子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
S881208 給食
アレルギー
2004.12.11.新規
1988/12/8 北海道札幌市立新琴似小学校で、そばアレルギー症の穴原哲夫くん(小6・11)が、給食の五目そばを食べて、帰宅途中にぜんそく発作のために窒息死。
経 緯 5年生の時にもぜんそくの発作があった。発作がひどい時には、哲夫くんを保健室に連れていき、養護教諭がみたり、学校職員や担任がつきそって帰宅させたこともあった。

同小学校ではおおむね月に1回は給食にそばを出していた。しかし、哲夫くんは5年生以後、事故当日まで、学校給食でそばを食べたことはなかった。

1988/12/8 給食時に哲夫くんは、担任に「給食のそばを食べていいか」聞いた。担任は、「うちから食べていいという連絡が来ていないから食べないように」と注意。
哲夫くんは、それでもそばを3分の1ほど食べ、「口の周りが少し赤くなっている」と担任に告げた。
担任が調べたところ、特に異常はみられなかった。哲夫くんに「そばを食べたらどうなるか」と聞いたところ、「顔じゅうにぶつぶつができて2、3日は治らない。病院に行って注射しなければならない」と話した。

担任は母親に電話で連絡。状況を説明したところ「帰してほしい」と言われ、哲夫くんをひとりで帰宅させた。養護教諭にはみせなかった。

午後1時25分頃、哲夫くんは学校を出た。
2時頃、帰宅途中の道路端で、ぜんそくの発作をおこして倒れて吐いた。それを呼吸で吸い込んで気管に詰まらせ、意識不明。通行人に発見されて病院に収容された。
2時20分に死亡。直接の死因は異物誤飲による窒息死。
被害者 哲夫くんは幼少時から気管支ぜんそくの持病があった。7歳から食物アレルギー症のひとつ「そばアレルギー」にかかっていた。
親の対応 1987/4/ 保護者は、「児童調査票」に「給食で注意すること、そば汁」「小児ぜんそくがありますので、ご迷惑をおかけすることがあるかと思います」と書いていた。

4/ 給食に親子そばが出たときに、哲夫くんは担任に、「そばは食べられない」と申し出ていた。

5/ 家庭訪問で、母親は担任教師に、「そばを食べると具合が悪くなる」「(ぜんそくは)発作を押さえる薬を持っているので、その薬を吸引して休んでいれば大丈夫」と説明していた。

学校側から母親に対して、給食でそばが予定されているときは、「おにぎりかパンを持参させるように」という要請が行われていたが、おにぎりやパンを持たせることはなかった。

事故当日、母親は事前の「給食だより」で、五目そばが出ることは知っていた。
担 任 5年生のときからの担任。3、4年時の担任から、哲夫くんのぜんそくがひどいという引き継ぎを受けていた。
裁 判 両親は、給食のそばを食べて気分が悪くなったのに、学校が適切な処置を取らなかったため死亡したと主張。

学校ないし担任教諭、札幌市教育委員会に対して、安全配慮義務違反、または哲夫くんの症状に応じた適切な対応をとらなかった過失があったとして、債務不履行または国家賠償法第1条ないし民法第715に基づいて、設置者である札幌市を相手取って、約3950万円の損害賠償を求めて提訴。
被告(学校)側の言い分 ・そばアレルギーは一般に知られておらず、危険を予知できなかった。
・国からも事故防止策についての指導や勧告はなく、未然に防止できる状況ではなかった。
と反論。
原告側の主張 「そばアレルギーは食事性抗原に原因するアレルギーであり、生体にそばアレルギー抗体が生産されているところに同抗体が再び侵入してくると抗原・抗体反応が起き、アレルギー反応が惹起されて、アレルギー疾患が発症するものである。
(中略)同抗原の除去療法は、それを含んだ食事を食べないようにすることが重要であり、そば枕も使用してはならないといわれている。アレルギー性疾患には気管支ぜんそく等が上げられる。
(中略)ぜんそく発作が重くなれば呼吸困難、意識喪失、そして窒息死に至る。しかも、これらの現象は短時間に生起しやすい。ぜんそく発作は時とところを選ばない。患者が発作に見舞われた場合、救急医療が間に合うかが生死を分けることもある。アレルギー性ぜんそく患者は人口の2パーセントに上り、そばアレルギー患者はその1.46パーセントの割合を占めるとの報告もある。」

「そばアレルギーは昭和17(1942)年にわが国に紹介されて以来すでに47年余りを経過しており、ぜんそくの診断、治療に携わる医師にとっては周知の疾患であり、一般向け書物でも昭和39年当時そばがアレルギーの原因として紹介されており、また、昭和55(1980)年1月17日付けの朝日新聞には、給食でそばを食べた児童のぜんそく発作の記事(堺市の養護教諭の経験談)が報道され、昭和62年1月23日付けの同新聞でも具体的な症例を上げてそばアレルギーでアナフィラキシー・ショックを起こす等の危険性を示唆する記事が報道されている。」
1審判決 1992/3/30 札幌地裁で、原告の訴えをほぼ全面的に認め、同市に1564万円の支払い命令。

畑瀬信行裁判官は、「札幌市教委には、そばアレルギー症の情報を校長や担当職員に知らせ、事故を未然に防ぐ義務があるのに怠った。担任教諭も哲夫君の訴えを受けた際、養護教諭にみせ、さらに帰宅の際に教師を付き添わせるなどの措置が必要だった」などと管理・責任体制に問題があったと指摘。一方、「母親は事前に渡されるメニューで、この日にそばが出ることを知りながら、代替食を持たせず、当日帰宅する際も迎えに行かなかった」として過失相殺を認める判断をした。
控訴審 1992/4/13 被告の札幌市は、事故当時、そばアレルギーは一般に知られておらず、危険を予知できなかったとして、高裁に控訴。

1993/2/10 札幌高裁で和解。
・担任教諭の義務違反は前提としない。
・市は哲夫くんの死亡について哀悼の意を表す。
・市が両親に和解金800万円を支払う。
・両親はそのほかの請求を放棄する。
参考資料 1992/3/31讀賣新聞(月刊「子ども論」1992年5月号)、1992/4/13朝日新聞夕刊(月刊「子ども論」1992年6月号)、「学校給食ニュース4号」1998年7月、「学校事件 そのアカウンタビリティ」/下村哲夫著/2001.5.10ぎょうせい発行



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