わたしの雑記帳

2007/4/20 小野朋宏くの裁判(2007/4/20)の傍聴報告。5/18一部訂正

今日(2007/4/20)、横浜地裁503号法廷で、久しぶりに小野朋宏くんの裁判があった。
裁判長は河邊義典氏、裁判官は木納敏和氏、鮫島沙織氏。傍聴人は25人前後。
前回はなんと、2005年9月16日(me050917 参照)。約1年半にわたって非公開で続けられてきた。
今回で弁論は終結。ただし、判決の前に裁判所から和解勧告が出て、次回はまた非公開のラウンドテーブルで、話し合いがもたれるという。

最後に朋宏くんのお母さんが法廷で意見陳述を行った。
当初、A4にして4枚の陳述書を出していたが、裁判官のほうから短くしてほしいと要望があって、A4で1枚程度の内容になったという。

裁判長が、被告の県に、母親の陳述を聞いて、何か言うことはないかと尋ねた。
おそらく、感想的なこと、あるいは失われた命に対するお悔やみの言葉を引き出したかったのではないかと思うのだが、被告の神奈川県はこの陳述書が証拠文書のどこに分類されるのかというようなことを聞いた。そして、再度の裁判長の質問にも、「裁判所がそのように処理するというのであれば依存はない」と答えた。
そして、被告側は朋宏くんの過失相殺について触れて、原告側の原田敬三弁護士は、「小野くんが亡くなったことに小野くん自身の責任は一切ない」と否認した。
最後の最後まで、県の弁護士から血の通った会話は聞かれなかった。

そして、裁判後の報告会で改めて、県が、裁判長のもと話し合って、原告、被告、双方の主張は今まで出した書類ですべてであることを確認したにもかかわらず、弁論終結のぎりぎりになって、朋宏くんが最後に運ばれた病院の医師への聞き取り調査の内容を出してきたという。
しかも、聞き取りは2月21日に行われているにもかかわらず、そのことを原告側に一切、告げずに今頃出してきたこと自体、ルール違反であると原告側は怒る。
原田弁護士は、開廷直後にそのことについて、もし自分たちにも聞き取り調査をすることが知らされており、原告側が立ち会っていたとしたら、もっと別のことが聞けたと主張した。
しかも、あとで小野さんに確認したところ、聞き取りを行った医師というのは、朋宏くんを診た主治医ではないという。主治医は、原告側に「もっと早くに搬送されていれば、助かった可能性はある」と答えており、そのことは裁判で証拠提出されている。今回の被告側が出してきた内容と矛盾する。

実は、この1年半の間にわたって、朋宏くんの死因については、2人の医師(1人は裁判所が任命)が意見書を出しているという。
亡くなる数日前に朋宏くんは風邪ひいていた(被告側の主張ではインフルエンザだったのではということだったが、記録や処方させた薬などからも、原告が最初から言っているように、ふつうの風邪であったことも調査で明らかになった)が、今回の死因はインフルエンザとは関係がないということは立証されたという。しかし、救急搬送が、学校側が一旦、朋宏くんを自宅にタクシーで送り届けたあと、母親が救急車を呼んで、措置が遅かったことから、判断材料となる生体のデータそのものがないという。判定内容は2人の医師の間で割れたが、死因は心筋症と判断された。

小野さんは、学校側が素人判断をして、救急車を呼んでくれなかったことが、息子の死につながったという。傍聴に来ていた草野恵さんのお母さんが、「娘のときと全く同じだ」という(草野さんの裁判も現在、進行協議が続いている)。合宿中に具合が悪くなったのをただコートの外に出して放置し、顧問は上級生に任せて、様子さえみなかった。
どうして学校は子どもの命の危機に救急車を呼んでくれないのか。何でもなかったら、笑って帰ってくればいいじゃないかと、同じ事件がおき続けることにやりきれなさを訴えた。

子どもの命がかかっているときに、学校・教師の関心はどこにむいているのだろう。そして、命が失われたあとも、考えるのは自己の保身ばかりだ。そのために平気で遺族の悲しみを踏みにじる。死の原因をすべて、亡くなった本人に背負わせようとする。いじめも、学校事件・事故も同じだと思う。



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