子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
970823 暴行殺人 2003.6.22新規
1997/8/23 兵庫県加古郡稲美町で、県立農業高校の高松聡至(さとし)くん(高1・15)が、中学時代の友人たち10人から集団暴行を受けて、死亡(9/1)。
経 緯 1997/8/23 夜、11時半から12時の間、聡至くんは中学校時代の後輩に、「ストーブのポンプを『住吉さん』へ持ってきてくれんか」と電話で境内に呼びだされた。

待ち受けていた中学時代の同級生3人を中心に10人が、手拳や足、鉄パイプで殴りかかった。
聡至くんは逃げたが、自宅前で捕まって、畑の作物の添え木として使われていた角材を引き抜き、聡至くんをめった打ちにしたのち、境内に連れ戻した。

聡至くんは裸にされ、盗んだバイクでひかれた。髪の毛を切られて、タバコの火も押し付けられた。

聡至くんが口からあわを吐き出したのを見て、近所のもう一人の少年にやかんに水をくんで来させて、顔にぶちまけた。聡至くんがせき込んだため、「芝居や 芝居や」と囃したて、暴行を続けた。

約1時間にわたって暴行を行ったあと、少年たちは聡至くんの耳に火のついたタバコを突っ込み、放置したまま、カラオケに行った。
被害者 聡至くんは、中学校1年生の3学期から学校をさぼりがちになり、2年ではバイクの無免許運転で補導されたり、家出をすることもあったが、2年の3学期頃からは、農業高校の進学を望んで、家業を継ぐ気持ちになっていた。同級生の遊び仲間と少しずつ距離をとり、毎日、農作業を手伝うようになっていた。

1997/4 兵庫県立農業高校に入学して、寮に入っていた。
加害者 加害者は、内装工事手伝い、定時制高校1年、、とび職など10人(14-16)。聡至くんとは一面識もない少年もいた。
直後に逮捕された一人を除き、事件から数日間、友人宅などを転々と逃げ回り、9/9までに全員が傷害致死容疑で逮捕される。

8/23 少年たちは、その日、たまたま聡至くんの家に遊びに来ていた別の少年をリンチ。民家に逃げ込んで難を逃れていた。
加害者の言い分 夏休みに帰省してから、以前の遊び仲間と付き合わなくなったことから「付き合いが悪くなった。生意気なので」集団暴行したと自供。
加害者の親の対応 加害者の親の一部は、四九日まで毎日、高松家を訪問し、審判状況や結果、少年院を退院する期日などの情報を語った。

ただし、加害少年の保護者のひとりは退院後、「事件のことには、なるべく触れないようにしている。息子が思い詰めたら前へ進めないから、親子でじっくり話したことはない。そういうことは少年院の先生にやってもらった」と話す。(「少年に奪われた人生/藤井誠二/朝日新聞社 より)
加害者の処分 10/14 神戸家裁姫路支部は、8人を中等少年院、2人を初等少年院の保護処分にした(逆送せず)。1年以上の長期処遇。
加害者の謝罪 1997/10 主犯格のAから手紙が届く。
「僕は10月14日に審判があって、その時に高松君のことを考えていたら涙が出てきました。僕は今、少年院にいるけどメチャクチャ後悔してます。僕は今回のことをしなかったら、高松君は死ななくてよかったし、僕もこんなきつい少年院にこなくてもよかったのにと思うと、後悔しています。それに、少年院では今回のことではメチャクチャ反省をしています。僕は何もしていない高松君を死なせてしまって、おっちゃんやおばちゃんにはメチャクチャ悪いことをして、本当にすいませんでした」などと書かれていた。
ほかの少年たちからも手紙が届く。(ただし、2000/6には再び集団暴行事件を起こす)

Bからも、
「今は本当に申し訳ないことをしてしまったと言う気持ちでいっばいです。もし、ぼくにすぐに流されてしまう気の弱い意志じゃなく自分の意志をしっかり持っていれば、あの日、みんなを止めていれたのではないかと自分の意志の弱さに情けなくなりました」という手紙が届く。(2000/6の集団暴行事件にも加担)

少年たちが退院するたびに、親に付き添われて、高松家に謝罪に訪れた。
泣き崩れる少年もいたが、聡至くんと一面識もない少年はきょとんとした表情で、反省の色が見えなかった少年もいた。

少年院から退院後も、同じメンバーで深夜まで少年たちは夜遊びをしていた。
裁 判 2000/2 両親が、加害少年10人と親19人の計29人を相手どって、1家族あたり2300万円を求める損害賠償を請求して神戸地裁姫路支部に提訴した。

加害者らは、少年院での収容を終わった後でも、反省の兆しは見えず、その犯した罪の重さを十分認識しているとは到底評価できないとして、罪の重さを認識させ、再犯を防止するために、一般の慰謝料とは別に「懲罰的慰謝料」2000万円を載せて、損害賠償請求。
少年法 少年法で、加害少年についての記録一切は遺族に開示されなかったため、事件がどのようにして起き、なぜあのようなひどい結果になったのか、事実を何も知らされないできたため、民事訴訟を提起する際、刑事記録の大半を家裁から取り寄せた(謄写代だけで80万円以上)。
ただし、少年の社会記録(生い立ちや生育記録等)の公開は、少年のプライバシー保護をうたった少年法に抵触するとの理由で、見せたがらなかった。
加害少年の調書の開示も家裁に求めたが、部分的に非公開とされた。
裁判の内容 弁護士のほか、原告である父親が、加害少年らへ直接質問することが許された。
また、母親も、加害少年らの母親へ直接、質問することが許された。
その後 2000/6 加害者10人の内、聡至くんの事件の主犯格のAとBが、兵庫県高砂市内の駐車場で起きた集団暴行事件に加担。少年院送致になる。
もう一人は、たまたま交通事故を起こして松葉杖をついていたため、暴行には加わらなかったが、止めなかったとして、試験監察処分。

ほかの2人を含めて、10人中4人が再犯(2002/8/現在)。
参考資料 1997/9/2朝日新聞(「いじめ問題ハンドブック」/高徳忍著/つげ書房新社)、「少年に奪われた人生 犯罪被害者遺族の闘い」/藤井誠二/2002.8.25朝日新聞社



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