子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
751120 いじめ自殺 2001.3.13 2001.5.1 2001.10.14 2002.2.21更新
1975/11/20 新潟県加茂市の加茂農林高校定時制農業科公立定時制高校)の男子生徒Nくん(高4・19)が、同校生物部部室で自殺。
遺 書 現場に遺書が残されていた。
経 緯 1975/6/27 修学旅行で北海道に行った際、宿泊先でNくんらがタバコを吸っているのを知った同級生で他のクラスメイトからも恐れられていたAを中心とする不良グループ5人が、Nくんらの部屋に押しかけた。「かくれてタバコを吸うとは生意気だ。ヤキをいれてやる」などと言って、Nくんら6人の顔面、頭部、背部などを殴打するなどの暴行を加えた。

6/ この頃からNくんは連日のように暴行や嫌がらせ、リンチ、恐喝を受けていた。

11/8頃、校内で、実際にはそのような事実はないのにかかわらず、Nくんらに個別に「Bの車がタクシーにぶつかり壊れたので、修理代2000円ずつカンパしてくれ」と言って要求。

11/10頃、教室などでNくんほか3人からそれぞれ3000円ずつ脅し取った。

11/12頃、教室などで、Nくんらに「Bの車の修理代がまだ足りない。もう3000円ずつ出してくれ」と言って再び金を要求。

11/13 教室などで、Nくんほか3人からそれぞれ3000円ずつ脅し取った。

11/14 出張先から戻った担任のS教師が、事情を知らないまま、不良グループの1人でクラス委員でもあるCに「留守中、変わったことはなかったか」と聞いた。Aらは、担任教師が非行事実を察知して探りを入れてきたものと思いこみ、Nくんらが密告したと考えた。

11/15 午前10時頃、自習の時間を利用して、Aらは校内のバレー部室にNくんを含む4人を呼びつけた。「おまえらから金集めしていることを先生に話したろう」などと言って詰問。Nくんらが否定すると、顔面、背部、腹部などを拳で殴って殴打するなどの暴行を加えた。
その後、Nくんらに1人当たり6000円ずつ金を要求。

11/16 午前、校内においてNくんと他2人からそれぞれ6000円ずつ脅し取った。さらに同日、3人に対してそれぞれ11/18中に4000円ずつを学校に持ってきて提供するよう要求。
  
4000円持ってくるように言われたNくんは、姉に打ち明けた。Nくんの両親も初めて恐喝を知った。

Nくんの父親から事情を聞いた担任のS教師は、事実調査を始めたが進捗せず、やむなく警察に調査を依頼。

Aらグループからの仕返しを恐れた同級生らは、Nくんによそよそしい態度をとるようになり、Nくんは日頃親しくしていた友人からも疎外され、校内で孤立。

11/19 Aらは、Nくんの父親から学校に非行事実を通報されたことを恨み、同級生の現金2000円が入った定期券入れをNくんのカバンに入れ、同生徒から「お金の入った定期入れがなくなった」と申告させた。

11/20 帰宅して同級生の定期入れがカバンの中にあることを知ったNくんは、登校して教頭に会って事情を話し定期入れを渡した。学校は暫定的にAらグループの1人を謹慎処分にした。
このことを恨んで、Aらは授業の合間の休み時間ごとにNくんを取り囲んで責め立てた。

午後7時を過ぎてもNくんが帰宅しないため、家族が学校やS教師、同級生らに連絡をとって捜索。
深夜になって、同校の生物部部室で首吊り自殺をしているNくんが発見された。
背 景 加茂農林高校農業科は、生徒が昼間登校して授業を受けるが、春、秋の農繁期はそれぞれ家業の農業に従事する建前で登校しない。そのため全日制よりも1年長く4年で卒業。
Nくんの所属していた農業科は1学年1クラスしかないため、各学年とも入学したときから卒業までクラス替えはない。
調 停 Nくんの両親は、「学校側が保護・監督・指導を怠った」として、地裁に調停を申し立てたが、学校側は「手落ちがなかった」と主張して、調停は不調に終わる。
裁 判 1978/ 両親は、県と加害生徒の親に対して、計2600余万を賠償請求。

Nくんの両親は裁判で、「息子が自殺したのは、不良グループの集団的、継続的な暴行、いやがらせを受けた結果である。学校側は不良グループの様子を常に監視し、犯行を防止する安全措置をとる義務があったのに、それを怠った」と主張。S教師はNくんを帰宅させ、Aら関係者から事情聴取して真相を解明し、Nくんが安心して登校できるような状況になるまで一時登校を見合わせるなどの措置をとるべきだったのに、それを怠り、Nくんを自殺に追い込んだとしてS教師の過失を追及。

対して県側は、「成人に近い生徒間の争いには、学校側の注意義務は及ばない。かりに一般的な注意義務があるにしても、この事件では相当の安全措置をはかっていた」として争った。
原告側の言い分と被告側の言い分 遺族は裁判で、「学校教諭の生徒を保護、監督する義務」を主張。特にホームルーム指導について、ホームルームは「生徒の学校における自主的諸活動の基本組織であり、同世代の仲間相互の交流を通じて青年としての自覚を深め、連帯感を培う場」であるところから、担任教師は、「生徒と協力して明るく親しみやすいクラス作りに努力するとともに、日常の生徒観察、個人面接及び家庭との連携を通して個々の生徒との心の交流を図り、犯罪防止行為など、特定の生徒の自己顕示的問題行動によってホームルームが荒廃化するのを防止することに努めるべきなのである」と担任教師のホームルームの指導のあり方に言及し、この点についてS教師に問題があることを指摘した。

被告側はこの点について、この事件が学校の行う教育活動、あるいは、これと密接不離の関係にある特定の生活関係上で生じたものではないことから、「学校が生徒の生命、身体の安全について責任を負うのは、生徒が教師の指示に従いその範囲で行動している限度においてであって、教育以外の私生活のことで生徒の生命、身体が損なわれても、このことについて学校が責任を負ういわれはない」と反論。
さらに、Nくんが定時制4年生で年齢も19歳になっていることから、「自らの英知で自らを守る術を知っていたはずであり、学校がその生活行動のいちいちについて責任を持つ立場にはなかった」と主張した。
判 決 1981/10/27 新潟地裁は、
「級友の所持品の窃盗犯人に仕立てられ、Aらに執拗ないやがらせを受けたことは、Nにとって大きなショックであり、これが自殺の直接の引き金になったのは確かだが、11月20日(当日)朝は家人からみても自殺するような気配はまったく感じられず、当時午後の授業でも、S教諭の見た目には格別変わったようすは見受けられなかった。放課後は、午後5時ごろ、勤務先の姉に気分が悪いので迎えに行けない、と電話があったほかはNの行動は明らかでない。Nは、当日登校したあと午後5時ごろにわかに自殺を決意するに至ったものと推認できる」として、前後の経緯からして、S教師にとってNくんが自殺するなどということは夢想だにしなかったことであるとして予見可能性を否定。
自殺は自殺者の内心に深くかかわることであり、他人が予見するためには、自殺するという意志が具体的な言動となって認識できなければならない。このケースではそれがなかった。したがって、予見できなかった学校側に過失はなかった」として遺族請求を全面的に棄却
参考資料 「子ども白書」1999年版/日本子どもを守る会/草土文化、「いじめられて、さようなら」/佐瀬 稔/1992年2月相思社、イジメブックス イジメの総合的研究4 「イジメと子どもの人権」/中川 明/2000年11月20日信山社、「賠償金の分岐点 教師が責任を問われるとき」/下村哲夫著/学研教育選書



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