子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
941029 いじめ自殺 2000.9.10. 2015.1.23更新
1994/10/29 鹿児島県出水市立米ノ津中学校の舩島洋一くん(中3・14)が、自宅の庭の木で首吊り自殺。
経 緯 夏休み前に、顔に怪我をしたり頭に大きなコブをつくって学校から帰ってきた。三者面談のときに担任に話すが、解決策はとられなかった。

洋一くんの訴えに、担任はいじめがあったかどうかをクラスでアンケートをとるが、何も出てこなかったため、みんなの前で洋一くんに謝らせた。
学校・ほかの対応 遺書が
校長は生徒に、「本当のことを言えば舩島くんのうちにとっても学校にも大変なことになる」と箝口令を敷く。
アンケート 生前のアンケートも、洋一くんの死後3年生全員にとったアンケートも開示せず、何もなかったから処分したと発言。アンケートに、「洋一くんはいじめられていたと書いた」という女生徒の証言もあるが、学校側はいじめは一切なかったと断言。 
学校・ほかの対応 PTA会長はもみ消すのに必死。会合で洋一くんのことで父母から意見が出るが、「定刻がすぎたので、意見のある方は校長室へ」と言って父母全体から切り離す。
人権擁護委員会の対応 1995/12/ 両親は人権擁護委員に対し、「学校側がいじめに気付かず、調査依頼についても誠意ある回答が得られない」と相談。
鹿児島地方法務局は、学校からの聞き取り調査を実施。

1996/3/ 鹿児島地方法務局は、学校からの聞き取り調査の結果、@友人に50円とられた、A別の友人にゲームセンターで頭や背中をこづかれた、などの事実を確認した。しかし、両親側が行ったアンケートで出た「ぞうきんなどを投げられた」「おぼんやほうきで頭やおしりを打たれた」などの状況は確認できなかったという。
いじめらしきものはあったとしたが、「(自殺が)学校の対応不十分さに起因するとまでは認められず、人権侵犯として取り扱わない」と、両親に口頭で通知。
学校に対し、口頭での通知と再発防止に努めるよう要請した。
その後 洋一くんの死後も、子どもたちはいじめにあっている。いじめられて意識不明になったり、ぶたれて病院にかつぎ込まれた子がいる。
参考資料 『せめてあのとき一言でも』/鎌田慧/1996年10月草思社、1996/4/2南日本新聞



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