子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
860418 いじめ自殺 2002.9.22新規
1986/4/18 茨城県稲敷郡の阿見町立阿見中学校の高橋建二くん(中3・15)が、自宅庭先で灯油をかぶって焼身自殺。
遺 書 「もう生きて行く自信をなくした」「もっと青春したかったのに」などと書かれた遺書が玄関先に遺されていた。
経 緯 4/17 自殺前日はいつも通りに登校。クラブ活動は休んだが、友人と遊んでから夕方帰宅した。夜はやや元気がなく、いつもより早く20時頃寝た。

4/18 朝、登校前に建二くんは物置にあったプラスチック容器入りの灯油を庭に持ち出し、制服の上からかぶり火をつけた。「あつい、あつい」という声に兄が気付いたときにはすでに火だるまになっていた。父親と2人で水をかけて火を消し、近くの病院に運んだが20時50分死亡。
いじめの態様 建二くんは小学校の頃からいじめられていた。

中学校に入ってからも廊下で会って、いきなり脅されたり、たたかれたりしていたことがあった。

4/17 4時半頃、同学年の男子生徒A(中3・14)の家に、ほかの生徒3人とともに集まった際、建二くんはAからタバコを吸うことを強要された。また、ジュースを買ってこいと命令するなどしたあと、「明日、おれの教室にこい」と言っていた。
被害者 成績もふつう。1年生から軟式テニス部に所属。どちらかというと明るい性格で友人関係にも問題はなく、冗談の絶えない生徒だった」(学校長談)
加害者 中学のなかでつっぱりグループに属していたとみられている。
担任の対応 「最近、やや考え込んでいる様子だった」と感じていた。
参考資料 1986/4/19朝日新聞(いじめ問題ハンドブック 分析・資料・年表/高徳 忍/1999.2.10つげ書房新社)、いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化



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