.pdf
(*2)UK radiation jump blamed on Iraq shells−サンデータイムス (19th February 2006)
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2087-2047373,00.html
(*3)Bombing of Baghdad 'linked to UK radiation rise' (icLiverpool 20th Feb 2006)
http://icliverpool.icnetwork.co.uk/0100news/0100regionalnews/tm_objectid=16724330&method=full
&siteid=50061&headline=bombing-of-baghdad--linked-to-uk-radiation-rise--name_page.html#story_continue


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
イラク戦争でのウラン兵器の使用がヨーロッパを汚染したか?
イギリス、バークシャーのアルダーマストン核兵器製造工場の測定からの証拠
クリス・バズビー
サオイーズ・モーガン

要約

 ウラン兵器は、1991年に湾岸戦争で米軍と英軍によって初めて使用されて以降、戦闘でますます使われるようになってきた。ウラン兵器は、その時以来1990年代の終わりバルカン半島で使われ、その後2000年にコソボで、2002年におそらくアフガニスタンで、その後さらに2003年3月と4月にイラク戦争(GW2)で使われた。目標に命中すると、ウラン貫通体は猛烈に燃えて直径がミクロン以下の大きさの酸化物粒子のエアロゾルになる。それは、ほとんどが水に溶けず、長期間にわたって環境中に残る。これらの放射性粒子が長い間空気中に滞留し続けるかもしれない、あるいは再び巻き上げられて再滞留するかもしれない、従って着弾点からかなり離れたところにいる非戦闘員によって吸入されるかも知れないということは、社会的および科学的に相当心配されている。ウランのエアロゾルが運ばれる距離についてはほとんど研究が行われていないように思われる。英軍はウランは弾着点の近くに残ると主張している。また、英国学士院報告書(2002)も、ウランが数十メーター以上は移動しないと述べている。しかし、コソボでウラン兵器が使用されてから約9ヶ月後に、周辺住民の尿からのウラン測定の結果はすべて劣化ウランに陽性だった(Priest2004)。国連(国連環境計画UNEP)は劣化ウラン使用の数年後にボスニアのエアーフィルターからウラン粒子を発見した。戦場からのウランのエアロゾルの分散はどの程度かという疑問は、重要な法的関心が持たれる問題である。なぜなら、もし放射性兵器が使われた国、それだけでなく使われていない他の国の公衆に全般的な汚染をもたらすならば、そのような兵器はは無差別な影響を持つ兵器[無差別殺戮兵器]のうちの1つに分類できるからだ。

 現在では、放射線への被曝には安全レベルがないとされている。さらに、ウラン兵器からのウラン粒子の与える健康への影響を評価するリスクモデルに関しては大きな科学上の疑問がある。さらに、湾岸戦争帰還兵からイラクの住民まで、ウランに被曝した多くの人々が健康障害を受けた証拠がある。この論文で、私たちは英国のバークシャーにあるオルダーマストン核兵器製造工場(AWE;Atomic Weapons Establishment)に配置された高体積エア・サンプラー・フィルタ・システムでなされた測定に示されたウランの傾向を検査する。AWEは、1990年代の初め以来、日常的に空気中のウランをモニターしているが、2000年以降は高体積エア・サンプラー(HVAS)のフィルタ測定を2週間毎に行っている。AWEは、工場の近くで子供の白血病の集団が発見された後で、1980年代末にこれらのモニターを設置するように求められた。工場敷地内のモニターもあるが、工場から15キロ離れた他のいろいろな場所にもモニターが配置された。私たちは情報の自由法を使用して、モニターの測定結果を得た。ここに報告されているウランの傾向を調べると、イラク戦争の始まりに全部のフィルターでウランの統計的に有意な増加がはじまり、戦争が終わると増加も終わるということが示されているのがわかる。レディングの町のウランレベルは、この期間に環境庁に報告を要する1000nBq/m3のしきい値を2度越えた。私たちはその時の天候を報告し、その期間全体にわたってイラクから北に向かう一貫した空気の流れがあり、南および南東から空気を中心へ吸い込む高気圧の中心が英国にあったことを示す。空気中のウランの平均の増加量が約500nBq/m3であることに基づいて、その地域の一人一人が直径0.25ミクロンのウラン粒子を約2300万個吸い込むことを、標準男性の場合の吸入データを用いて計算する。私たちは、この被曝によって生じる可能性のある健康データ、特に出生データの検査が必要である事を示唆する。私たちが知っている限り、これは戦争で使われたウランのエアロゾルが遠方まで運ばれることを示す最初の証拠である。


(同論文のFig2より)