子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
010324 学校災害 2002.3.26. 2003.6.15 2004.12.19更新
2001/3/24 岩手県沢内村の村立猿橋小学校で、春休みにグランドに友だちと遊びに来ていた田中綾太くん(小5・11)が、融雪作業でつくられた雪氷塊(高さ150センチ、幅170センチ、厚さ50センチ、重さ220キロ)の下敷きになって意識不明の重体。5月18日、多臓器不全で死亡。
経 緯 当日は学校の春休みで、よく晴れて暖かい日だった。

午前中から、綾太くんは自宅で、友人のBくんと2人で遊んでいた。

13時過ぎ頃、綾太くんとBくんは、いつも通っている猿橋小学校の児童昇降口付近の校庭に遊びに行った。

綾太くんとBくんは、前日(3/23)の離任式のための登校日のときと同じように遊び始めた。綾太くんはつくりだされた雪氷塊の陰に何気なく隠れていた。

13時30分頃、綾太くんを驚かそうとしたのか、Bくんが雪氷塊に乗ったか、あるいは押したところ、雪氷塊もろとも倒れ、綾太くんが下敷きになった(警察情報)。

13時40分頃、Bくんが近くの家に助けを呼びに行き、Cさんが学校に救出に向かう。

13時50分頃(事故から20分以上経過)、綾太くんの自宅の祖父母のところに事故の知らせが届く(両親は綾太くんのきょうだいを連れて、買い物に出ていた)。

Cさんが小学校に駆けつけたときは、綾太くんはうめき声をあげていた。
自宅に連絡が来るまで20分以上かかり、駆けつけた綾太くんの祖父が渾身の力で雪氷塊を持ち上げたときは、綾太くんは意識不明で、呼吸・心臓が止まっていた。

救急車を呼んでいなかったので、祖母が後から駆けつけた近所のDさんに救急車を呼んでもらった。救急車が到着するまで、祖父が心肺蘇生法を施していた。

14時10分に救急車が来て、地元の病院に運ばれる。心臓が動き出し、呼吸がもどったが意識は戻らない。

盛岡にある高次救急センターに移送され、「窒息状態が長く続いたため、脳にかなりのダメージがあり、内臓にも大きな障害が出るかもしれない非常に厳しい状態」と告げられる。

5/18 56日間、父母がつきっきりで励ましたが、一言も言葉もないまま、12時51分、意識不明のまま亡くなる(11歳4か月)。

5/20 葬式。
雪氷塊 沢内村は秋田との県境にあり、積雪量が2メートルを超えることもある。

事故のあった場所はいつもは、そり遊びができるくらいのなだらかな雪の山になっており、子どもたちの遊び場だった。

3/19 事故の数日前、積み上げた雪を融解するため、いつもの雪山に手を加えて、猿橋小学校では初めて、雪氷塊にしていた。

【雪氷塊ができるまで】
(1)校舎前の通路に積もった雪を除雪車でかき、通路突き当たりの児童昇降口のわきに集めた。
(2)滑り台のように積み重なった雪の山を除雪車が一旦崩しながら踏み固めて、排土板で刻みを入れた。
(3)氷ブロックのような硬い雪と氷の塊になる。
(4)児童昇降口のすぐ脇に、ブロック状の雪氷塊が、いくつも立ち並んでいる状態になっていた。雪氷塊の大きさは、高さ150センチ、幅170センチ、厚さ50センチ、重さ約220キロ以上。

3/25 事件翌日の早朝、二次災害を防ぐためといって、保護者や子どもたちが来る前に雪氷塊を踏み固めて平らにならしてしまっていた(事故報告書から)。
調査・ほか 遺族が、学校、教育委員会、村に、事故状況の説明を求めるが、何も話されない。

事故から10日ほどたってからはじめて、刑事に当日の状況を説明される。
それまで遺族は、いつもできている雪の山で、なぜ綾太くんが下敷きになったのか、わからないでいた。

2001/6 村議会で、校長が注意していなかったことが明らかになる。

2001/7 事故前日(2000/3/23)、離任式のために児童が登校した際、事件現場でたくさんの子どもが遊んでいたが、教師らは注意もしていなかったことが判明。

遺族が、個人情報開示で取り寄せた写真を見せながら、地域住民、保護者からアンケートをとる。学校・村側が住民に対して、事実報告をしなかったので、ほとんどの人が、いつもできている雪の山がどのように崩れたのか不思議に思っていた。
事故報告書・ほか 2001/7 教育次長から、「事故報告書は公文書になるから見せられない」と言われる。

2001/11 個人情報開示で、県の教育委員会から現場の写真と事故報告書を取り寄せる。

子どもたちへの注意や保護者や住民に渡すプリントなどには、「危険な場所では遊ばない(道路、せき、雪の落ちてくるところ)」とあるが、事故報告書には「『雪山に注意しろ』と言った」と書いてあった。
学校・その他の対応(遺族の言い分) 学校長は雪を塊にする作業を見ていながら、いつ作業をしたのか、どのような作業をしたのか、子どもや親に報告や注意を呼びかけなかった。

学校の校庭はいつも開放状態で、職員や教育委員会も休みの日には子どもたちの遊び場になっていることは知っていた。

事故当時、学校は春休みで、学校内に教員はいなかったが、敷地内の教員住宅には校長がいた。

学校は教育委員会に、教育委員会は村にと責任の所在があいまい。

校長は事故後、数えるほどしか田中家に来ない。葬式後は2回のみ来訪。訪れても何も言わない。
学校の対応
(学校の言い分)
2001/4 学校側は「例年やっていたこと」「自然災害だ」という。

校長は新聞記者に、「子どもたちには、雪捨て場で遊んではいけないと注意していただけに残念。再発防止に務めたい」と話した。

「除雪は毎年やっていることです。暖かく、融雪も進んでいて、事故は予測できない状態でした。“危険な場所には行くな”と生徒に注意もしていたつもりです」「事故後、私個人では病院も含めると30数回、お宅にうかがったりして、誠意はつくしております。連日おじゃましても大変でしょうから、遠慮していた部分もありますが」と話した。(「女性自身」より)
村・その他の対応 村長は「何かあったら言ってくれ」と言うが一方で、「あまりマスコミに騒がれると、出るものも出なくなる」「なに、俺が悪いってが、悪い所を指摘してください。私は村民を代表している」と開き直りとも受け取れるような言葉を言われる。

当初、「自然災害」として扱われる。

除雪作業を担当する村役場の建設課は、「校庭での除雪は毎年のことで、あの事故もたまたま起こったものですから」と(「女性自身」の取材に対して)説明。

事故から3か月たっても学校と村役場は改善策を出さず、「検討中」とのみ答える。

「子ども110番の家」で危険性を認識していたのなら、学校に伝えないから事故が起きた。村は安全対策をしていたという。

事故のことは、村の広報誌や駐在所だよりにも取り上げられない。

2002/3 「村内どこでも例年、塊にしてきたが事故は起きなかった」「気温が例年より高かったので倒れることが予測できなかった」と弁明。
誹謗・中傷 「綾太くんの父親が他の地域の除雪をしていて危険性を子どもに教えなかったから事故が起きた」「お金が欲しくて騒いでいる」などと言われる。
報 道 事故直後は一切報道されなかった。綾太くんが亡くなって初めて取材が来る。
村・その他の対応 村側は、2002年には3000万円、2003年には4000万円を支払う内容の和解案を遺族に提示。しかし、
・上記金額は実質的には過失相殺されたうえの金額であり、その理由について、合理的な説明がなかった。
・事故については、形式的な謝罪だけ
・真摯な事故原因の究明もない
・その結果再発防止についてもなんら具体性を持つ提案ではなかった。

また村側は、毎回保険会社の担当者を同席させて、金銭の合意のみを目的としたかのような交渉だった。
処 分 2004/3/31 村立猿橋小学校の校長が、危険防止策をとらなかったことを理由に刑事罰。
裁 判 2003/5/16 両親が沢内村に7153万円の損害賠償を求めて提訴。
原告側の主な主張 ●危険防止措置の懈怠(けたい)
1.本件事故発生現場たる校庭の内約1000uの広範囲において、例年行われていない除雪作業方法によって巨大で不安定な雪氷塊が多数作出され、それが作業方法の手順に従った結果、危険な状態のまま放置されたまま、日照による融解を待っていた。
2.しかし、猿橋小学校においては、児童や保護者に対し、除雪作業により校庭に巨大な雪氷塊ができることや、これらに雪氷塊が日照により地面側から細くなり、容易に倒壊する危険のあること等の、事故予防の注意警告は全くなされなかった。現に本件事故前日にも、多くの児童が雪氷塊に乗るなどして遊んでいたのである。
3.さらに、猿橋小学校では、上記のように危険な状態の雪氷塊が多数あるにもかかわらず、雪氷塊の放置されている校庭付近を立入禁止にする措置をとるなど、危険防止のための具体策を何らとっていなかった。
4.そのため、保護者らは、安全であるはずの学校の校庭が、危険な状態であることを知らなかったし、児童には雪氷塊の危険性についての認識がなかった。

●営造物の設置及び管理の瑕疵(かし)
1.そもそも、小学校の校庭は、判断能力が未熟な小学生が遊ぶことを予定している場所であり、その性質に適した安全な状態が維持されなければならない。しかも、子供は遊びを通して成長し、好奇心が旺盛で行動が活発であり、時には冒険的な行動に出ることが多々あるものであることから、そのような子供の特質を配慮して、子供の安全が確保されるように維持管理されなければならない。
2.ところが、猿橋小学校の設置者である被告は、その維持管理する猿橋小学校校庭約1000uの広範囲において、危険な大きさ・重さの雪氷塊多数を作出し、太陽光の日照による自然融解に任せるという、極めて危険な除雪作業を行いながら、その作出された雪氷塊を放置しつづけたもので、この点で被告には、その校庭管理について瑕疵があるというべきである(第一の瑕疵)。
さらに、そのことについてなから児童らに対する具体的な防護策の措置もとらなかった。これらは、道路工事などにおいて、危険な箇所について行うべき措置と同様の当然の措置というべきであって、これを怠った被告には、校庭管理について第二の瑕疵がある。

これらにおいて、被告には校庭の管理に瑕疵があった。よって、被告は、国家賠償法2条により、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。
裁判結果 2004/8/6 盛岡地裁にて、和解成立。
・村側が、遺族に6073万404円を支払う。(村が加入している賠償責任保健の保険金を充当)
・村の広報にて事実説明をする。(広報さわうち 和解内容 参照
内容で和解。
参考資料 週刊「女性自身」2001年7月10日号、2001/6/2岩手日報、2001/6/3毎日新聞、2001/6/3日日新聞、遺族の話し、遺族の訴状と記者会見用資料広報さわうちNo.533、ほか



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