子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
931120 いじめ自殺 2002.5.5 2003.7.21更新
1993/11/20 滋賀県愛知郡湖町で、町立湖東中学校の西沢敏明くん(中2・14)が自宅で首吊り自殺。
遺書ほか 離れ1階の自室から「バイバイ」とだけ書かれた大学ノートが見つかった。
経 緯 11/20 朝、敏明くんに変わった様子はなかった。
学校から「敏明くんが登校していない」という連絡を祖父母が受け、仕事場から帰宅した両親が、自宅離れの2階の物置で縄跳びのひもで首を吊っている敏明くんを発見。
寄せ書き 11/21 通夜の席に同級生から、所属していたバスケット部のボールが届けられる。
ボールには黒のフェルトペンで8人の生徒の寄せ書きがあった。

「気持ちはいつも一緒だぜ」「天国でバスケ頑張ってね」との言葉とともに、「最後に暴力をふるってゴメンナサイ」「ウォークマンのことゴメンなさい」「キーホルダーゴメンなさい」「今まで話すきかいが少なくてゴメン!」「もっといろいろ話したかった」「なやみをかいけつしてあげられなくてゴメン」などと書かれていた。
学校の調査 11/19 午後3時頃、敏明くんが体育館横にあるバスケットボール部の部室に入ろうとしたが扉にカギがかかっていた。このため、中にいた3人の生徒に敏明くんが怒ったところ、そのうちの1人が、胸元をつかむなどして揉み合った。

敏明くんの持ち物でもトラブルがあった。
学校・ほかの対応 11/21 学校側は、日曜日に全校生徒を学校に集め、生徒に命の大切さを話した。

校長は、いやがらせ、暴力の事実は認めたうえで、「そういうことが直接、自殺に結びついたとは考えたくない。しかし思いあたる原因は浮かばないが」と言いながら、いじめと自殺の因果関係を否定。
被害者 バスケット部に所属。
敏明くんは生徒会の役員を務めており、人望も厚かった。
明るい性格で、クラスでも人気があった。
親の認知と対応 亡くなる1カ月前、敏明くんは「学校で足を蹴られた」と話していた。
敏明くんが自殺したときに、両親には全く思い当たることがなかった。
参考資料 「少年」事件ブック 居場所のない子どもたち/山崎哲著/1998.8.30春秋社、(1994/12/17朝日新聞)いじめ問題ハンドブック/高徳忍著/1999.2.10つげ書房新社1993/11/28東京新聞(月刊「子ども論」1994年1月号/クレヨンハウス)



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