子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
960122 いじめ自殺 2000.9.10. 2001.1.18 2001.2.25 2001.12.20 2003.6.22 2004.12.11更新
1996/1/22 福岡県三瀦(みずま)郡の城島町立城島中学校の大沢秀猛(ひでたけ)くん(中3・15)が、家族が当時働いていた工場が見える場所にある水田地帯の水門で、午後9時頃、首吊り自殺。
遺書・他 『お父さん、お母さんごめんなさい。僕がこの町にきて中一の初めの日に君に後ろからつつから(ママ)たり蹴られたりされて、ついおこって「いいかげんにしろ」と言った そしたら泣かされた その日からずっと一年間泣かされつづけた。何回か先生に言ったらB君もおこったが、僕が口が悪いと言われた。

そして、二年になって、口の悪いやつがいて そいつがいってもないことをいつも
君言いつけなぐられつづけた。

三年生になり 一学期は、なにもおこらなかったのでことしは、なにもないだろうと思っていたら 二学期の初めの日に
 君につよい人)がおまえに「スーパーファミコンをもってこい」と言ったといってきた 初めは、にげまわっていたが、スーパーファミコンぐらいいいと思いわたした。

そして こんどは、お金をようきゅうされ 初めは、わたさなかったが、「うでをおるぞ」と言われてわたしてしまった。
そして、ずっと お金をとられつづけている。いま三十万円ぐらいとられている 
またお金をようきゅうされた しかしそのお金がないので死にます。』

と遺書に書いていた。
いじめ態様 入学式当日、秀猛くんはBから一方的に暴力を受け、それに反抗できなかったことから、Bのいじめの標的になり、学校の教室内や廊下等で暴力を奮われたり、用事を言いつけられるようになった。

小学校時代過ごした大分県の郡部地方と福岡県の筑後地方では方言が違い、言葉遣いを真似て馬鹿にされることがあった。大沢家が家具製造の家業でペルー人やブラジル人を雇っていたことから、「ペルー、ペールー」と言って馬鹿にされた。弱い男という意味で、「ヘボ」とか「ホモ」などと呼ばれた。

殴る蹴るの暴力が日常茶飯事
にあり、ほかにも、壁に身体をぶつけられたり、部活中にボールを故意に蹴りつけられたり、教室の窓ガラスに蔑称を落書きされたりした。

中学2年次に、同
級生のCがサッカー部の副キャプテンに、猛くんが言っていない悪口を告げ口したことから、殴る蹴るの制裁が始まる。サッカー部内で、秀猛くんへのいじめが下級生にまで波及する。

1995/10 下旬頃、D(遺書にある「つよい人」)はEに、秀猛くんからスーパーファミコンを借りるよう指示。断られると
自分の壊れたスーパーファミコンと交換するよう命じて、スーパーファミコンを借りた。以降、Dに指示されたEから約12回合計30万円を超える金額を脅し取られた金を持ってこないと「腕を折る」と言われ、秀猛くんは家人から盗った金を渡していた。3年生時には、持病のぜんそくの治療代も病院に行かず、加害生徒に手渡していた。

DからEへの恐喝の指示は、校内や自宅への電話などで行われた。Eの秀猛くんへの恐喝は、授業の休み時間や放課後帰宅途中などに、校内の自転車置き場や学校近くのお宮などで行われた。

秀猛くんから巻き上げたお金は主に、学校内の男子便所内や学校の近くでDが頻繁に出入りしている唐揚げ屋横の路上等でEくんからDへ渡された。


Eは、Dから、CD3〜4枚、ゲームカセット3〜4個、玩具の拳銃、コンドーム3〜4個、腕輪、手袋、ライターなどの入った手提げ袋をわたされ、それと引き替えに秀猛くんから、お金を脅し取るよう命じられた。その際、
秀猛くんにコンドームをつけさせるなどの屈辱的な行為を強いたほか、猛くんから取りあげた金をピンハネしたり、そのお金を使って、秀猛くんにエロ本を買いに行かせたり、アダルトビデオを買いに行かせたりした

秀猛くんは、学級、サッカー部、学年、学校及びこれと密接に関連する生活関係において、恐喝を含むあらゆる手口によるいじめを長期間、多数の生徒から、繰り返し受けて、逃げ場のない状況に閉じ込められて、心理的・精神的に追いつめられていった。
担任の対応 中学1年生の5月に実施された家庭訪問の際、秀猛くんは担任のT教師に、「いじめられている」と泣きながら訴えた。その場にいた母親が秀猛くんに、どういうことか尋ねたが返事がなく、担任に確かめたところ、T教師は「何人かの生徒と行き違いがあります。その中の一人の生徒が小学校の延長のようなガキ大将の子でした。秀猛くんにもそのようなところがあります。しばらくすると中学生の自覚ができ、仲良くやっていけるでしょう。」と答えた。

T教師は、校内の相談室において、秀猛くんとBくんの2人を呼び出し、それぞれに対して説諭した。
2人に聴取したT教師は、事件のたびにBくんの言い分を容れて、けんかにすぎないと軽く受け止め、叱っただけでいじめの事実を認めず、秀猛くんには、「口が悪い」と咎め、それをもって解決したと判断して、それ以上の事実を明らかにしなかった。以後、秀猛くんはT教師に対して相談しなくなった。(同教師は、秀猛くんを1年次、3年次担当)

自殺直前、秀猛くんは、「先生に言っても、何も解決してくれんもん」と言っていた。
学校・ほかの対応 お通夜の席で遺書を公開するが、校長は「いじめはぜんぜんありませんでした」と発表。

遺族は、遺書に書かれているようないじめが本当にあったのか調査を学校に依頼したが、「調査は警察にまかせましょう」と言って応じなかった。

後にいじめを認めるが、「自分はいじめを見なかった」と主張。校長も担任も一度も謝罪なし。担任教師たちは親を交えて、あれはいじめではなく喧嘩だったと、子どもたちに演技指導をする。

両親が生徒10数人から聞き取りをした結果、「先生に何度もいじめを報告したが、相手にされなかった」という証言も。(後にメモを証拠提出)
事故報告書 城島中と町教委が作成した報告書はA4版で合わせて14枚。内、生徒5人からの聴取内容は1人1〜4行、3人の教師からの聴取も2〜6行で、ほとんどが黒塗りにされていた。
被害者 小学校6年間、大分県佐伯市に隣接する弥生町で過ごす。
小学校卒業と同時に家族とともに福岡県三瀦郡城島に引っ越し、同中学校に入学。

小学校からの延長でサッカー部に入部。
加害者 遺書に名前があった人たちが線香をあげにきて「申しわけありません」とだけ言う。
来なかった少年に理由を訊ねると、「大沢家に行く時は学校に報告しないとだめだと言われている」と言った。

加害者から話を聞こうとして電話をしても「受験に忙しいから」と断られる。直接自宅に遺族が出向いたところ、警察を呼ばれる。
警察の対応と加害者の処分 1996/3 県警は、「遺書の内容はほぼ事実だった」として、同級生男子生徒DE(共に15)の2人を恐喝容疑で書類送検。Bをはじめ、入学当初から殴られ続けていたと書かれていた生徒については、「古い話で生徒の記憶もあいまい。事実確認が難しい」として立件を見送った。

1996/7 福岡家裁久留米支部は、「2人が自殺直前の約3カ月間に大沢君から十数回にわたり現金計約30万円を脅し取っていた」「執拗にいじめ、恐喝した態様は悪質で、自殺という取り返すことのできない重大な結果を生じた」としながらも、「2人とも高校へ進学し、示談への話し合いも始まっている」として、
保護観察処分にした。(DE2人の両親とは示談成立)。
関 連 事件当時、城島中学校には、各学年ごとに不良グループが存在。秀猛くんの学年にも、男女それぞれ5〜6名で構成される不良グループがあった。同グループに所属するメンバーは、茶髪、短ラン、ボンタンなど特異な髪型・服装をしたり、喫煙も行っていた。盗んだバイクを乗り回して補導されたり、50円から100円単位の金銭を同級生に強要するなどしていた。

秀猛くん以外にも、不良グループから金銭を強要され、それを断ると弁当箱をひっくり返されたり、教室内を追いかけ回されて、一時、不登校になった生徒がいた。
また、警察の調書から、相当数のいじめや暴力等が頻繁に行われていたことが判明。
誹謗・中傷 事件直後から「生徒を警察に売るな」との声が教育関係者を中心にあがる。

初七日に行われたPTA総会で、遺族に対して「この校長が来てからよくなった」「親としての責任が足りない」「どうしてちゃんと子どもをみていなかったんだ」とPTAのなかから発言。また、「先生、子どもが悪かったら殴ってください」という意見も出て拍手がわく。学校におもねる500人以上のPTAを敵に回す。

校区内で、「家庭の問題で死んだのに、親が学校の責任にすり替えている」「先生は被害者だ。いじめなんかで死んで」「いじめられる大沢くん にも問題があって、いじめたほうだけ責めるのはよくない」「父親が保険金目当てに殺した」という噂が広がる。裁判についても、「金欲しさでやっている」という偏見も。遺族はいたたまれず、事件後転居。
裁 判 1
(一審)
1996/11 両親が真相解明を求め、城島中学校のとしての責任(=町の管理責任)を問う、損害賠償請求を提訴
1.秀猛くん自身の損害
2.原告ら固有の損害(応答義務違反)

訴訟の主な争点は、
(1)いじめの有無
(2)学校がいじめ防止策を怠ったか
(3)いじめと自殺の因果関係
(4)学校が自殺を予測できたか
被告の言い分 被告側は、警察がほとんどのいじめを「けんか」「単発的」と判断し、立件を見送ったことを理由に、町・県側は「反復・継続的ないじめはなかった」と主張。

1.B君とのトラブルは単なる喧嘩に過ぎない
2.原告らが主張するような秀猛くんに対する複数の生徒による反復、継続的ないじめは存在しない
3.DEによる秀猛くんに対する恐喝行為はいじめではないし、それが自殺の原因であったとしても学校の責任はない
 (1)恐喝行為は、自殺前数カ月間のものであり、反復・継続という事実はない(いじめではない)
 (2)恐喝行為は、
学校外で行われたのであって、学校側の指導が及び得ない場所でなされていたものである
 (3)本件のような
恐喝行為で自殺に至ることは、一般的にはない
自殺の原因は別のところにある
4.以上のとおり、
学校内でのいじめが存在しないのであるから、当然、教師にいじめを見逃したという過失も存在しない
5.
秀猛くんの死後、学校側は、原因を調査し誠実に回答した
6.両親にも責任がある
裁判資料 裁判に提出された城島署の捜査記録・『城島中学校におけるいじめ事案調査報告書』では、生徒や教師ら100人以上から聴取した結果として、「いじめ行為者」24人を特定。いじめ被害者は19名。他の生徒に対するいじめを含めて72件を列挙。

いじめの手口は、嫌がらせ、言葉、あだ名によるいじめ、告げ口、プロレスごっこ、真似て馬鹿にする、ふざけ、罰ゲーム、部活中のボール蹴りつけ、殴る蹴るなど、20数種に及んでいる。

学校は秀猛くんに対する暴行や金品の強要に関係した生徒が、報告書の5人を含め7人いると判断していたことが判明。

福岡県警の調べでは、恐喝は十数回、総額約30万円に及んでいた。
証 言  1年次・3年次の担任・T教師を含め4人の教師が証人として証言台に立ったが、異口同音に、「いじめはなかった」「学校内には不良グループは存在しなかった」と証言。

警察官が作成し、教師らが署名した供述調書との矛盾については、「事件後のショックで頭が混乱し、記憶がまとまらない状態でした」「(警察官から)大分、怒られ怒鳴られましたので、なかなか言えないという状況でした」「警察官が誘導するので、そう言われるとそうかもしれない、と思って記憶には反するが警察官の言うとおりの調書内容で了解した」と弁明。記載されている具体的ないじめ行為についても、「まったく認識していなかった」と答えている。

生徒たちの証言を求めて、代理人が生徒に事情を聞きに赴くが、多くは口を閉ざしたり、親が会わせない。なかには、「いじめはなかった」と言い切る生徒もいる。
判 決 2001/12/18 福岡地裁で判決。一部認容。町と県に計1000万円の支払いを命じた。

横山秀憲裁判長は判決理由で、「教師らはいじめを見聞していたのに、対策が不十分だった」
「学校はいじめを防止する義務を怠った。秀猛君が受けた精神的、肉体的苦痛に対する賠償責任がある」と述べた。
判決要旨 (1)判決はまず、いじめがあったことと、秀猛君がいじめを苦に自殺したことを認定

(2)「1年生だった93年5月の家庭訪問前にいじめを担任に訴えており、担任は遅くとも同9月には、いじめを認識できた」「1年生の時、担任に3回も相談したが、いじめと理解されず、教師への不信から申告しなくなった」「
誠実に対応していれば、いじめを早期に解決できた可能性がある」として、生徒の安全を確保すべき配慮義務に違反したと判断
学校側は全校生徒アンケートなどの対策をしたと反論したが、「現にいじめを受けている
生徒の実情把握や対策としては不十分」と退けた。

(3)両親が、事件後の学校の実態調査と両親への報告を「学校の義務」と主張し、いずれも「不十分だった」と訴えたことに対して、
学校が両親にいじめの事実を調査・報告する義務は認めたが、「相当程度詳細な報告もなされており、義務違反であったとまでは認められない」とした。

(4)自殺の予見可能性については、「いじめは悪質で重大だったが、学校でも家庭
でも自殺をうかがわせる様子はなく、予見可能性は認められない」として自殺についての賠償責任は否定。いじめによって受けた精神的肉体的苦痛のみを損害と認定した。

(5)学校側が主張する両親の責任については、「
いじめを受けることについて秀猛君に落ち度はなく、いじめを訴えたのに学校は適切な対応をしなかった」として、両親の責任を否定し、過失相殺などによる賠償額の減額はしなかった。ただ、加害者の少年側との示談で受け取った金額の分は賠償額から差し引いた。

裁判長は、法廷で「いじめは知らなかった」と証言した教師のうち1人について、「うそを述べてまで教師らの責任を回避しようとする態度に終始した」と名指しで批判した。
控 訴 町と県は控訴を検討中(2001/12/18時点)
遺族は「自殺は予見できた」として控訴。
裁 判 2
(高裁)
2002/8/30 福岡高裁の星野雅紀裁判長は、自殺の予見可能性について「自殺は本人の意思決定による部分が多い」と否定した一審福岡地裁判決を支持。両親側の控訴を棄却。
両親は最高裁へ上告。
裁 判 3
(最高裁)
2004/11/30 最高裁第三小法廷、浜田邦夫裁判長は、両親の上告不受理を決定。
町と県に対する計1000万円の支払い命令が確定。
TAKEDA私見 今までのいじめ裁判の数少ない勝訴事例でも、自殺に4、家族3で計7の原告過失相殺を行っている。いじめた側よりも、それを放置した学校よりも、被害者側に重い過失を課していた。
まして両親は、たとえどんな過失があったとしても、わが子を失うという、誰よりも重い罰をすでに受けているのにかかわらず。そして、本人にとっては、親に言ってもだめ、学校に言ってもだめ、警察も取り合ってくれない。この苦しみから逃れるためには自ら命を断つしかなかった。そこまで追いつめられた人間に対して、「もっと他に方法があったのにやらなかった」「自殺に逃げた」として一番大きな過失を負わせてきた。本当は、生きたかったはずなのに、簡単に安楽な方法として死に逃げたはずなどないのに、一番傷ついて、悔しい思いをしてきた人間に、さらに死者にムチ打つことを司法がしてきた。

この裁判では、
「いじめを受けることについて秀猛君に落ち度はない」と裁判長が断定した。
いじめる側が悪いと言いながらも、学校でも、社会でも、司法の世界でも、常にいじめられる側の問題が声高に言われてきた。おとなしいから、融通がきかないから、反撃するから、言うとおりになるから、平気な顔をしているからと。
両親にとっては、学校が報告義務をきちんと果たしたとは思えないだろう、自殺の予見性が否定されたことに不満が残るかもしれない。しかし、ここで、長い間あいまいにされたきたことが、
「いじめられる側には落ち度はない」んだと司法にはっきり認められたことに、わずかでも希望の光を感じる。(2001.12.20)
参考資料 『せめてあのとき一言でも』/鎌田慧/1996年10月草思社、『いじめ社会の子どもたち』/鎌田慧/1998年11月15日講談社、『暴力の学校 倒錯の街 −福岡・近畿大付属女子高校殺人事件』/藤井誠二/1998.11.15雲母書房、季刊教育法2000年9月臨時増刊号「いじめ裁判」の中の「福岡・城島中いじめ自殺事件」/橋山吉統(弁護士)/2000年9月エイデル研究所2001/2/18西日本新聞、2001/2/18讀賣新聞・夕、2001/2/18毎日新聞、2002/8/31共同通信、1997/5/26朝日新聞(「いじめ問題ハンドブック」/高徳忍著/つげ書房新社)、2004/11/30共同通信



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