子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
780212 いじめ報復
殺人
2001.12.7新規  
1978/2/12 滋賀県野洲(やす)町で、野洲中学校の男子生徒(中3)2人が日頃のいじめに耐えかねて、泊まりに来るよう呼びだされた友人宅で、就寝中の同級生4人(中3)を襲い、包丁で刺して1人を殺害、2人に重傷を負わせた。当初、殺害する予定だった生徒は、たまたまその場を離れており、無事だった。
経 緯 AとBは、これまでたびたび、Cくん、Dくん、Eくん、Fくんから、服がどろどろになるほど殴るけるの暴行を受けていた。
2/9頃 AとBは、4人を殺すことを相談。2/12午前1時に決行することに決めた。
殺害までの経緯(犯行態様) Dくんから、2/11にたまり場となっていたCくん宅に泊まりに来るよう電話で呼びだされたAとBが、指示に従わず、市内のスーパーで凶器の刺身包丁を購入。
2/12の未明、Cくん宅に行った2人は2階に上がる途中、Dくんに気付かれたため、一旦、戸外に逃げて、約1時間半、あたりをぶらついた。
午前2時半頃、Dくんらに玄関近くで見つかり、「来るのが遅い」と殴る蹴るの暴行を加えられた。
2人は2階に上がって雑談した後、「外の空気を吸ってくる」などと言って外へ出て、凶器を持って部屋へ帰り、他の4人が寝静まるのを待って、午前5時頃、3人を順に包丁でメッタ突きし、部屋にあった3本の木刀で殴った。当初、殺害する予定だった生徒は、たまたまその場を離れており、無事だった。
AとBも、包丁を持つ手が滑って、10日から1カ月の怪我を負った。
警察の対応 2/12 午前中に事情聴取。当初、AとBも被害者を装っていたが、怪我の程度が軽いことや供述内容の食い違いを捜査員に指摘され、相次いで計画的な犯行であることなどを自供した。
午後10時50分、Aを逮捕。Bは怪我で入院したため、簡単な事情聴取にとどめて、改めて取り調べ。
担任の対応 事件の1週間前加害生徒は、「仲間から誘われて困る」と担任に相談していた。
加害者 AとBはクラスは別。おとなしい生徒で、成績はあまり振るわなかった。
Aは、明るい性格で、級友の信望もあり、1学期のクラス委員に選ばれていた。
Bは、クラスでは目立たない存在だったが、級友に迷惑をかけるところはなく、気のやさしい子だった、という。
TAKEDA私見 この事件は、1984年11月1日起きた私立大阪産業大学高校のいじめ報復事件(841101)に似ている。
1978年3月13日の朝日新聞に、「A、B二人とも調べに対して、友人殺しという大罪を犯した意識がなく、自供したあとは『ケロリとしており、動揺の色はうかがわれない』という。」とあった。
少年二人がした行為は、もちろん許されるものではない。しかし、今まで自分たちをいじめることに何の罪悪感を感じることのなかった同級生に対して、復讐しても、罪悪感は薄いだろう。殺るか殺られるかまで追いつめられた子どもたちは、犯行直後、「これで明日からいじめられることはない」という思いに、ただただ安堵していたのではないだろうか。
2001.12.7.
参考資料 (1978/3/13朝日新聞)「いじめ問題ハンドブック」分析・資料・年表/高徳忍著/つげ書房新社、「昭和の事件・事故史」/小林修著/東方出版



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