子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
931013 体罰自殺 2000.11.30. 2002.5.5 2005.1.15 2005.5.8更新
1993/10/13 栃木県芳賀郡茂木町の町立茂木中学校の塩沢允孝くん(中3・14)が、担任教師(27)から体罰を受け続けたことに抗議して、同町の城山公園の休憩所でビニールロープを使って首吊り自殺。
遺 書 遺体近くに置いてあった学生カバンの中から遺書がみつかる。
「抗議として死の道を選ぶ。暴力を振るう先生と一緒にいたくない」「担任の先生に殴られた。気の弱い僕はプライドを傷つけられた。こんな先生を許すわけにはいかない。学校もおもしろくない。これ以上犠牲者を出したくない。この先生を許すことがないようにしてもらいたい。そうすれば学校は明るくなる」などと大学ノートに書かれていた。
経 緯 10/4 体育館でAくんは、担任の男性教師から生活や学習指導上の問題を理由に、顔面を4発殴られ、左目のうえにあざができた。

Aくんは10/5、10/7、10/8は登校。10/12、10/13は学校を無断欠席していた。
学校・ほかの対応 11/   校長は、遺書が見つかった翌日も、「体罰が自殺の直接の原因とは断定しかねる」と発言。
11/26
 学校側は事件を隠し、1月以上たってから公表体罰があったことは認めたが、その理由については「生徒のプライバシーにかかわるので明らかにできない」とのみ説明。
両親に対しても、「授業態度が悪かったため」としか説明しない。
事故報告書 学校は2回にわたって県教委に報告書を提出。
報告書には事件の発生や遺族、PTAへの対応は書かれていたが、体罰があったこと、それに対する抗議の自殺であることを示す遺書が残されていたことなどを教育委員会にも報告していなかった。
加害者 1994/4/1 担任教師(27)は、同中に赴任。英語を担当。
事件までの半年間に、Aくん以外の生徒に対しても、計8回の暴力をふるっていた。

減給6ヶ月の懲戒処分。その後、自分から退職願いを出し受理される。
被害者の親の対応 自殺した生徒の両親は、同じ町の小学校の教員だった。
11/16 遺書の公開をためらっていたが、学校の不誠実な対応から、遺書を公開。
参考資料 1993/11/21東京新聞、1993/11/17中日新聞(月刊「子ども論」1994年1月号/クレヨンハウス)、「いじめ時代の子どもたちへ」/芹沢俊介・藤井東(はる)/新潮社、「少年」事件ブック 居場所のない子どもたち/山崎哲著/1998.8.30春秋社、「子どもの権利マニュアル」改訂版子ども人権救済の手引き/日本弁護士連合会/1995.9.3こうち書房



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