子どもに関する事件【事例】



注 :
加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
011221 保護者のいじめ転校 2002.6.3.新規
2001/12/21 東京都府中市の中学校普通学級に通う知的障がいのあるAくん(中1)が、転校を迫る同級生の保護者からの匿名の手紙をきっかけに、障がい児学級のある中学校へ転校を余儀なくされる。
経 緯 2001/4/1 Aくんは小学校の6年間を普通学級で過ごし、校区の中学校の普通学級に進級。
入学時、中学校から、対応ができないと言われる。
「Aくんの教育のためには普通学級はふさわしくない」と言われる。

5/ 学校側と両親が市民団体を交えて、話し合う。
まわりの子どもの迷惑を理由に転校を勧められる。
「最低限の要望」として、Aくんに、定期試験の時はまわりの子の邪魔になるので休むように求められる。

7/ 学期末になって、学校や教育委員会から、期末試験やプールのことを巡って、「迷惑だ」として、障害児学級を併設する中学校への転校を迫られる。

8/28 教育委員会(指導室長と担当主事が出席)、学校と両親が市民団体を交えて、話し合う。
市民団体が、「迷惑だから」といって転校を求めるのは、「その子にとって最善の教育を保障する」という教育委員会の立場にも反すると追及。指導室長から、「迷惑だという言い方をやめるよう学校にお願いする」との回答がある。
学校側は、「教委は対応してくれないから」と主張。指導室は、検討する姿勢を示すが、障害児の教育に専門的に従事している先生のいる学校に行くべき」との見解は譲らず。

2学期に、Aくんに対して2教科に非常勤の教員がつく。学校側から「迷惑だ」と迫られることはなくなり、学校生活も落ち着いてくる。

12/17 保護者会。Aくんの両親は、予め欠席であることを連絡。

2002/1/8 手紙の日付は2001年12月21日になっていたが、宛先の住所が違っていたために配達されない。1月8日、学校を通して手紙が、Aくんの母親に手渡される。

Aくんは3学期の途中から転校し、障害児学級に通う。
手 紙
(氏名、学校、組名はブライバシー保護のためアルファベットにする。なお、ここでは読みやすいように行間をあけている。)
                                           平成13年12月21日

Aくんのご両親へ

 前略
こういう手紙を匿名で書くのは卑怯なことだとは承知していますが、学校宛に統合教育の支援団体から抗議があったことを聞き及び、万が一にもそうした所から攻撃のターゲットにされることは避けたいため、不本意ながらこちらの名は伏せさせて頂きます。

 私はB中1年D組の生徒の母親の一人です。
 12月17日に保護者会があったことはご承知だと思います。もしかすると既に他のお母さんから何らかの話を聞いているかもしれませんが、クラスの半数の母親が集まったその日、教室懇談会の大半、またその後先生が立ち去ってからしばらくも、Aくんに関する『問題』で話し合っていました。

 私の子供は小学校でもご一緒したことがあり、その時には(先生は非常に大変そうだとは感じ、Aくんにとって学校の勉強は全く意味を成していないなとは思ったものの)、それほど抵抗は感じていませんでした。まだ授業も半分お遊びのようだったし、自分の子や他の子供たちも本当に「子供」であったし、その時点で障害児と触れ合う経験を持つことは、自分の子供にとってもマイナスよりプラスになる面が大きいかもしれない、と思えたからです。
 しかし、子供たちはもう中学生です。最近の他の子たちをじっくり眺めてみたことがありますか?年齢は同じでも今でも幼児のようなAくんと違い、ほとんどの子は半分大人の顔をして、体型は母親たちをどんどん追い越していっています。受験を意識した勉強やクラブ活動に大忙しで、友達関係や恋愛にも悩み、多くの子が自分のことだけでも手一杯になっています。以前のように単純・素直に誰でも受け入れるということもできなくなっているのです。

 子供たち自身何かとピリピリすることが多い年頃ですが、母親たちにとってもまたいじめや非行など、これまで以上に心配の種も増える年齢です。公立中学では来年度からのカリキュラム改正で評価方法も変わり、それに伴って受験のシステムにも変更があると思われるので、こと勉強の面ではピリピリしています。Aくんの存在が、1年D組(だけではないのですが)の授業にはっきりと支障をきたしていると聞いては、黙っていることはできません。

 はっきり申し上げると、私たちは今の状態のまま、自分の子供たちの勉強の場にAくんを放置しておくことには、承服できません。母親たちそれぞれで、この件に関する考え方に違いはあります。しかし一つ、全員共通していることもあります。それは「自分の子供の不利益があるようでは困る」ということです。一般論として障害児を差別したい気持ちはなくても、また統合教育に反対したい気持ちはなくても、Aくんの存在が自分の子供にとってなんらかのプラスになろうとも、「勉強の邪魔」という明らかなマイナスがある以上、それを良しとすることはできないのです。

 AさんがAくんを学校へ行かせる時に望んでいるのは、「とにかくそこにいること」だけなのかもしれませんが、私たちの子どもたちが「将来必要な知識を学んでくること」も大きな目的として、学校へ送り出しているのです。Aくんとの触れ合いも広い意味での『学習』であることは認めますが、「狭義の意味での『勉強』を犠牲にしてまで」やらせたい気持ちではありません。

 17日の懇談会では、担任のE先生の予想以上の疲労度に、多くの母親たちが驚いていました。責任感の強い先生なので、担任として、また1年生の学年主任として、Aくんのことも最終的な部分では全部一人で責任を負って引き受け、他の1年生全員のことも気を配り、野球部の顧問としても相変わらず夕方暗くなるまで生徒と共にグラウンドに立ち、勉強面でも手作りのプリントを数多く作るなど全く手を抜かず、という状態なので当然といえば当然です。でも明らかに疲れた顔をして愚痴も多くなり、また怒りっぽくもなっているようなその姿に、私たち母親は先生に対して非常に同情を感じると共に、「先生がこういう状態では、色々な形で間接的に子供たちにも悪影響が及ぶ」という危機感を持ちました。先生自身も恐れていると言い、私も特に恐いと思ったのは、他の子がケアを必要とする状況になったときに先生たちの目と手が行き届かなくなる、ということです。1年D組には不登校になっている子もいるというのに、Aくんの問題の陰に隠れて話題にすら上りませんでした。自分の子がそんなことになったら、と考えるととても恐ろしいことです。

 同時に、先生がそんな状態になっている大きな原因の一つは、Aさんがあくまでも普通学級にとこだわるあまり、Aくんを一方的に学校に預け、放置するかのような態度を取っていることにあると悟って、私たちがAさんに対して強い反感を抱いたということもお伝えしなければなりません。

 
母親たちの中には、「事を荒立てる」ことにかなりの抵抗感があるかのような人もいます。また、Aくんだけでも充分大変すぎると思えるのに、下により重度の障害があるお子さんがいるらしいと聞き、そのような境遇の人を追いつめるようなことをするのは心苦しい、と感じる人もいます。ですから、すぐに大きな運動に発展することはないかもしれません。しかし「現状が問題である」ことはその場にいた全員が認識・確認し合いましたし、Aさんのやっていることに少なからぬ疑問(何故そこまで普通学級にこだわるのか?普通学級に無理矢理いさせられるのは、Aくん自身にとってもストレスになるだけで、何のケアも訓練も受けられない分マイナスではないのか?)及び反感自分の主義のためなら他の子供たち、教師たちの迷惑は一切構わないというのか?Aくん自身をも犠牲にする気なのか?を持ったことも事実です。

 「Aくんがこのまま普通学級にいて将来どうなろうと、親の考えでやっているのだから別に構わない。ただ2年・3年になってうちの子と一緒にさえならなきゃね。」という発言をした母親がいました。失笑を買う意見ではあるものの、実はみんなの『本音』を代弁した言葉だと思っています。一般論として、建前としての統合教育はやってもやらなくても構わない。でもうちの子がそのせいでとばっちりを食うのだけはごめんだ、というものです。Aさんだってそうでしょうが、結局のところ誰だって「自分の子のことが最優先」なのです。ですから言い方を変えれば、「自分の子がとばっちりを食うようなら、建前はどうでも、『Aくん排除運動』も辞さない」ということでもあるのです。(実際17日には、教育委員会に直訴しに行こうか、という話し合いまでしました。)

 個人的には「そろそろ限界を悟って、C中に移られたらどうですか?」と思っています。
Aくんは実際かわいくて愛嬌があるから、普通学級の中でもまだ構っている子はそれなりにいますけれども、(当然例外はいるでしょうが)ほとんどの子にとってそれは「対等な仲間」としてではなく、「教室でペットを飼っている」感覚でしかありません。自分の気まぐれで呼び寄せて、Aくんが戸惑う結果となろうとも飽きれば放っぽる、というような構い方になっているようです。私の子の場合は努めて無視しているそうです。「下手に相手をすると、まとわりついてきてウザイ」という理由です。

 もちろん中にはAくんと教室で触れ合ったことをきっかけに、障害者への理解を深め、福祉の道を志すような子が出ないとも限りません。しかし小学校時代はまだしも、中学生の現在は多くの子にとってプラスが多いとは思えません。私の子のように、逆にマイナスの感情が育っているケースもあります。実際私の子は、小学校のときには授業中のAくんの行動や突然の発言を面白がっていた面もありましたが、今ははっきり「嫌だ」と言います。Aくんへの理解は以前より進んでいるでしょうが、だからこそ「関わりたくない」という思いを強くしています。いっそ大学生くらいの年齢になれば再び余裕も出て、再度自発的に障害者と接触しようとする子も少なからず出るかと思いますが、今の段階で他人のことを相手の身になってやってあげられる子は少ないでしょう。他の子だって、小学校の時にはさまざまな折に先生から「Aくんを見ててあげてね」と言われれば、素直にそれに従った場面が多かったと思いますが、中学生では「何で自分がそんなことしなくちゃならないんだ」という反応になってしまします。先生たちに余裕の無い現体制では改善される望みも無く、結果「先生が努めて他の子からAくんを隔離し、自分の身を削って面倒を見る」ことになってしまうのです。
 
 そういう状態が、ご両親の望んでいる教室の姿なんでしょうか?
学校側がどれだけ説得をしても、他の母親たちがどれだけ団結して抗議行動を起こしても、その結果として教育委員会から何らかの形で動いても、結局のところAさんが残ると主張すれば、AくんがB中から強制排除されることはないでしょう。

 でも他の子供たちの年齢とそれによる変化、また母親たちの持つ感情については、もう一度よく認識し、そして考えて下さい。そちらも「自分たちのことをもっと理解してほしい」と思っていらっしゃることと思いますが、(それならそれで保護者会などに顔を出して主張すべきだとも思いますが)、他の子供の親の側でも同様に思っているのです。ついでに言えば、余計なことかもしれませんが、Aくんが学校生活をすべて終了したらその後どうなるのか、その時に必要なことは何か、ということももっとよく考えてあげるべきだと思います。その上で今後のことを決めて下さい。
 そしてその際には、これからもずっとご一家で地域で暮らしていくにあたって、今ここで地域の多くの親子を敵にまわすような姿勢を取り続けることが賢明かどうかということも、よく考慮して頂たいと思います。

 文中、そちらを傷つけるような部分がかなりあったであろうことは、申し訳なく思っています。
 でもこちらも子供を持つ親であり、「うちの子の利益が最優先」というのが正直にところです。お許し下さいとは言いませんが、ご理解下さい。
学校の対応 12月17日の保護者会には、Aくんの保護者は予め欠席することを連絡していた。
その席で、Aくんのことが話し合われ、事後にも、そのことはAくんの両親に伝えられなかった。

市民団体が、このような手紙が来たことを学校に伝え、どのような話を保護者会でしたのか、この手紙についてどう思うか、問い質したが、担任は親以外とは話さないと対応。

教頭は、保護者会で話したことや手紙の表現がひどいことは認めたが、内容は理解できるという姿勢だった。
その後 Aくんは3学期の途中から、障害児学級のある学校に転校。障害児学級に通う。
参考資料 SSTL 一歩まえに 1449号 /19994.8.24 就学時健診を考える府中市民の会発行
TAKEDA 私見 ホームレス殺害や障がいのある同級生を暴行死させた子どもたちが、「何で自分たちが責められるのか、わからない」「何も悪いことをしていない」と、人を殺してなお、なかなか反省することがないというが、大人たちの言動をみていると、子どもたちばかりを責められないと思う。

手紙の文中に、「今の段階で他人のことを相手の身になってやってあげられる子は少ないでしょう。」とある。しかし、障がい児は迷惑だとして、排除することしか考えない大人たちのなかにあって、いつ、どこで、誰から、子どもたちは、「相手の身になって」考えることを教わるだろう。

重たいものも、みんなで持てば、一人ひとりの負担は軽くてすむのに、少しでも自分の損になることはしたくないと誰もが手を引く。他人に関わらない、目の前で犯罪が行われても、助けを求めるひとがいても、見て見ぬ振りをする、荒んだ社会。そんななかで、子どもたちの精神が健全に育つはずもない。

いつまでも自分が強者の立場でいられるとは限らない。弱者に落とされれば、人間として認められない、親からも、周囲からも愛してもらえなくなるかもしれない。そんな不安のなかで暮らしていくのは辛くはないだろうか。
反対にもし、自分が失敗することがあっても、できないことがあっても、そのまま丸ごと周囲から受け入れてもらえる社会であったなら、ひとは常に明るい未来を目指して希望をもって生きていけるだろう。

共感できない人間は、共生することもできない。これだけ物質的には豊かな暮らしをしながら、日本人の心はなんて貧しいのだろう。



ページの先頭にもどる | 子どもに関する事件 1 にもどる | 子どもに関する事件 2 にもどる

Copyright (C) 2000 S.TAKEDA All rights reserved.