子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
911100 いじめ事件 2002.12.23新規  
1991/11 兵庫県西宮市の市立甲東小学校で、男児Bくん(小2・7)が入学以来1年半にわたって、同級生の男児A(小2)から暴行を受けてけがをし、両親が「安全を確保できない」として11月中旬から学校を休ませていた。
経 緯 1990/4 入学直後から、同級生の男児Aによるいじめが始まる。

1990/7 同級生に殴るけるの暴行をしばしば受け、体にあざが十数カ所にものぼるようになった。

1990/ 2学期は、毎日数十回引っかかれたり、蹴られたりして多数の傷ができた。

1年生のときは、Aからいじめられていた児童はBくんを含め2人だったが、1人が転校した後はBくんだけになった。

1991/7 頭部顔面を拳で殴られて鼻から出血。その後も突発性の鼻血が続いた。左目の視力が1.2から0.4に低下。(「殴打が原因」との医師の診断書が出ている)

夜中に大声をあげるなどの心身に変調をきたした。

1991/11/ 中旬からBくんは登校していない。
日記ほか Bくんの日記には、入学直後からいじめられたことや「死ね」などとなじられたことが書いてあった。

また、担任に相談したところ、「あなたは何も悪いところはないから、一つでもやり返したら、あなたも悪いことになる」と言われたことが書いてあった。
担任への手紙 Bくんは担任に「ぼくはA君にいたいことをいっぱいされている。なにもしていないのに。先生ぼくをたすけてください」と手紙を書いていた。
学校への手紙 Bくんは、見舞いに来た教頭に対して、「質問状」を示した。
「がっこうの先生はえらくてりっばな人だと思っていたから、おおしえの通り、ずっとずっとがまんしてきました。しかし、先生は口でいうだけでうそっぱちばかり。もういってもだめだとあきらめた」「こんなになってしまったぼくの心をどうしてくれるのですか」と書いていた。
担任の対応 1991/9 Bくんが担任に助けを求めた手紙を母親が発見し、担任の女性教師に相談したが、改善されなかった。

1991/10-11 Bくんの母親はいじめの実態を手紙に書いて3通を、担任に渡していた。
担任は手紙を受け取った後、Aの自宅を訪問したり、AとBくん両方の両親を交えた懇談会を開いた。
また、「目の届かない下校時に何かあっては」と2人の下校時間をずらさせる「時差下校」を実施した。

3学期になって、同級生から「2人は仲良く遊んでいる」などとの報告を受けたため、「いじめはなくなった」と判断。手紙のことは、上司や同僚に話さないまま処分した。

事件発覚後、担任は、「Bくんが休む直前まで、元気に学校生活を送っていたので安心していた。しかし、まさか登校できないことになるとは思わなかった。いたらなかったと反省している」と話した。
学校の対応 学校側は両親の訴えに対して、誇大であるかのような態度に終始した。

1991/7 学校長は、Bくんがけがをしたことを受けて、Aの母親に「相手の男児が安心して登校できるように、しばらく授業に立ち会って子どもを見てほしい」と要請。Aの母親は約一週間、登校から下校までずっと付き添い、教室に入って授業にも立ち会った。体育も一緒に参加した。
Bくんはこの間、1日を除いて欠席。Bくんの父母も教室に入ってAの行動を注視した。
その後、Bくんが登校しないために立ち消えになった。
加害者の親の対応 Aの母親は学校の要請に対して、「相手が登校するならこちらも付き添うが、こんなことは今学期限りで勘弁してほしい」と答えた。子どもに「何でお母さんだけ来るの」「転校したい」と言われて辛かったと話した。

Aの父親は、「私の子どもは、相手にいやなことを言われたので手で顔をたたいた、と話している。先方の家へ何度もおわびに行っている。治療費を払う意思もあるが、診断書や領収書も見せてくれず、対応のしようがない」と話した。
被害者 Bくんは神経科医から、「自殺の恐れがある」と診断され、親類の家で療養。
人権救済の申立 両親はBくんに学校を休ませて、神戸弁護士会の人権擁護委員会に救済を申し立て。
1993/3/11 小学校長に対して「警告」を出した。
「市立甲東小学校の態度は、生徒の安全を守る義務を果たしていないばかりか、被害生徒の救済について著しく不誠実であったもので、Bの人権に対する重大な人権侵害である。今後、いじめ等の発生に対しては、クラスをこえた対策を直ちにとりうるような体制を確立するとともに、被害生徒の訴えについては率直に耳を傾け、再びこのような人権侵害行為を繰り返さないよう警告する。」とした。

西宮市教育委員会に対しては「要望」を出した。
参考資料 1991/12/18朝日新聞大阪、1991/12/19朝日新聞、1991/12/22朝日新聞、1991/12/26信濃毎日新聞(「月刊子ども論」1992年2月号/クレヨンハウス)「子どもの権利マニュアル」/日本弁護士連合会/1995年9月3日こうち書房



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