子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
891002 いじめ自殺 2000.9.10. 2001.5.3 2002.2.13 2003.7.21更新
1989/10/2 岡山県鴨方町の町立鴨方中学校の北村英士くん(中3・15)が、同級生グループからの暴行後7日目に、登校直後に同中学校内の倉庫で首吊り自殺。
遺書・ほか 自宅勉強部屋から「ふくろだたきにあいそうだ」「殺される」などのメモが見つかる。9月6日付けの長文の紙片には暴行被害などが書かれていた。
経 緯 1988年初め頃、中学1年生の3学期に、特定の同級生らから、英士くんは名前をもじって「エイズ」などと呼ばれていた。父親の抗議により、嫌がらせは沈静化した。

1989/9/26 同級生数人に、給食の後片付けをする当番をジャンケンで決めるよう無理やり誘われて、従わなかったとして暴行を受けた。さらに、「殴ったときにけがをした。2千円持ってこい」と要求された。

9/27 金の催促を断ったことから、殴る蹴るなどの暴行を受け、担任に相談。

9/28 「告げ口」したとして殴られた。

9/29 「登校する」と家を出たまま行方不明になり、翌日保護されていた。

10/2 自殺当日、登校時間になってもぐずぐずし嘔吐の様子を見せていた。
学校の対応 学校は、暴力事件を加害生徒の親には連絡をしなかった。
担任
教師に助けを求めたあと、英士くんは報復的な暴力を加えられた。
教師らは、登校をしぶる被害者生徒に登校を促していた。(翌朝、校内で自殺
加害者 同級生5人くらいのグループ

1990/3 岡山家裁は、暴行容疑で書類送検されていた同級生2人を審判不開始決定。
法務局の対応 1991/3/7 岡山地方法務局は中学に対し、「いじめが自殺の原因だとは特定できないが、いじめ防止に教育的配慮が足りなかった」として、口頭で説示処分。

1994/11/30 岡山法務局が中学校に対し、反省と善処を求める「説示」文書。
裁 判 1991/3/25 両親が、「自殺の原因は同級生のいじめにあり、学校は適切な防止策をたてなかった」として、総額約4600万円の損害賠償を求める訴訟を岡山地裁倉敷支部に起こす。

争点は、
1.いじめの有無
2.いじめと自殺との因果関係
3.学校側の対応の適切性
4.自殺の予見性
など。
裁判での証言 父親が法廷で、「遺体を見たとき、顔に殴られたような跡があった。息子は新しい制服に着替えさせられ、ゆがんだ眼鏡や泥だらけのシャツ、ズボンなどの遺留品は、晩になってから受け取った。不思議なことが多く、だれかに殺されたように思う」と証言。
判 決 1994/11/29 岡山地裁の矢延正平裁判長は、いじめを否定して、両親の訴えを棄却。原告全面敗訴。
判決要旨 判決では、自殺の6日前から3回にわたり、同級生から暴行を受けたことを認め、「少なくとも直接的な原因と認められる」と、自殺との因果関係を一部認めたが、「『エイズ』などと呼ばれる嫌がらせは、原告(父親)の抗議により、中学校側で対応した結果、沈静化したことは明らかであり、さらに、平成元(1989)年9月26日より前から、3年6組にHを中心とする「いじめ」グループが存在し、右グループによって英士に対して継続的かつ反復的に暴行脅迫恐喝等を伴う「いじめ」がなされていた事実をうかがわせるような証拠は全くない」いじめを否定

遺書については、「死後発見された9月6日付けの長文の紙片からうかがえる過去の暴行被害や種々の悩み等による心理的負担があったところに、本件加害行為による苦悩がいわば最後の重圧となって、発作的に精神の均衡を失い、自殺に踏み切ったものと推測する以外に考えようがないから、本件加害行為は、英士の自殺の原因の全てであったとはいえないが、少なくともその直接的な最後の契機乃至原因となったものと認めるのが相当である」としながら、

「英士が自殺してしまったことからすると(自殺の動機については、他人には計り難い英士の資質的性格的家庭的要素に加えて、英士の隠された過去の暴行被害や種々の悩みによる心理負担に、本件加害行為による苦悩がいわば最後の重圧になったと推測するほかなく、それ以上は謎であるが)、原告ら及び中学校側は、英士の真意を汲み取るに至ってなかったといえ、また、今となってみれば、前記『先生』宛の手紙様の手記の死に関する記述や、自殺当日、登校時間になってもぐずぐずし嘔吐の様子を見せていたことなどは、英士の真意をかいま見せていたものとも評価し得るけれども、右英士の真意に関する兆候がいずれも中学校側には顕在化していなかったものであることや、前述した状況経緯などからすると、やはり、中学校側に英士の自殺を予見が可能であったとすることはできない」「両親が自殺当日に不審を感じなかったほどだから、自殺を予想すらしなかったのも無理はない」として、自殺の予見可能性を否定、学校側に落ち度は認められないと判断した。

また、「暴行被害のみが自殺の原因とは考えられず、予見は不可能。暴行発覚後、担任教諭が事態の進行に応じて指導、説諭するなど合理的で教育的な配慮を行っている」として、学校側の責任を認めなかった。
判決後 判決後、被告側の鴨方町教育長は、「予想通りの判決。英士君の死は残念だが、いじめがあったとは今も考えていない。今後も生徒の指導に努力したい」と話した。
関 連 1994/6 夫とともに息子の死の意味を問い続けた母親は、判決を待たずに46歳で病死した。
参考資料 いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化、季刊教育法125/エイデル研究所2000年9月25日発行季刊教育法、2000年9月臨時増刊号「いじめ裁判」/2000年9月エイデル研究所イジメブックス イジメの総合的研究4 「イジメと子どもの人権」/中川 明 編/2000年11月20日信山社1994/11/30共同通信、1994/11/29毎日新聞・夕刊(月刊「子ども論」1995年1月号/クレヨンハウス)



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