子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
960410 いじめ自殺 2003.6.22 2003.8. 2005.6.25更新
1996/4/10 千葉県流山市の市立南部中学校の男子生徒Aくん(中3・14)がマンション10階から飛び降り自殺。
経 緯 1995/4/ 2年の1学期に、Aくんは学級委員長に立候補。まとめ役として活躍していた。

10/ 2年生の2学期、学級委員長として注意をしても聞き入れない一部のクラスメイトから反抗された。Aくんがまじめにやるよう、クラスに呼びかけたが、「いい子ぶるな」などと言われ、対立するようになった。Aくんは「クラスがまとまらない」と悩んでいた。一人でいることが多かった。
2、3学期は授業を欠席し、部活動にだけ出ていたこともあった。

11/ 後半には、机を倒されたり、ノートに「調子に乗るな」と落書きされたりしていた。

1996/3/ 2年生の学期末、当時の校長に「クラスを替えてほしい」と頼んでいた。

1997/4/ 3年生になってもクラスは替わらなかった。学級委員長からははずれた。
授業には出たが、担任教師とはうまくいっていなかった、

4/9 班編成の問題で担任に不満を表明。

4/10 給食時間前、4時限目の家庭科の授業中に表情が暗くなり、うつむいて泣いていた

授業終了後、給食時間中にAくんはジャージ姿のまま
教師に無断で下校。
午後1時頃、捜しに来た担任教師がAくんの自宅
前で見つけ、「ゆっくり話そう」と言って 歩み寄ったところ、Aくんは無言で、泣きながら走り去っていった。
約50分後、別棟のマンション10階から、手すりを乗り越え、飛び降り自殺。
いじめ態様 同じクラスの生徒らから、机をひっくり返されたり、ノートに落書きされる、無視されるなどのいじめを受けていた。ズボンを脱がされたりしたこともあった。
被害者 1、2年生の時に学級委員長を務めるなどまじめで責任感が強かった。成績は学年でトップクラス。
校長は事件後、Aくんのことを「まじめすぎて親近感に欠け、一般生徒との距離があった」と話した。
父親は米国に赴任していて留守だった。
親の認知と対応 1996/1 2年の3学期に母親は教頭に「いじめを受けているので何とかしてほしい」と5回にわたって相談していいた。3年生になる新学期から担任(20代後半の男性)やクラスを替えてくれるよう要望。

家で、「死にたい」ともらすようになっていた。

Aくんの死後、母親は校長に「この自殺はいじめによるものだと受け取っています」と話した。
担任の対応 同級生たちには、担任教師はAくんより、「騒ぐ生徒グループのほうが好きだった」と映っていた。
Aくんは担任に何度も涙を見せていた。
学校の対応 1996/3/ 母親の相談を受けて、学校が生徒に注意をするなどしたため3月はいじめが収まっていた。
3年時に、クラス替えはしなかったが、担任を替えた。

校長は「いじめは確認していない。教師とのトラブルも聞いていないとした。
文部省の対応 4/12 事件報道を聞いた(4/11)奥田幹生文相の指示で、文部省幹部が異例の現地調査。千葉県教育庁船橋地方出張所で2時間余り実施。千葉県教育長、流山市教育庁、校長らが対応。
1.いじめ問題で文部省が通知した対策についての取り組みがきちんとなされているか。
2.文部省の対策に不十分な点があるか。
が主な調査内容。
教育委員会の対応 流山市教育委員会は、「公正・公平の立場で真相に迫ってほしい」との観点から、第三者機関の事故調査委員会に調査を依頼。
調査委員会の対応 教育、法律、カウンセリングなど様々な分野の専門家5人からなる調査委員会(教育学の千葉大教授が代表)は14回の会合を開き、学校関係者や同級生、遺族らから聞き取り調査を行った。
1996/7/29 報告書を作成。
調査報告書 同級生らはAくんを「明るく元気で積極的で、頭がいいと認めていた」半面、「思いこみが激しく、自分の意見を通す」と見ていた。その結果、「まじめさを大切にする当該生徒(Aくん)と他の特定の生徒の文化の対立の中で、結果として孤立していったと思われる。」

2学期に机をひっくり返されたり、ノートに「調子に乗るな」と書かれたりした事実について「いじめの一つであったと考えられる。ただし、こうしたいじめ現象は2月、3月にはみられなかった」と表面的にはいじめが解消したことを記している。

さらに、
1.(Aくんが)
通常の弱者ではない。
2.
金品を奪われたり、激しい苦痛を伴う肉体的な攻撃はない。
などの点から、
「これまで報告されているいじめとは異なるケース」とし、「いじめと自殺は直接関係ない」との見解を示した。

学校に対しては、
旧担任は「思春期の子どもの個々や集団を指導する際の細かな配慮が不十分であった」とし、学校については「学年会議の中で話し合ったり、組織的、計画的に努力するような形にはならなかった」「管理運営システムは整っているが、十分に機能しなかったため、校長への報告が遅れ、対応も後手に回った」と指摘。

「当該生徒の気持ちを旧担任が分かってくれないことに対し、授業欠席などの反発をするなど、しだいに級友や教師からも孤立していく。3年生になり、担任は替わったものの、学級は昨年度のままと認知し、気持ちが反映されていないことが、胸に重くのしかかり
衝動的に『自殺』という行為が生じたと考えられる」と結論づけた。
背 景 同中学校では、学級委員にクラスをまとめる役割を負わせる傾向が強かった。
他のいじめ 1995年度、同校では校長にまで報告があったいじめ事件が3件あり、内1件はAくんに関するものだった。
裁 判 1998/7/28 両親が市を相手取り、計7700万円の損害賠償を求めて提訴。
原告の主張 原告側は、「同級生から嫌がらせを受けており、学校側が適切な対応をとっていれば自殺は防げた」「学校側が母親の要望を聞き入れ、学級委員による生徒管理方式を見直したり、クラス替えを行ったりしていたら、自殺は防げた」と主張。
参考資料 1996/4/11朝日新聞、4/11朝日新聞・夕刊(「いじめ問題ハンドブック」/高徳忍著/つげ書房新社)、1996/7/31東京新聞(月刊「子ども論」1996年10月号/クレヨンハウス)、1996/4/12東京新聞、1996/4/14新潟日報(月刊「子ども論」1996年6月号/クレヨンハウス)1998/7/29讀賣新聞(月刊「子ども論」1998年10月号/クレヨンハウス)



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