子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
850305 いじめ報復
放火
2003.6.22.新規
1985/3/5 千葉県野田市の野田二中の男子生徒(中3)2人BとCが未明、同級生Aくん(中3)宅に侵入。部屋に灯油をまき、ライターで放火して逃げ帰った。Aくんは大やけどを負った。
当日の経緯 1985/3/5 未明、BとCが、カギをかけ忘れた玄関から侵入。
Aくんの家の軒下にあった灯油入りのポリ容器(1.8リットル)を持って、2階の部屋に一人で寝ていたAくんの部屋に行き、灯油をまき、ライターで放火し、逃げ帰った。この火事でAくんは大やけどを負った。
Aくんの両親は隣室で寝ていたが、2人が侵入し放火したことに気づかなかった。
警察の対応 警察はこの事件を失火として片付けていた。
学校の対応 学校は事件を伏せ、市教委にも報告をしなかった。
マスコミの対応 1985/12/1付の讀賣新聞がスクープ。社会面トップに「いじめ報復」「二少年(中三)、級友焼殺図る」「深夜侵入、部屋に放火」「高校も同じに絶望」「大やけどを負わせ、そしらぬ顔」と報じた。

1985/12/2 東京新聞は「番長焼殺を図る」、サンケイは「(Aくんが)金属バットで殴った」などの見出しを掲げた。
加害者 1985/6/ BとCが放火・殺人未遂で検挙される。
1985/8/ 千葉家裁松戸支部の少年審判を受け中等少年院送致が決定。
1986/6/or7/ 調停成立直前にBが仮退院。その後、Cも仮退院(1986/7/当時の見込み)。
経 緯 BとCの両親から損害賠償の調停申立がされ、若穂井透弁護士がAくん側の代理人に選任される。
民事訴訟になった場合、原告側は裁判所を通じて本来非公開の少年審判記録を取り寄せ閲覧することができるが、調停手続きの場合、閲覧できない。そのため、捜査当局から情報を収集したり、級友から当時の事情などを聞いた。
調査の内容
マスコミ報道 若穂井氏の調査・見解




AくんはB、Cらの仲間のリーダーだった。 Aくんは、Cとはほとんど付き合いがなかった。
Bはよく級友たちとAくん宅に遊びに来ていた。AくんとBくんとの間には上下関係があった(Aくんが上)。


Bは、ふだんAくんから使い走りをさせられていた。

動作が遅いことから、たびたび殴る、けるの暴行を受けていた。
捜査当局はAくんのBに対する具体的ないじめを否定。級友たちもAくんのいじめを否定。Aくんもいじめたつもりはなかった。
ただし、Aくんは腰の低いBに使い走りをさせたり、カバンを持たせたりしていた。
いじめがあったとすれば、BのCに対するいじめ(級友たちの証言)。Cは事件後もBに殴られ、かなりのけがをさせられていた。
1月末頃からBは挙動不審だった。




Bは茨城県内の私立高校を受験したところ、偶然にもAくんも一緒の高校に進学が決まった。
BはAくんに「またいじめられる。いっそのこと殺す以外にない」と放火を決意。同じくいつもAくんにいじめられていたCに相談したところ、Cも犯行を決意した。
Aくんは県立高校志望で、私立高校と併願。事件当時(3/5)、まだ県立高校の発表はなかった。
Bは志望した私立高校には入学手続きをとっていなかった。CはAくんとは全く志望校が別だった。

Bは高校入学後(6月に検挙される前)、間もなく退学。

Bが灯油をまき火を付け、Cが階下で見張りをしていた。 自供では、Cが灯油をまき火を付けた。
Bが階下で見張りをしていた。(報道の逆)

Aくんのいじめに対する、B、Cの報復放火事件。 主犯格はB。AくんはBをいじめた意識はなかったが、BはAくんとの上下関係に不満を募らせていた。BはCへのいじめとして、Aくんの焼殺をCに命令し、Cは拒めなかったのではないか。
調 停 1986/7/8 B、Cの両親がAくんに相当額の賠償金を支払うことで、調停成立。
参考資料 「子どもたちの人権」/若穂井透/1987.6.5朝日新聞社、ほか
TAKEDA
私見
若穂井氏は「この事件に関しては、一件記録を読む機会もなく、B、C両君の弁明も聞かずに憶測することは避けねばなりません。しかし、遊び半分の、些細に見える『いじめ』が、実は人間の心を深く傷つけ、何かの機会にそれが憤激となってほとばしり出ることがあるという事実を、この事件は暗示している」「このようなA君とB君の人間関係が殺意を抱く原因になるとすれば、それは恐ろしいことです。人間はそれだけ誇り高い存在だということでしょうか」とその著書「子どもたちの人権」に書いている。

氏は、AくんのBへのいじめは大したことではなく、むしろB側の過剰反応であるかのようにとらえているようだ。しかし、若穂井氏はあくまで、Aくん側から調停を依頼された弁護士だ。その立場は中立ではなく、ましてルポライターなどに比べれば、調査のプロとはいえない。AくんのBへのいじめがどの程度のものであったかは、B、Cから詳しく聞いていない以上、不明だ。Aくんは当然、自分に不都合なことは言わないだろう。級友たちも、Aくん側の弁護士に、まして大やけどを負うという被害にあったAくんについて、警察に検挙されたBとCをかばってまで、よほどのことがない限りは悪く言わないだろう。

一見、仲良くみえるグループ内でのいじめは、外からは見えにくい。使い走り、カバン持ちという事実がある以上、それ以外のいじめがあった可能性は十分に高い。中学3年生の男子生徒が、口だけの指示で、同学年の男子生徒の言いなりになるとは考えにくい。力での制圧があったと考えるほうが自然ではないか。BはAくんからいじめられた鬱憤を、Cをいじめることで晴らしていたのではないか。

カギがあいていた、灯油の容器があったという悪い偶然が重なったにしても、未明に他人の家に仲間と侵入するというのはよほどのことだ。「誇り」よりもむしろ切羽詰まっていた。あるいは、強い復讐心に燃えていたのではないか。
いずれにしても、若穂井氏もマスコミの段で触れているように、1984年11月1日におきた大阪府の私立大阪産業大学高校のいじめ報復事件841101が、マスコミ報道にも多大な影響を与えているだろうし、場合によっては、Bがその報道に誘発されて事件をおこした可能性もあるだろう。(もうひとつ、事件のことが頭にあって、いじめへの報復という言い訳が出たとも考えられる)

いずれにしても、少年事件の非公開制が事実を闇に葬り、場合によっては、加害者も被害者をも苦しめる結果になってはいないだろうか。そして学校は、放火事件が学外であったこと、検挙されたのが卒業後であったこと、少年事件の内容が民事裁判にもならずに非公開で終わったこと、自分たちの責任が追求されなかったことに、ほっと胸をなで下ろしたに違いない。




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