わたしの雑記帳

2009/3/24 七生養護学校「こころとからだの学習」裁判判決(2009/3/12)。

2009年3月12日(木)14時から、東京地裁103号法廷で、七生養護学校「こころとからだの学習」裁判(平成17年(ワ)第9325号、同代22422号)の判決があった。担当裁判官は、矢尾渉、澤野芳夫、長博文氏。
2008年5月15日に結審し、当初9月3日に判決があるはずが、裁判所からの連絡で、今年の1月16日になって判決期日が3月12日と指定された。

傍聴券を求めて地裁玄関前に並んだが、例のごとく、くじ運が悪い私ははずれ。(私の後ろ3人が連続して当たっていた!)
他の支援者と一緒に門の外で結果待ち。
同時刻に、原爆症認定の千葉訴訟が、東京高裁で判決があり、まず「勝訴」の歓声がわいた。一緒に拍手をし、エールを送る。
そして、「こころとからだ学習」裁判もまた、「勝訴」の垂れ幕が。わっと歓声があがった。

その後、弁護士会館で報告集会。弁護団が判決文を読みあわせをしている間に、これまでの経緯やそれぞれの思いが語られた。
傍聴したひとが、一番最初に「棄却」と言われたので、てっきり敗訴かと思っていたら、どうやら勝訴だったらしいという話が聞こえた。裁判を傍聴しなれないひとには、裁判官の言葉の意味がわからないことはよくあるが。それにしてもと思っていたら、弁護団の説明でようやく理解できた。
主文が、
1.「原告らの被告東京都教育委員会に対する訴えを却下する」
2.「被告東京都、被告田代博嗣、被告土屋敬之及び被告古賀俊昭は、連帯して原告U及び原告Nに対し、それぞれ5万円を支払え。」
3.「被告東京都は、原告K、Y、S、T、I、T、H、M、Kに対し、それぞれ20万円支払え。」
4.「被告東京都は、原告Mに対し20万円を支払え。」
(「支払い済みまで年5分の割合による金員」等は省略)
だったからだった。

説明では、最初に却下されたのは、没収された人形をはじめとする教材や授業記録の返還だという。
「被告都教委に民事訴訟の当事者能力がなく、不適法である。」「被告東京都に対する教材の返還請求は、原告らには、その引渡しを請求できる権利がなく、理由がない」などとして却下されたという。

許容金額は合計で210万円。極めて少ない。それでも、3都議らの行為を「教育に対する不当な支配」として、旧教育基本本10条1項違反と認定し、かつ、このような不当な介入から教職員を保護すべき都教委が保護しなかったして、「保護義務違反」を認定したことの意味は大きい。

なお、教育基本法は2006年12月15日に改正され、旧教育基本法の10条1項「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し、直接に責任を負って行われるべきである」は、新教育基本法の16条に移行し、文言としては「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」になっている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/06121913/002.pdf


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個人的には、判決が昨年9月3日にあるはずが、今年の3月12日に変更になったことに対して、何かあるのではないかと感じていた。いくつもある日の丸君が代関連の裁判の判決、あるいは、金崎裁判の動向を見ていたものか。少なくとも、東京地裁に「迷い」があったのではないかと思う。
今回の判決、麻生内閣の求心力低下が多少なりとも影響しているのではないかとも思ってしまう。
民主党の都議土屋敬之氏も被告になっていたが、自民党の古賀俊昭氏、田代博嗣氏が被告。そして直接的な被告にはなっていないものの石原都政が相手だ。三権分立と言いながら、現実には行政の強さに引きずられやすい。そんななかで、多少なりとも裁判所独自の判断が出しやすかったのではないか。

以前にも書いたが、死刑を決めるような刑事裁判よりむしろ、国家賠償裁判や行政相手の裁判こそ、裁判員制度を導入して民意をとり入れてほしいと思う。

今回、新聞の論調も分かれた。相変わらず「過激な性教育」「性器のついた人形」を強調し、判決に批判的な讀賣新聞。一方で、教育に対する不当な支配と認定したことを高く評価した朝日新聞。

今や、子どもでも性の情報に触れる機会はとても多い。昔なら大人でも危なくて簡単には近寄れなかった世界に、携帯電話ひとつで飛び込めてしまう。子どもたちを甘い言葉、おいしいエサで釣る大人たち。
性の情報があふれ、小学生までが性の対象とされる時代だからこそ、正しい知識を身につけさせる必要があると思う。

たとえば、小学校で起きた同級生殺害事件(040601)のあと、長崎県教育委員会が、県内の小中学生を対象に「生と死のイメージ」に関する意識調査をした結果、「死んだ人が生き返ると思いますか」の問いに「はい」と回答した児童生徒は、小学4年生14.7%、小学6年生13.1%、中学2年生18.5%もいた。「死んだ人は生き返る」と思っている子どもは全体の15.4%に上り、小学生よりも中学生の方がその割合が高かった。
子どもたちは大人が思っている以上に、周囲の情報に振り回されやすい。教えられていないことはわからない。
とくに性の情報に関しては昔から、嘘の情報が子どもたちの間に蔓延しやすい。なかでも、避妊については、とても重大な結果を生むにもかかわらず、全く根拠のないデマが飛び交い、子どもたちは本気で信じていたりする。

障がいのあるなしにかかわらず、小学生からもっと現実に即した性教育が必要だと思う。
「性」が踏みにじられるとき、「生」もまた踏みにじられる。
子どもが被害にあってから、あるいは加害者になってから対応したのでは取り返しがつかない。
また、七生の先生方は性教育だけをしていたのではない。自分の体を大切にすることを通して、心を大切にすること、自分を大切にすること、他人もまた大切にすることを教えていた。
子どもたちが暴力の被害者となり、加害者になっていく、そして子どもに限らず、大人までが生きることをあきらめていく、そんな時代だからこそ、小さいときからの「こころとからだ」の授業が必要だと思う。

結局、七生養護学校の先生方や保護者は「子どもたちの最善の利益」を考え、東京都や議員は「大人の都合」「上からのコントロール」を最優先させようとした。
一度奪われた「子どもたちの最善の利益」を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうだ。その間にも成長しつづけていく子どもたちの奪われた時間は戻らない。また、今回のことで心を深く傷つけられた子どもたちもたくさんいることだろう。
大人として、たいへん申し訳なく思う。
しかし、今回の判決で、七生の先生方に軍配があがったことに少しほっとしている。このまま、この結果を維持してほしい。


なお、過去の傍聴記録は me060617 me080124 参照。
弁護団からの判決についての声明はk030702にUPしました。




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