子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
950703 暴行傷害 2003.7.1新規
1995/7/3 愛知県名古屋市港区内の中学校の男子生徒Aくん(中3・14)に、同じ部の部員らが暴行。胸の骨を折る2週間のけがをしていた。
経 緯 1995/5/ 「お前の顔を見るとムカツク」と理由もなく小突かれるなどの執拗ないじめを受け始める。
Aくんは部活動を休みがちなことから、「なんで部活に来ないのか」と同じ部の部員に傘で頭を殴られたこともあった。

7/1 同部の部員の数人のグループに、港区内の公園で暴行を受ける。

7/3 同区内のマンション駐車場付近で、暴行を受け、胸の骨を骨折。2週間のけがをした。
けがの直後、4日間、学校を欠席。母親には、「部活動で骨折した」と言い、担任教師には、「家のほうでスポーツをやっていて」と答え、被害を告げていなかった。

9/18 学校を休んでいる時、たまたま雑誌で見た愛知県警が設置している「ヤングテレホン」に電話をしたことから、事件が発覚。
親の認知と対応 母親は、いじめた者と見られる名前などを書いたAくんのメモを見たことがあったが、「何でもない」とはぐらされていた。Aくんは、「毎日、働いて大変な母親には、心配をかけたくなかった」と後に話した。
加害者らの処分 8人(中3)を書類送検。内6人を補導。
学校の対応 同中学校では、大河内清輝くんのいじめ自殺事件以来、授業の合間も教師が教室に残って、生徒に話しかけるなど、生徒との接触時間を長くすることを徹底。
4月から、主任級の教師で構成する校内の「いじめ対策委員会」を不定期開催から1カ月1回の定例に改めるなどの方策を講じていた。

しかし、Aくんは学校にはいじめを打ち明けなかった。
その後 警察の調査が一段落した後も、Aくんは学校を休みがち。
参考資料 1995/10/21朝日新聞・夕刊(月刊「子ども論」1995年12月号/クレヨンハウス)、1995/11/24(刊「子ども論」1996年1月号/クレヨンハウス)



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