わたしの雑記帳

2002/9/30 川崎市熱中症事件の判決


今日は、私が知っているうちの3つの裁判が重なってしまった。結局、判決が出ることと、午前と午後で場所的にも十分移動が可能な川崎市の熱中症事件の刑事裁判公判と岡崎さんが学校を訴えている裁判の判決の公聴に行った。

午前10時から、横浜地裁川崎支部で、2000年8月21日に熱中症で死亡した森本桂多くんの元野球部顧問に対する刑事裁判の判決があった。報道陣がかなりの数来ていたが、一般の傍聴は少なかったように思う。
結果は40万円の罰金刑(求刑50万円)。栗田健一裁判長は早口に判決理由を読み上げた。

真夏の炎天下に日陰のない場所での練習。太り気味で体力のない部員の健康状態への配慮が欠けていたこと。集団の先頭を走り、最後尾を走る森本桂多くんに熱中症の症状が出たことに気付かずにいたこと。熱中症などにかかった場合の適切な救護措置を取る態勢に欠けていたこと。など、中学校の部活動の指導を託されたものとして、業務上注意義務があるのにかかわらず怠った過失があるとした。
また、わずか13歳で亡くなった桂多くんの無念や両親の無念に言及。顧問を厳罰に処してほしいという両親の訴えに心動かされ公訴となった経緯などが話された。

一方で、10日間という長い休み明けの初めての練習ということで、普段よりも運動量が少なかったこと。
顧問が遺族に謝罪していること。6ヶ月間の給料減額と、2年間現場の教職を離れ市の教育センターで研修を受けていること。報道等ですでに十分、社会的制裁を受けていること。保険により2500万円が支払われていることなどを理由に、減刑に至ったと説明した。

判決文のなかに、桂多くんが友だちの肩を借りて走り続けていたとあった。そこまでして最後まで走り続けなければならないほど、精神的に追い込まれていたのだと知る。ある方から、部活顧問が日頃、かなり厳しい体罰をおこなっていたと聞いて納得がいった。部員たちはおそらく、どんなに具合が悪くても口に出せない状況下にいたのだろう。身体の不調を訴えたところで、聞いてもらえない。それどころか「たるんでいる」「甘えている」として、暴力を振るわれたり、さらに厳しいシゴキが待っている。そんな状況下で死ぬまで頑張るしかなかった。もちろん、これはあくまで私の想像でしかないが、多くの部活動で子どもたちが同じ様な目にあっている。

公判が終わって裁判官も去ったあと、被告のK教師は後ろを向いて、遺族に対し「申し訳ありませんでした」と深く頭を下げた。それに対して、桂多くんのお父さんが「ウソつくな!」と怒鳴った。
そこには、新聞報道だけでは知り得ない、様々な事情、遺族の思いがある。軽い罰金刑だけで、遺族が納得いくはずもない。被告が今だ辞表も出さず現役の教師でいること。2500万円というお金は保護者らの保険料から支払われた金であり、被告本人の懐が痛むわけではない(なかには、このお金を受け取ったことで提訴できないと思いこんでいる遺族がいる)。まだ多くのことを隠していると思われること。裁判を睨んでの謝罪はあっても、誠意を感じられないことなどがあるのだろう。「金なんかいらない。桂多を返してくれ!」と本当は叫びたかったと後でお父さんは言った。

公判後、遺族の方たちとお話しする機会があった。
兵庫県からは、この日のために、やはり中学のラグビーの部活動中、熱中症で倒れたにもかかわらず、「演技は通用せん」などと怒鳴られ放置され、息子の健斗くんが死亡に至った宮脇勝哉さん(兵庫学校事故・事件遺族の会サイト:http://homepage3.nifty.com/Hyogo-GGG-Izokunokai/ 参照)が傍聴にいらしていた。
いくつもの熱中症の事件、事故がありながら、相変わらず同じ様な事故が後を絶たないことに遺族は怒りを隠さない。今年もまた、同じ川崎市で熱中症で生徒が亡くなっているという。教師たちは学ばない。社会も関心を示さない。被害者も多くは声をあげない。そのことが子どもたちを殺し続けている。

森本さんは、「これは教師の犯罪です」と言い切る。そのことが理解されないことに憤る。
ある新聞では今回、顧問教師が起訴されたことを受けて、そうやって教師の責任を言い立てると部活の顧問のなり手がなくなって困ると書いていたという。なり手がないなら、無理に教師に頼まなくとも、きちんと安全に対する知識と配慮を持ち合わせた学校外の専門家に任せたほうがいいと森本さんは言う。
私も、中途半端な顧問なら、生徒たちを死の危険にさらすような顧問なら、いないほうがマシだと思う。身体をこわしたり、心を深く傷つけられたり、命を失うような部活に子どもを入れたいと思わない。
そして、部活が真に子どもたちのためになっているか疑問だ。単に学校の宣伝に利用されてはいないだろうか。あるいは、部活でエネルギーを発散させて、あるいは時間的にも縛り付けて、非行防止の手段にするという考え方が教育関係者にまん延した時代もあった。

裁判官は、桂多くんについて、「太り気味で体力のない部員」ということを何度も強調して言った。そのことについても遺族は、太っていて熱代謝が悪い部分はあったかもしれないが、けっして体力のない弱い子どもではなかったと反論する。また、いつもより軽い練習だったというが、そんなことはない。時間だけしか裁判官は見ていないが、内容は非常にハードなものだった。体力のある大人だって、炎天下についていけない。そもそも、真夏の炎天下に木陰もないところで、走らせること自体が間違いであると言った。

禁固刑にはならなかった。そういう判決が出たとしても執行猶予つきだったろうと弁護士さんは言う。
生徒を殺しておきながら、自分から学校をやめることもせずに居座り続けている、そのことが遺族には許せない。教育委員会もすでに減給という処分を出している。実刑でもない限り、これ以上の処分はないだろうという。
それでも、遺族にとってはまるで納得のいかない判決でさえも、多くの子どもたちの死のうえに成り立っている。法的な面では、少しずつでも改善はされてきている。
「いったい何人の子どもたちを殺せば気がすむのか」「桂多は捨て石にされた」。ここでもまた子どもを殺された親は、どこにぶつけていいのかわからない怒りを吐露する。

ひとり息子を亡くして、医者に処方してもらった薬を飲まなければ、日々の生活をやっていけない。そんななかで共通の思いを抱く人たちが手を携えようとしている。情報交換をし現状を学ぶ。亡くなった子どもたちのために、生きている子どもたちのために、自分たちは何ができるのか。しなければならないのか。
遺族だけでなく、もっと多くの大人たちがこの思いを共有できたなら、子どもたちはこれほど多く、殺されずにすんだだろうと思う。


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