イラク戦争劣化ウラン情報 No.23      2005年2月17日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局 吉田正弘

NHK BS世界のドキュメンタリー 2005/01/04
「イラク 劣化ウラン弾被害調査−ドイツ人医師13年の足跡−」について


(1) 今年の年明け早々1月4日に、NHK・BSの「世界のドキュメンタリー」で『イラク 劣化ウラン弾被害調査−ドイツ人医師13年の足跡−』(原題「医師と放射能に汚染されたイラクの子どもたち」)が放送されました。
 このドキュメンタリー番組は、英米軍が今回のイラク戦争で使用した劣化ウラン弾によると思われる子どもたちの被害を調査するドイツのジークヴァルト=ホルスト・ギュンター博士とウラニウム医療研究センター(UMRC)が2003年9〜10月に行ったイラク被害調査と彼らの活動を取り上げたものです。
※なお、この番組の存在については、「イラク戦争劣化ウラン情報 No.20」(2004年9月6日)「UMRCからの新しい情報について」に詳しく取り上げています。この番組に対するコメントや紹介も翻訳しました。「翻訳資料1 新しいビデオへのテッド・ウェイマンのコメント」「翻訳資料2 トラップロック平和センターのビデオ紹介」参照。
併せてもう一度ご覧ください。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/DU/no_du_report20.htm

(2) この調査の結果については、2004年4月にUMRCのアサフ・ドラコビッチ博士が日本で講演し、イラクの土壌、水、住民の尿、サマワに配備された米兵士の尿から劣化ウランを検出したことを報告しました。われわれが恐れていたようにイラク全土が汚染されていること明らかにしたものです。この調査の分析費用は世界中の市民からカンパでまかなわれており、その中でもとりわけ日本の市民からの寄付が大きな位置を占めています。その調査を紹介したという意味で、この番組は実に貴重なものでした。
※「4・14 UMRCアサフ・ドラコビッチ博士講演会 in OSAKA−−サマワ帰還米兵、イラク住民の劣化ウラン被曝−−イラクウラン被害調査緊急集会報告 イラク全土が劣化ウランで汚染されている」参照。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/UMRC/durakovic_in_osaka2.htm

(3) 私たちにとって嬉しかったことは、UMRCの活動と同様にドイツのギュンター博士の活動を見る事ができた事です。ドイツ政府によって逮捕されながら、また何者かによって殺されそうになりながらも、あくまでも劣化ウラン弾の被害を明らかにしようとする博士の姿が印象的でした。この点では、同様の厳しい圧迫の下で劣化ウランの被害を科学的に明らかにしようとするUMRCとドラコビッチ博士の姿勢と共通し、私たちの胸に訴えるものでした。
 またこの放送は、これまで劣化ウラン弾の問題を取り上げてこなかったNHKの劣化ウラン弾に関する初めての放送でもありました。
 すでに多くの方が放送をご覧になったと思いますが、記録のためにも以下に番組の要約を紹介します。前号でお知らせしたようにドラコビッチ博士は、3月9日に、京都の同志社大学に来られ講演をなさいますので、お近くのかたで関心をお持ちの方は是非お出かけください。長文になる事をお許しください。

2005年2月17日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
UMRCイラク・ウラン被害調査カンパキャンペーン事務局


ビデオ紹介■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
NHK BS世界のドキュメンタリー
「イラク 劣化ウラン弾被害調査−ドイツ人医師13年の足跡−」
制作:オチョアワグナー プロダクション(ドイツ2004年)

 番組は79歳のドイツ人医師ギュンター博士とカナダのウラニウム医療研究センターUMRCのテッド・ウェイマン氏がイラク戦争の劣化ウラン影響調査に向かうところから始まります。1991年の湾岸戦争後、大勢の兵士や民間人が身体に異常をきたしましたが、ギュンター博士たちは劣化ウラン弾が原因だと考えています。ギュンター博士は「私は、イラクで40年間働いてきました。この地域で以前ウランを含んだ砲弾の破片を見つけたことがあります。同時に、重い病気が急増していることを知りました。2003年のイラク戦争の後、こうした被害がさらに増えているのではないかと思い、調査に来ました。」と言います。ウェイマン氏は「分析のために、爆撃にさらされた人たちの尿のサンプルを集めに来ました。できれば、肺からもサンプルを取りたいですし、土壌や水も調べたいと思っています。アメリカ軍やイギリス軍が使った劣化ウラン弾が、人々や環境をどの程度汚染しているか、知りたいんです」と言います。この時に採取された住民の尿サンプルなどから劣化ウランが検出されました。イラクの人々は米英軍が使用した劣化ウラン弾で明らかに汚染されたのです。
 バスラからクウェート国境へ向かう道は、湾岸戦争でも今回の戦争でも戦場となりました。ギュンター博士は、劣化ウラン弾で破壊された戦車を見つけ、放射線量を測定しました。「この戦車の残骸は劣化ウラン弾で破壊されたものです。砲塔に弾が当たった痕があります。放射線量を測定してみましょう。カウンターの針が赤い方に触れているのがはっきりと分かります。劣化ウラン弾は、貫通するときにすさまじい熱を発します。戦車の中の兵士を一瞬で灰にし、飛び散った酸化ウランが周りの環境を汚染するのです」(ギュンター博士)
 バグダッド近郊では、テッド・ウェイマン氏とイラク人医師イクラム・シェイクリーが調査を進めています。そこは、アメリカ軍が軍用車のスクラップヤードとして使っていた場所です。ウェイマン氏たちは土壌やチリのサンプルを集めます。驚いた事にこのスクラップヤードには子どもたちがスクラップを売るためにたくさん出入りしています。積もったチリが、トラックが通り過ぎる度にもうもうと舞い上がります。奥に行くに従ってガイガーカウンターの数値がどんどん上がります。

■ ギュンター博士とドラコビッチ博士
−−劣化ウランの危険と闘う二人の医師

 湾岸戦争後、長い間、劣化ウラン弾の危険性は知られていませんでした。この戦争で、多国籍軍は主にバスラの南方で300トンもの劣化ウラン弾を使用しました。
ギュンター博士は、劣化ウラン弾の影響について何も知らないまま、戦後のバスラに入ったのです。「1991年10月、国連の経済制裁発動後のイラクに呼ばれました。医療体制を視察するためです。病院は機能していませんでした。小児病院は、満員状態で伝染病が蔓延し、子どもたちは栄養失調で瀕死の状態でした。私は、40年間、イラクで医療に携わってきましたが、湾岸戦争前には見られなかった病気が多発していました。91年末から93年にかけて、白血病や先天性障害などの異常が沢山認められたのです」(ギュンター博士)。
 ギュンター博士は、子どもたちの病状を写真で記録し始めました。子どもたちは、放置された砲弾や戦車のすぐそばで、遊んでいます。これが、白血病の急増と関係しているのでしょうか? また、ギュンター博士が診察した子どものほとんどは、父親がバスラ南方の戦車戦で戦っていたことが分かりました。ウクライナのチェルノブイリ原発事故の後も、先天性の障害を持つ子どもが、大勢産まれています。1991年末、ギュンター博士は報告書を書き始めました。子どもたちの病気は、劣化ウラン弾の放射線によるものだと主張したのです。最初の報告はドイツの新聞各紙に掲載されました。
 1992年に、ギュンター博士は思い切った行動に出ました。イラクで見つけた劣化ウラン弾に放射性があることを証明するため、砲弾をベルリンに持ち込んだのです。しかし、フンボルト大学では、非常に毒性が強く放射性があると分析され、関わりたくないので工科大学に持っていってくれ、と言われました。工科大学に行くと、今度はベルリン自由大学の放射線研究所に持っていくよう言われました。研究所では、『今日は金曜日なので預かれない。月曜日にまた来るように』と言われました。
月曜日にまた出直すと、16人の警官が待ち構えていて、放射性の砲弾を持ち込んだ「罪」でギュンター博士は逮捕されてしまいます。取り調べの結果、ギュンター博士は起訴され3000マルクの罰金を課せられました。罰金の支払いを拒んだためギュンター博士は、5週間、刑務所に入れられました。しかし、これで、イラクから持ち込んだ砲弾に放射性があることが証明されたのです。
 ウラニウム医療研究センターの医師(所長)のアサフ・ドラコビッチ博士は、アメリカ国防総省に12年間勤務し、湾岸戦争症候群の兵士の症状を研究してきました。
ところが、劣化ウラン弾が病気の原因ではないかと公言した途端、圧力をかけられたと言います。「私は内部告発に踏み切りました。なぜならアメリカ政府は湾岸戦争の帰還兵を人知れず死なせるべきだと考えていたからです」(ドラコビッチ博士)。湾岸戦争後、ドラコビッチ博士が治療に当たった30人の兵士たちは原因不明の病気に悩まされていました。ドラコビッチ博士は、放射線の影響を疑いました。患者の尿を中性子放射化分析という方法で分析したところ、劣化ウランに陽性という結果が出ました。その途端、誰もが本当のことを語ろうとしなくなり、調査をやめるよう圧力をかけてきたのです。ドラコビッチ博士は、攻防総省を辞め、自ら設立した医療研究センターで調査を続けました。「30人の患者の内、過半数から高濃度の劣化ウランが検出されました。この分析結果を見て、もはや議論の余地はないと思いました。」(ドラコビッチ博士)

■ 生命の危険を感じながら

 米英政府が劣化ウラン弾の危険性を隠し続けているために、劣化ウラン弾の危険性や被害の調査に取り組み、警告を発することは生命の危険さえ伴います。ドラコビッチ博士は劣化ウラン弾は危険だ、と公表したとき、経歴に傷が付いてもいいのか、と脅されました。それでも彼が活動を止めないと、かつての同僚たちが、次々と『頼むからこんな活動は止めてくれ。君にとっても軍にとっても何一つ良いことは無いんだから』と電話をかけてきました。その後、身の危険を感じたドラコビッチ博士は、カナダに移り、身を隠しながら生活しています。
 ギュンター博士もまた身に危険を感じています。ギュンター博士は道を歩いていて、自動車に意図的にはね飛ばされ、水路に落とされ重傷を負わされました。警察は車のナンバーを覚えていないのならわからないと、そのまま何の進展もありません。
なせギュンター博士にこのようなことが起きたのでしょうか?「一体誰がこんなことをしたのか、と考えました。ドイツには、私のことを快く思っていない人たちがいます。劣化ウラン弾の技術を開発したのは、ドイツだと言うことに気付いたからです」。軍需産業のラインメタル社が、1972年と73年に先端にウランを使った砲弾の開発に取り組んでおり、軍需企業MBBも1996年までの17年間、劣化ウラン弾をテストしていたというのです。

■ 帰還兵に広がる被害

 湾岸戦争症候群に苦しむ帰還兵は、15万人に上ると言われますが、アメリカ、イギリス両政府は、劣化ウラン弾との関連性を否定しています。ギュンター博士は、ハンブルクで開かれた会議で、科学者と意見交換を行いました。アメリカの帰還兵に先天性の障害児が生まれる割合は、通常の3倍にも達するというデータが示されました。
 1991年の湾岸戦争で、米軍と英軍は初めて劣化ウラン弾を使用しました。兵士たちはその威力に驚きました。「劣化ウラン弾が命中したときの光景は、まるでスローモーションを見ているようでした。弾が装甲を突き抜ける間2−3秒の間があって、それから戦車が爆発したんです。まるでバターにナイフを刺すように簡単に貫通しました。」(英湾岸戦争帰還兵ケニー・ダンカン)。しかし、帰国してから多くの兵士が身体の異常を訴えたり、子どもに先天性異常が現れたりしたのです。
 ケニー・ダンカンの息子ケネスは9歳です。一見、健康に見えますが、足の指はくっつき、耳にも異常があります。免疫力が弱いため、ひどく疲れやすく、頭痛に悩まされています。父親のケニー・ダンカンは、湾岸戦争で破壊された戦車の修理に当たっていました。中には、味方の誤射で劣化ウラン弾に被弾した戦車もありました。
戦争前は健康だったケニーが、一変して体調不良を訴えるようになりました。ケニーの妻は次のように述べます「特にこの5年ほどで症状が悪くなりました。夜中にひどいけいれんを起こすようになったんです。引きつけを起こしたように筋肉がけいれんして、薬物治療を受けていますが、心配で仕方ありません。」
 生化学者アルブレヒト・ショットは、ケニー・ダンカンの遺伝子を調べました。その結果、著しい数の異常を確認しました。「ケニーは、かつて健康体で何の問題もありませんでした。染色体も正常だったんです。しかし、放射線にさらされてから、染色体は傷つき始めました。問題は、ケニーだけではありません。彼には、3人の子どもがいますが、調べたところ、全員に深刻な遺伝子異常が見られるんです。劣化ウランは燃焼すると微粒子になり、身体のあらゆる部分に入り込みます。リンパ球、脳や肝臓、そして、精子や卵子にも入り込んでしまいます。そのため、ケニーの子どもたちに遺伝子異常が出てしまったのです。当然、孫の世代にも同じように異常が受け継がれる恐れがあります。そのまた次の世代にもです。」(ショット)。2004年2月、裁判所は、ケニー・ダンカンの健康被害を劣化ウラン弾による汚染が原因だと認めました。帰還兵の病気が、劣化ウランのせいだと認められたのは、これが初めてでした。
 湾岸戦争時、イギリス軍の戦車に劣化ウラン弾を積み込む任務に就いていたジェニー・ムーアは、戦後、双子を妊娠しましたが彼女にも異変が現れました。ムーアは、二度目の妊娠でも子どもを流産したのです。胎児には眼がありませんでした。
「新聞を読んで、眼のない子どもがアメリカでも大勢生まれていることを知りました。それで私の赤ちゃんも湾岸戦争症候群の犠牲になったんだと分かったんです」(ムーア)。ジェニー・ムーアは憤ります。「もしもイギリス政府が、帰還兵5万2千人が全員死ねば、この問題は自然に解決するとほんの少しでも考えているとしたら、それはとんでもない間違いです。5万2千人の殆どが家族を持っているからです」。

■ イラク現地汚染調査

 ウラニウム医療研究センターのウェイマン氏とシェイクリー医師はバグダッドやバスラなど10数カ所を調査して回りました。各地でホコリや住民の尿サンプルを採取しました。激しい戦車戦が繰り広げられたバグダッド南部で、彼らは土壌を検査し、劣化ウランの痕跡を探していて、その危険な場所のすぐそばで食べ物や飲み物が売られているのを発見します。「ここは戦車戦のあった場所なんです。すぐそこにも戦車が撤去された跡が残っているでしょう。放射線量は、通常のおよそ100倍から150倍で、これまでで一番高い数値です。」(ウェイマン)「当然、立入禁止区域にすべきレベルです。とても人が行き来して良いような状態ではありません。」(シェイクリー)。また、彼らはバグダッドで空爆によって破壊されたビルも調査しました。彼らはテレビ局が6階分の床を突き抜けた爆弾で破壊された事を知って、このレーザー誘導爆弾にも劣化ウランが使われたのではないかと考えています。
 イラクのバスラでは、湾岸戦争でもイラク戦争でも激しい戦闘が繰り広げられました。イギリス軍は、汚染された戦車はすでに撤去したと言います。しかし、大規模な戦車戦があったアブ・カシブ近郊でウェイマン氏は、劣化ウラン弾で破壊された戦車を何両も見つけました。「この戦車の放射線量は、自然界に存在する放射線量の2万倍もの値を示しています。」とウェイマン氏は言います。撮影の中でもガイガーカウンターの針は振り切れ、アラームが危険を知らせています。彼らは更に劣化ウラン弾が当たった近くの製氷工場の貯蔵タンクも調べます。この水からは、WHOが定める安全基準値の6倍から8倍の濃度のウランが検出されました。

■ 分析結果は住民、兵士の劣化ウラン汚染を証明

 ウェイマン氏らが採取したサンプルは、ドイツのフランクフルトにあるゲーテ大学鉱物学研究所で地質学者アクセル・ゲルデス博士が超高感度の質量分析計で調べています。ゲルデス博士は次のように述べます。「バグダッド南部には、激しい戦闘が行われた場所があります。そこで集めた土壌サンプルから劣化ウランを検出しました。
その濃度は、あまりにも高く、放射線の量は、自然界にはあり得ない程でした。」「(こんな場所では)当然のことながら、劣化ウランを吸い込んでしまう危険性が、格段に高くなります。しかも、戦闘地域に近づかなければ安全というわけではありません。劣化ウランを含んだチリは、周囲一体に飛び散るからです。劣化ウランは、土壌の中に、半永久的に残り、住民は、危険にさらされ続けるのです。」「ウェイマン氏とシェイクリー医師は、イラクに2週間滞在しただけですが、特にウェイマン氏は、高いレベルで汚染されていました。もちろん、現地の人々は、汚染される危険が遙かに高く、もう何年もそういう状況の中で暮らしていることになります。」
 ゲルデス博士は、イラク戦争の帰還兵から集めた尿のサンプルも分析しました。これからも高濃度のウランが見つかりました。「帰還米兵の尿のサンプルを分析したところ、4割近くから劣化ウランを検出しました。被験者の3割から4割が、汚染されていたのです」。さらに、イラクで集めた土壌や尿のサンプルを超高感度の装置にかけたところ、殆どから高い放射性のあるウラン236が検出されました。「多くのサンプルからウラン236を検出しました。これは自然界には存在しないウランなんです。ウラン236は、原子力発電所でできる同位元素です。また、プルトニウムもできます。問題は、このプルトニウムが混入している危険性があると言うことです。もちろん、そのほかの放射性物質も含まれているかも知れません。それらは、人体に大きな影響を及ぼすことになります」。

■ ボスニア、セルビア、NATO軍兵士にも汚染が

 番組はイラクだけでなく、アメリカとイギリスが1995年に劣化ウラン弾を使用したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争も取り上げます。サラエボの西、セルビア軍の工場があったハジッチは、NATO軍の爆撃にさらされました。今でもこの村では、放射線が検出されます。スラヴコ・ズドラーレ医師は「私たちは紛争後、この地域の白血病の発症率を調べました。すると、紛争の前よりも遙かに発症率が上昇していることが分かったのです。特定の血液疾患で見ると、紛争の前と比べて5倍から6倍にも上げっているものもありました」と言います。ハジチが空爆された後、3500人の住民が、ボスニアのセルビア人地区、ブラトナスに移住しました。しかしこの時すでに、多くの住民が、健康を損なっていたと言われています。その後、5年間で、ハジチから移住した3500人の内、ほぼ3分の1に当たる1112人が、悪性の腫瘍が原因で死亡しました。
 セルビア共和国のノヴィパザルは、コソボ自治州との境にあるイスラム教徒の多い町で、ここにも劣化ウラン弾が投下されました。住民の家屋も被害を受けました。ボスニアと同じく、ここでも悪性腫瘍の発症率が急増しました。特に、白血病は、若い人たちの間にも広がっています。
 被害を受けているのはバルカンの住民だけではありません。コソボ自治州に駐留しているイタリア、スペイン、ポルトガルの兵士にも白血病が広がっています。ドイツ軍には、健康被害はないと発表されていましたが、内部資料によって、プリツレンの兵士たちが、肺疾患にかかっていたことが明らかになりました。

■ この子はもう助からない−−子どもたちに多発する病気

 ギュンター博士は、バスラの産科小児科病院に向かい、恐れていた事態を目の当たりにしました。湾岸戦争後、悪性の腫瘍を発症した人は10倍に、先天的に障害を持つ新生児の数は20倍に跳ね上がったのです。バスラ産科小児科病院の医師ジャナン・ハッサンは次のように言います。「バスラと同じように、今度はバグダッドで悪性の腫瘍が急増するのではないか、と心配しています。イラク戦争では、バグダッドの広い地域が、劣化ウラン弾の爆撃にされされたからです。この病院では、頭や手足、鼻や眼の無い先天性の障害を持つ赤ちゃんが産まれています。戦争前は、出産したお母さんは、まず男の子か女の子か、と聞いたものでしたが、今では真っ先に、異常はないか、と聞くようになりました。障害を持つ赤ちゃんを3人産んだ女性は、夫から離婚されてしまいました。夫は、赤ちゃんの異常を産んだ妻のせいにするのです。みんな兵士の子どもたちです。悪性の腫瘍は、大人だけでなく、小さな子どもたちにも広がっています。特に白血病やリンパ腫が多く見られるようになりました。」
 ギュンター博士は言います。「こうした子どもたちが助かる見込みは殆どありません。本当に忌まわしい状況です。見ているのがつらいです。殆どの場合、母親が子どもを家に連れて帰り、そこで亡くなります」。撮影から二日後、その7歳の少年も亡くなりました。




関連:

 「UMRCイラク・ウラン被害調査カンパキャンペーン