子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
960125 いじめ自殺 2003.6.22 2003.7.1 2004.9.20 2005.7.更新
1996/1/25 愛媛県八幡浜市の市立松柏(まつかや)中学校の女子生徒(中2・14)が自室で首吊り自殺。小学校の高学年からずっといじめを受けていた。同じクラスの男子生徒らから、「くさい」「汚い」など言葉のいじめを受けていた。
遺 書・ほ か 机の上に置いた小型ノートの最後のヘージに「学校に行くのが怖くなった。生きていくのに疲れた。死にたい」と走り書きがしてあった。

八幡浜教育事務所の留守番電話に自殺をほのめかす女子生徒の声が録音されていた。
経 緯 小学校の高学年からいじめがはじまり、中学校になっても繰り返されていた。
女子生徒は2年生の1学期頃、「小学校時代にいじめられたことは忘れられない」と話していた。

中学2年生の2学期からは態度が暗くなっていた。

1995/12/初め 同じクラスの男子生徒数人に、人格を傷つけるような言葉でからかわれ、故意に避けて通られるなどのいやがらせを受けていた。

12/18 この日から登校しなくなった。

1996/1/8 3学期が始まった日に登校したあと4日間、登校しただけで、1/23から再び、学校を休んでいた。 
いじめ態様 「くさい」「汚い」と言ったり、容姿を中傷したり、廊下ですれ違う際、大げさによけたりした。
加害者 八幡浜署が女子生徒と同じクラスの男子生徒14人全員から事情聴取した結果、ほとんどが言葉のいじめや、そばに寄るのを大げさに避けたりしたことを認めた。しかし、いじめを繰り返していたのは数人だった。

いじめた生徒は「何を言っても黙っていて面白かった」と話した。
その他の生徒の対応 同じクラスの女子生徒らは、いじめには加わらなかったが、とくに助けようともしなかった。
学校の対応 1/29 全校集会で経緯や学校側の対応について説明。原因については、「同級生の男子生徒からのいやがらせやいじめによるもの」と認めた。「今回の不幸を引き起こした一番の責任は先生にある。本当にすみませんでした」と生徒たちに謝罪した。
担任の対応 1年生の時からのクラス担任。2年生に進級する際も、「私が一番に事情を知っている。責任をもって当たる」と申し出ていた。保護者間でも熱心な教師と評判だった。

1995/12/19 担任が女子生徒宅を訪問するまで、9月から12月まで、いじめが反復されていることに気づかなかった(学校側の言い分)。

1995/12/18 担任は、女子生徒が登校しなくなったため家庭訪問。母親から「男子生徒数人からいやがらせを受けている」と聞き、名前のあがった数名の男子生徒を呼んで事実確認をし、いじめをやめるよう個別に指導していた。

その後も、女子生徒が休むたび、給食や資料を届けた。また、クラスの女子生徒全員に励ましの手紙を書くよう勧め、家庭訪問の際、渡していた。

家庭訪問をするたびに登校しない理由を尋ねたが、女子生徒は「不登校の理由をいじめではない」と言っていた。

1996/1/9 「きのう、いじめられるようなことがあったの」と聞くと、「それはありません」と答えていた。

1/24 教材用のビデオテープを渡すために訪問した際、女子生徒は笑顔で受け取り、自殺するそぶりには見えなかった。
参考資料 1996/1/25 朝日新聞(「いじめ問題ハンドブック」/高徳忍著/つげ書房新社)、1996/1/27、1/28、1/29讀賣新聞・大阪(月刊「子ども論」1996年3月号/クレヨンハウス)、「いじめ自殺 子を亡くした親たちのメッセージ」/野口清人・折出健二・堀尾輝久著/1998.8.20かもがわ出版



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