わたしの雑記帳

2004/12/30 小野朋宏くの裁判(2004/12/24)担任教師の尋問


2004年12月24日(金)、午後1時30分から東京地裁803号法廷で、小野朋宏くんの裁判の元担任教師の証人尋問が行われた。傍聴席48席のうち約7割方は埋まっていた。
今回から合議制(裁判官3人)で行われる。

元担任のH教諭は40代前後だろうか。どちらかと言えば恰幅のよい男性。
最初は被告である神奈川県側の代理人弁護士からの主尋問。
Q:陳述書はH教諭本人が作成したのか?訂正することはあるか?
A:陳述書は自分が作成した。いくつか訂正したい箇所がある。
当日、朋宏くんがカーテンを振り動かす行為を教頭に報告した内容に誤りがある。振り動かす動作は5、6回というのはあっているが、その間隔は10秒と書いたが、実際には5、6秒だった。
また、養護教諭が「てんかん」ではないかと言ったので、その言葉に引きずられて「発作」という言葉を使ってしまった。てんかんかどうかはわからないのに、「発作」という言葉はふさわしくないので、削除してほしい。
「体をくねらせるように見えた」というのも、養護教諭が「どこか痛いの?」と問いかけたら、朋宏くんは両手を腕から肩、頭のほうに痛いところを探すように動かし、小さい声で「痛い」と言った。上体を起こすような動作をした。
過呼吸の状態になり手当をしているときに、いつの間にか両手を振り動かすような動作をした。
養護教諭がカーテンを握りしめている手を離そうとしたが、その手を避けるようにしてカーテンを振り動かした。
そこに上体を起こすような動作が加えられたので、それが体をくねらせるように見えた。
それからタクシーに乗るときの様子だが、自分の足で歩いて、運転手の後ろのドアから乗ったと書いたが、自動ドアとは逆なので、自信がない。

Q:「事故報告書」は誰がどのようにして作成したのか?
A:校長が作成した。自分からの聞き取り調査を反映されている。県の職員が3度ほど聞き取りにきた内容が書かれている。矛盾することは、先ほど訂正した。

Q:甲10号証はH教諭が作成したものか?
A:はい。事故当日の夜、7時半から9時頃作成した。精神的にもショックが大きかったが、校長から記録だけは早くとっておきなさいと言われて書いた。
朋宏くんが亡くなったということで、少しでも変わった点はなかったか思いだしながら書いた。時間、時刻についてはアバウトだ。確認するものがなかったので。また、人物が発言した通りに正確には書いていない。

Q:朋宏くんの様子についてどうだったか教えてほしい。
A:3校時、連絡を受けて保健室に行くと、朋宏くんは体を硬直させていたと書いたが、それも訂正してほしい。実際には触っていないのでわからない。
また、5分位と書いたが、朋宏くんが「痛い」と言ってからカーテンを振り動かすまでは1、2分だった。
先ほども述べたが、「体を暴れるようにくねらせた」というのは、カーテンを振り動かす動作を表している。

昼休みにカバンを同級生に持ってきてもらったところ、くつのところで、かっこ書きで「少し様子がおかしい」と書いているが、その時におかしいと思ったわけではない。文章を書くときに、そういえばこういうことを言っていたと振り返って書いた。何かおかしいところはないかと考えながら書いたので、そうなった。
カバンは、黄色の他人の筆箱がカバンの上にあったので、朋宏くんは自分のではないと間違えた。筆箱を取り除いたら、すぐに自分のだとわかった。
また、くつが違うという言ったのは、自分が頼まれて取りに行った。よくある運動靴だったし、時間が短かったので、信じられなかったらしい。「一緒に見に行くか?」と言って、一緒に見に行って、ここから出したというと、「オレんだ」と認めた。違和感は感じなかった。

Q:朋宏くんの学校での様子はどうだったのか?朋宏くんは1年生の4月に入学して、担任としては4月から5月だけだったが、健康状態など気づいたことはあるか?
A:とくにない。ふつうに毎日、学校に来ていた。

Q:家庭からの申し送りは何かあったか?
A:聞いていない。事故当日まで、学校を休んだことはない。体育も1回も休んでいなかった。2校時が体育だった。ホームルームの時間にも本人から体調面での申し入れはなかった。
4月下旬の連休前に、疲れが出やすい時期だし、5月病で学校がいやになる時期でもあるので、十分に休養するように言った。

Q:前後するが、もう一度当日の様子について順を追って話してほしい。
A:保健室のS教諭から、体育の持久走で倒れた。症状としては過呼吸の症状であると連絡を受けて、すぐに保健室に行った。

Q:生徒が保健室に行くたびに、先生は様子を見に行くのか?
A:自分で確かめたかった。体育教師と養護教師2人が朋宏くんをみていた。自分が保健室に着いた瞬間は、呼吸が荒くなくて、ソファーベッドに横たわっていた。
過呼吸であると聞いていたが、その時は収まっていた。目は開けていた。顔色は青ざめてはいなかった。体育のあとだから、ちょっと赤らんでいる顔色だった。

Q:何か会話はしたのか?
A:「大丈夫か?」「意識はあるか?」と聞くと、頷いた。

Q:どのような手当がなされていたのか?
A:養護の先生のひとりは、体についたドロを濡れたタオルで拭き取っていた。体育の教師は周辺をウロウロしていた。専門家が3人もいるので、自分はじゃまにならないところで様子をみていた。
「まだ脈が早いね」と養護教諭2人の会話があった。
朋宏くんの息が次第に荒くなって過呼吸の症状が出た。

ここで、原告代理人弁護士から、過呼吸かどうかについては争いがあるところなので、安易に過呼吸という言葉を使わないでほしいとの異議があった。裁判長も同意して、できるだけ過呼吸という単語ではなく、その時みた状態についてありのままに話してほしいとの要請があった。

A:体育の教師と養護の教師がビニール袋を出して、手当をしていた。ビニール袋は透明でない白いもの。保健室に常に置かれている。(被告側弁護士が現物を見せて確認)
息がいちばん荒くなったときから、治まる直前まで続けられた。

Q:医者や救急車を呼ぶことは考えなかったか?
A:考えなかった。適切に手当をして、順調に回復していたから。過呼吸の息が荒く、必要以上に酸素を吸っている状態から、ビニール袋で手当して、すぐに症状が治まった。その後は異常を感じなかった。
朋宏くんは再び、呼吸が荒くなった。カーテンを動かす動作をした。カーテンを動かす音で何がおこったのかとベッドに近づいた。
養護教諭に「この子、てんかんがあるの?」と聞かれて、「わかりません」と答えた。職員室に生徒環境調査があったので、カーテンの動作のあと職員室にとりに行った。戻ったときには、カーテンの動作とともに、呼吸が荒い状態も治まっていた。
養護教諭が立っていたので、頭のほうは見えなかった。カーテンの音で足元に移動した。カーテンの回数は5、6回。カーテンレールの音がした。間隔が5、6秒。養護教諭が「どこか痛いところある?」と聞いたあと、1分から2分たってから、手を動かしはじめた。
上半身は見えなかった。硬直はわからない。けいれんは確認していない。声を出していたかどうかは記憶にない。

Q:カーテンの動作が意識障害を起こしていたのではないかと争いになっているが?
A:ふつうと違ったところはなかった。ただ、養護教諭が「てんかんではないか?」と言ったので、これはてんかんなのかなと思った。すぐに症状が治まったので、救急車や医者を呼ぶことは考えなかった。
職員室の生徒環境調査票には気になる記載はなかった。それを見て保健室に戻ってきた。朋宏くんはおだやかになって、ふつうに会話できるようになっていた。
上半身を起こそうとしていて、周りが「もっと寝ていなさい」と言って寝かせた。朋宏くんの言葉は思い出せない。

11時40分頃、退室した。養護教諭が朋宏くんに「少し眠ったほうがいい」と言って、朋宏くんも「寝る」と言ったので、4時限目の授業に行った。

Q:朋宏くんが「ここはどこ?」と言ったことをどう思ったか?
A:保健室を知らなくて、養護教諭をはじめてみるんだなと思った。
「水が飲みたい」とも言った。どちらの言葉が先だっかは覚えていない。
「ここはどこ?グラウンドにいたはずなのに」と言われて、「保健室だよ」と何人かが言った。自分も言ったと思う。
朋宏くんは、「そうか」という感じで違和感はなかった。
副担任に「小野朋宏くんの体調が悪くて、過呼吸の症状が出ていたが、今は治まっている。できれば様子をみてほしい」と引き継いだ。
授業が終わって保健室に向かうところで、副担任とは階段であった。「朋宏くんが弁当を食べたがったが、今はまだ昼休みではないので待たせている」とのことだった。
朋宏くんは半身起きあがって、弁当を食べたいと言った。教室に弁当を取りに行った。回復していたので安心した。

Q:下駄箱にくつを確認しに、朋宏くんは自分で行ったのか?
A:ゆっくり一緒に歩いた。速度は遅かったが、自分で歩けた。

Q:母親には電話でH担任が知らせたのか?
A:お母さんには自分が電話した。体育の授業で倒れたので、今、保健室で寝かせている。タクシーで家に連れて帰りたいが、家には誰かいるかと聞いた。過呼吸の症状があることは言った。てんかんという言葉は使っていない。けいれんという言葉は使った記憶がない。

タクシーを呼んで、朋宏くんは運転手の後ろに座った。自分は助手席の後ろに座った。
朋宏くんは「携帯がない」と言って探し回った。結局はポケットにあったが、タクシーの運転手にちょっと待ってくれと言って待ってもらった。
朋宏くんは、体を横にして「この格好が楽なんだよね」と言った。「自転車を学校に置いてきたので、明日どうしようか」と心配していた。「明日、車で迎えに行く」と言うと、「先生の家、どこ?」と聞いた。
家の近くになってから、朋宏くんが道案内をした。道に迷ったりはしなかった。
自宅前で「待っていろ」と朋宏くんに言って、門をあけて玄関につく頃、母親が飛び出してきた。

朋宏くんは自分でタクシーを出て、門のところに立っていた。自宅門扉から玄関まで自分で歩いた。玄関直前にカバンを落としてよろけた。転んでいない。倒れてもいない。カバンは自分が拾ったのか、朋宏くんが拾ったのかは覚えていない。
お母さんに、体育の授業で倒れた。詳しいことは学校から連絡があると伝えた。自転車を置いてきたので、明日は何らかの方法で手配しますと伝えて、待っていたタクシーに乗って帰った。

Q:タクシーの後部座席は失禁で濡れていたか?
A:気づかなかった。

Q:今までに過呼吸の手当をしたことはあるか?
A:女子バスケット部の顧問をしていたので、ある。女子には過呼吸が多い。自分のチームでも、他のチームでも手伝いをしたことがある。静岡の消防署勤務のひとに手当を習った。

Q:体育教師や養護教諭の手当に不適切なところはあったか?
A:ない。

Q:救急車を呼んだことはあるか?
A:自分自身が呼んだことは、この学校ではないが、他ではある。
着任して1年。同校で救急車を呼んでいるのを2度ほど見た。内容はわからない。

Q:救急車を呼ぶのに躊躇するような理由はあるか?
A:躊躇することはない。

Q:クラスメイトからの事情聴取はH教諭が行ったのか?
A:私が行ったが、教頭がいつも立ち会ってくれた。アンケートをしたり、個人的に2、3度話しを聞いた。クラスのなかで討議もした。

ここから、原告代理人弁護士から反対尋問。

Q:過呼吸の手当てをしたということだったが、ペーパーバック法だったのか?ひとりで行ったのか?
A:ペーパーバック法を自分のチームのときには自分とマネージャーが行った。多チームの時には、そのチームのコーチと自分が行った。

Q:手当をした結果、すぐによくなったのか?
A:すぐによくなった。ただし、プレイができるほどには回復しない。

Q:すぐによくならなかったことは?
A:ない。1、2分、もしくは2、3分でよくなった。

Q:担任の生徒が保健室に運ばれるといつも付き添うのか。この時、付き添ったのはなぜか?
A:なるべく付き添うようにしている。たまたま授業が空いていたし、心配だったので。保健室で休ませるか、自分で早退するか、それを確認するまではいるようにしている。何でもない子は「自分で帰りなさい」と言う。朋宏くんは、「午後、授業に出たい」と本人が言っていた。

Q:当日、一番、印象に残ったことは?
A:タクシーのなかで、いつもより親しげにニコニコと話した。

Q:体育の教師が生徒に対して暴言を吐いたことを知っていると思うが、そのことについてどう思うか?
A:学校の体質はよくない。工業高校は5つの部署からできていて、ものごとがなかなか決まらない。

Q:1週間後の父母会について、どんなことが話されたのか?
A:校長は体質を変えようと努力している。信じてくださいと話した。あとは校内人事の話しだったと思う。

Q:あなたは両親が欠席した懇談会で、「学校を辞めても闘いたい!」と言ったのではないか。どういう意味で言ったのか?
A:親御さんの気持ちを校長にじかに伝えた。学校の体質の悪さや心情的なことでそう言った。

Q:納得ができないことがあったのではないか?
A:話しを聞けばあった。あとで、体育教師の措置が遅れたと知った。タクシーにのる時、体育の教師にも乗って、親御さんに説明してほしかった。

Q:朋宏くんのお父さんに電話して、「私もおかしいと思っている」と言って涙ぐんでいたのではないのか?
A:おかしいところがあれば、どんどん言っていただければ、協力すると言った。学校に両親の気持ちを伝え、仲介したいと思った。しかし、マスコミに出すとか、訴訟するとかいうことには協力できない。

Q:朋宏くんの顔色について、H教諭は「赤め」と証言したが、生徒は「青白い」と表現している。変化はあったのか?事故報告書には、「3校時終了後より、顔色がよくなっている気がした」と書いているが。
A:変化については覚えていない。ただ、保健室に入ったときには声は出せなかった。しかし、目をあわせた。

Q:1週間後にも、あなたは父母会で、「たとえば私はこういう報告をしております。ちょっと聞いて頂きたいのです。」と言って報告の中味を説明している。「(朋宏くんは)体を硬直させた。体をあばれるようにくねらせた」と説明しているが?
A:それは先ほども説明したように、カーテンの表現がうまく言えなかった。カーテンを振り動かしたことを言いたかった。両手を使ってカーテンを握っている手を途中で養護の先生が手をほどこうとしたのを、避けるようにして、かわして動かした。4、5回動かした。

Q:養護の先生が触れないくらいの動きをしたということではないのか?
A:タクシーのなかで、朋宏くんは「この格好が楽」と言って横を向いたので、混乱して記載してしまった。

Q:保健室で、朋宏くんの意識に問題はなかったのか?
A:カーテンの動作をしたときのは、てんかんがあるのかと問われて、チェックし忘れたとしたらまずかったなと思った。しかし、症状として過呼吸と同じもので、意識には問題なかった。顔は見えなかったが、すぐに治まった。
「ここはどこ?」のあとも、何事もなく、寝ていた。興奮状態ではなかった。あとで生徒の話しを聞いて、そんなにひどかったのかとびっくりしたくらいで何事もなく寝ていた。

Q:朋宏くんが落ちついたあと、養護教諭が血圧も測っていないのはなぜか?
A:本人の不安が強く、それに声をかけたりしていて、そういう状況ではなかった。

Q:養護教諭は記録をとっていたか?
A:とっていなかった。

Q:カバンの件だが、黄色い筆箱が入ったバックを、筆箱を除いたらすぐわかったということだったが、生徒は、「一度見せたら、自分のものじゃない」と言い、名前まで見せても「自分のものじゃない」と言ったと書いている。「大丈夫か?」ときくと、「ああ」といきなりわかったとあるが。
A:筆箱は別の生徒のものだった。それを取り除いたらわかった。

A:お弁当は「うちで食べたら」と言ったら、少しハシをつけて、「そうしようかな」としまった。「午後の授業、出ようかな」と朋宏くんは言っていたが、帰したほうがいいと思っていたので、「やっぱり今日は帰ろうかな」と言ったとき、すぐにタクシーを手配した。

Q:タクシーを呼んだのはなぜか?
A:本人は「自転車で帰る」と言ったが、保健室でなったように、息が荒くなったら困るので、タクシーで帰すことにした。

Q:朋宏くんがくつを自分のものではないと言ったのはなぜか?
A:朋宏くんから下駄箱のカギを借りて、くつを持ってきた。「自分のものではない」というので、早すぎて信用してくれなかったと思った。「信用していないな。一緒に見に行くか?」と言うと、「見たい」と言うので一緒に行った。よくあるくつだったし、早かったので、そう思ったのだと思う。特別、意識障害があるようには思えなかった。くつの認識ができないというより、違うくつを持ってきたのではないかと思われた。

Q:タクシーで送り届けられたあと、朋宏くんは家ですぐにトイレに駆け込み吐いた。中で倒れてドアが開かなかった。タクシーの中での状態はどうだったのか?
A:あとで話しを聞いて驚いている。失禁はわからなかった。気づかなかった。1時25分頃、歩いているとき、よろけた。しかし、ひとりで歩ける状態だった。付き添いは一人で可能なぐらいだった。タクシーでも悪い状況には見えなかった。門から玄関に向かう間にカバンを落とした。拾おうとしてよろけた。自分が左腕を支えていたのでよろけたのかと思った。おかしいとは思わなかった。ゆっくりとしたスピードだったが、歩けた。ふらふらはしていない。

Q:現在も過呼吸の症状だと思っているか?自分が見た状態と亡くなったこととは関係がないと思っているか?
A:わからない。

Q:お母さんの話しでは、担任からの電話で、「体育の持久走で倒れた。過呼吸の症状が出ている。今は保健室にいる。けいれんしている」と知らされたと言うが。意識障害とは、自分がどこにいるかわからない状態を言うのではないか。グラウンドにいたはずなのに、保健室にかつぎ込まれているのは、異常ではないか?
A:その時はそう判断しなかった。養護の先生に任せてしまって、その時にはそう思わなかった。

裁判官からの質問
Q:カーテンのところでは、当日、「肩のあたりが痛い、痛いと言って5分くらい・・・」と書いている。冒頭で説明は頭の中の記憶なのか?何年もたっているが、この段階ではじめて具体的な内容を思い出したのか?
A:今回、陳述書の作成にあたって、あいまいな言葉や文章、誤解が生じてはいけないと、正確にあらためて書いた。

Q:カーテンを握っている手が養護教諭の手を避けたというが、5、6秒とまっている間にどうして離せなかったのか?
A:「話しなさい」と声をかけながら、一本、一本指に手をかけて離そうとした。「体を硬直させた」と言うのは強く握ったの意味。「体を暴れるように」はカーテンを振り動かした動作。「くねらせる」は上体を起こそうとしたこと。
タクシーのなかで、朋宏くんは「この格好が楽」と言って横を向いたので、保健室でも横にしたかったのではないかと思った。

Q:回復したと判断した根拠は?
A:体が起きあがれた。言葉がスラスラ出てきた。弁当を食べるときにはハシを持つ手が少し震えていたが、過呼吸の症状でも同じことがある。

Q:過呼吸と判断したのはなぜか?
A:過呼吸の生徒をよく見ていたので。それに体育教師、養護教諭の3人がいて同じ判断をしていたので。

Q:過呼吸は何度か繰り返すことはあるのか?
A:5分前後、10分くらい後に繰り返すことはある。

Q:タクシーの中について、失禁があったというのはかなり症状が悪かったのでは?
A:タクシー会社に確認に、聞き取りに言った時にタクシーの運転手に「ちょっと染みていた」と言われた。
染みていた程度なので、タクシーのなかでしていたとはわからない。

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今回、担任の証人尋問でも、前回(2004年10月6日 me041010 参照)と同様、「けいれん」や「硬直」と書かれていたものが、単にカーテンを握って振り動かしたり、上体を起こそうとしたなどと、極めて軽い表現に直されている。それも陳述書に書かれたものさえ、法廷でさらに軽く、表現を訂正している。

しかし、この担任は当初は、「首をかけても」と強い正義感を見せていた。父母の前でも疑問を呈していたという。それが、月日(事件は2002年5月7日)をかけるなかで、学校側から説得されたのか、マスコミや裁判に訴えたことから心を閉ざしてしまったものか、すっかり学校側についてしまった。

実は、被害者や遺族が裁判を闘うなかで、けっして珍しいことではない。当初は、生徒の死に動揺したり、責任を感じて、いろいろ情報提供してくれたり、被害者に寄り添ってくれていた教師が、やがて冷静さを取り戻すとともに、学校側に呑み込まれていく。言ったこともすべて、知らないという。言っていないという。
「この先生は」と信頼していた教師に裏切られ、学校のもつ病を思い知る。
まれに、信念を貫き通すような教師がいた場合、教育委員会、管理職から睨まれ、同僚からも職場のいじめにあう。他校に異動になったり、精神的に追いつめられて辞職せざるを得なくなったりする。責任を押し付けられて、告発した教師のみが処分を受けることさえある。

そして同様のことが、当初は情報提供したり、味方になってくれていた他の生徒や保護者にも起きる。内申書や学校推薦をたてに、脅されたり、エサをぶら下げられたりする。
オセロのコマをひっくり返すように、次から次へとあっという間に裏返ってしまう。

だから、とても残念なことではあるが、私は被害者にはまず、証言のとれるときに録音する、本人に書いてもらうなど、できるだけ確実に証拠固めをすることを必ず勧めている。
近くで支えてくれるひとがいる。そのことは被害者にとって大きな勇気と力になる。しかし、それが裏切られたときの絶望感もまた大きい。大きな被害を受けているひとに対して、再び傷つけるようなことがないように、いつも祈らずにはいられない。

この不況下に職を失うことは、家族をも路頭に迷わせるはめになる。
企業で、行政で、学校で、告発者が不利益を被らないような、実効性のある保護制度をつくるべきだと思う。宗教心のない日本人に「神に誓う」「法廷での宣誓」はあまり意味をなさない。罰則よりもまずは、安心して証言できるシステムをつくることで、真実は少しでも明らかになるだろう。悲劇を教訓として生かすためにも必要なことだと思う。

当初の予定では、朋宏くんのお母さんの証人尋問も続けてある予定だったが、結局、時間がなく、次回(2005年3月11日・金、10時30分から503号法廷にて)に回されることになった。



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