子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
950827 いじめ自殺 2003.6.22 2003.7.1更新
1995/8/27 神奈川県横浜市保土ヶ谷区の私立明倫高校のソフトテニス部の女子生徒Aさん(高1・15)が、学校の自分の教室で、天井のガス管に電気コードを巻き付けて首吊り自殺。
遺書ほか 自宅テーブルに「先パイからのイジメみたいなのには、もーたえられないのよ」と上級生3人の名前が記された遺書が残されていた。

また、女子生徒は中学時代の先輩にも、自殺する意思を示す手紙を書き送っていた(自殺の前日か当日に投函)。「明倫高校に入らなければよかった」という意味の言葉が書いてあった。
経 緯 1995/8/26 テニス部のミーティングで、3年生に促され、1、2年生が部活動について日頃、感じている不満を順番に述べあった。Aさんは、「(先輩は私の)話を聞いてくれないので」と言ったところ、3年生たちが、「アドバイスを言っても聞いていない。態度でかいよね」「うそつくのがうまいよね」「演劇部に入れば」などと言った。さらに、Aさんが中学時代にあこがれていた別の女子高校の先輩Bさんとの文通について、自分たち上級生の悪口を言ったと問いつめられ、Aさんは泣き出した。

夜、AさんはBさんにポケベルで「63・04・21・43・81・74・41・12(ブカツヤメタイ)」「32.52.41.12(シニタイ)」とメッセージを送った。
すぐにBさんが電話したところ、「先輩のことで怒られちゃいましたよ」とAさんは言った。Bさんは「何でっ!」と声をあげたという(Bさんの話)。
いじめ態様 Aさんをよく知っているひとの話では、Aさんは体格がよかったことから、上級生に「デブ」とか「太っている」などという言葉を何度も浴びせられ、本人はひどく気にしていた。
被害者 女子生徒は母親と二人暮らしだった。

女子生徒は中学に入ってからテニスを始めて、中学ではテニスで市大会5位の成績を残し、明倫高校へはスポーツ特待生として入学していた。1年生にして、すでにレギュラーだった。
。朝6時頃に家を出て、夜は早くて7時に帰宅というテニス漬けの毎日だった。

担任にも、部活顧問にも、いじめのことは相談していなかった。
クラブの厳しい練習については、家でも「苦痛だ」とは言っていなかった。
加害者 1995/11/初旬 遺書で名指しされた女子生徒3人(高3)が、Aさんの自宅を訪れて、「本当に申し訳ありませんでした」と泣きながら謝罪した。
加害者の母親は「(娘たちは)良かれと思って一生懸命やった結果なんです。残念でたまりません」と話した。
部活動に対する処分と対応 8/27-10/8 部活動を停止。年内の対外試合を自粛。
テニス部顧問らを「厳重注意処分」。3年生のテニス部員にも厳重注意して、反省を求めた。
学校の対応 校長は「3人のいじめが原因とは断定できないが、教師の目の届かない場所で行われていたようだ」と言って、部活動のうえで3年生による「行きすぎた指導」があったことを認めた。

8/27-9/中旬まで、全クラブ活動を自粛。クラブ内の問題を総点検し、クラブ父母会を開催。 
事故報告書 1995/10/17 「事故報告書」を神奈川県私学宗教課に提出。
内容について、事務局長が説明。
「事件後、Aさんの所属していたテニス部員やクラス生徒、教員などから事情を聞いたが、結局、
『いじめ』と結論づけることはできなかった。もっとも、部の伝統的な体質というべき、先輩と後輩の間に厳しい上下関係があり、先輩からAさんへの行きすぎた指導はあった。」
「テニス部顧問も部活動の実態については、十分な認識はなく、学校としてもチェックすることはできなかった。」
「しごきや暴力行為などは一切ない。言葉の問題。ひとつは自殺の前日のミーティングで、Aさんの文通のことに話が及んだらしい。その文通相手はAさんの中学の先輩で、他校のテニス部員。その手紙の中でAさんがクラブでの不満を漏らしているのではないか注意されたらしい。」
「もっともこれが自殺の直接の引き金になったとは判断できず、日常的な厳しい上下関係、上級生の指導が精神的な負担になっていたことが背景としてあった。」
背 景 同テニス部は県内でも強豪校の一つだった。部活の教室には「根性」「気合」と赤いペンキで書かれていた。

同校には「相談室」が設けられていたが、Aさんの相談はなかった。
参考資料 1995/8/28朝日新聞、1995/8/31東京新聞(月刊「子ども論」1995年10月号/クレヨンハウス)1995/10/19東京新聞(月刊「子ども論」1995年12月号/クレヨンハウス)、1995/12/8毎日新聞月刊「子ども論」1996年2号/クレヨンハウス



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