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日本下水文化研究会
Japan Association of Drainage and Environment
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下水文化研究発表会


下水文化研究会では2年に一度発表会を開催しております。




第8回下水文化研究発表会報告

 昨年11月26日第8回下水文化研究発表会が行われました。 9時45分から基調講演として、奈良文化財研究所・松井章氏より『古代宮都と汚水処理-尿尿と汚水処理』と題して、古代のトイレの遺跡から食生活を推理するなど、考古学の醍醐味を聞かせていただきました。続いて行われた各セッションの発表についてはそれぞれの座長を務めていただいた方々からの報告をお読みください。
 各セッションの発表のあと、京都産業大学・勝夫淳雄氏をコーディネーターとして「水環境と歴史」をテーマにパネルディスカッションが行われました。パネリストは、流通科学大学・長山雅一氏、神戸大学・神吉和夫氏、日本下水文化研究会・栗田彰氏、京都府・山崎達雄氏、日本下水文化研究会・山野寿男氏の6氏です。
 長山氏からは大阪の水に関する遺跡について、神吉氏からは江戸時代の上水道の遣跡について、栗田氏からは江戸の下水道について、山崎氏からは昔の立ち小便の習慣について、山野氏からは大阪の汚水の歴史について、それぞれ多岐にわたる興味深い話題提供がありました。会場からは、大阪の昔の水の利用状況などについて質問があり、パネラーと意見交換が行われました。

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セッションT  下水文化史

結城 庸介 アーバン・エース

1.河内平野における悪水対策

 大阪平野のうち、生駒山地と上町台地に挟まれた地域である河内平野において、近世・近代及び現代にわたって、鯰江川の開削、古川の改修、徳庵川の開削などの悪水対策について説明された。長年にわたり河内平野の人々が悪水対策に苦闘されてきたことがよく理解できた。

2.初期の江戸下水(その2)

 江戸時代初期の町割に際して造られた「会所地」の周りには「下水」が造られていて、 「会所地」 へは下水は流されていなかったことを、その当時の資料である「町触」や今でいう土地台帳にあたる「沽券図」をもとに説明された。江戸時代の町割における下水路の状況が分かる興味深い発表である。

3.昭和初期における屎尿の不法投棄問題

 屎尿の不法投棄問題について、その当時の実情が紹介された。都市内で汲み取られた屎尿は、屎尿運搬船により河川や湾内を航行しながら不法に船底より排出している例が横行していたようである。このような状況に対処するため、昭和5年に汚物掃除法施行規則の改正が行われた。本発表により、当時の屎尿問題の深刻さが印象づけられた。

4.下水路のある風景-永井荷風と滝田ゆうが描いた路地裏

 永井荷風は当時の寺島町玉の井の地を背景として、細い路地が入り組み迷路のような町に見られる不潔な溝を描写している。滝田ゆうは、細い曲がりくねった路地の溝や、雨樋、便所などを詳細に描写している。下町の下水路を「文章」や「絵」によって芸術作品として表現していることは驚きである。

5.下水道に対する大災害時の近隣府県の救援体制について

 阪神淡路大震災に際して大阪府及び府下自治体から多くの人々が兵庫県下の下水道施設の復興支援に携わった。その支援業務は主として管渠の被害調査とその復旧のための設計業務であった。本発表は今後起こりうる震災対して下水道関係者が支援活動を行う際の貴重な参考になると思われる。

6.阪神淡路大震災の経験を風化させない(被災者の立場から)

 下水道施設に対する地震被害の特徴として、管渠の被害は比較的軽微であったこと、軟弱地盤に立地した施設の被害が大きかったことである。また、被災時の対応における要点として、他団体からの支援の受け入れ体制、下水道台帳の整備、災害査定手続きの簡素化などについて述べられた。本発表によって震災を受けた者の立場から、震災復興に関する注意点を知ることができた。 150分という短い時間内で6人の方が発表されたが、「下水文化史」の名称にふさわしい興味深い発表がなされたと思う。

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セッションU 海外下水文化

高橋 邦夫 日本下水文化研究会

 このセッションでは、嘉田由紀子氏(京都精華大学)の「アフリカ・マラウイ湖辺での水環境保全-食糧問題とエコ便所導入」 、保坂公人氏(五十音設計)の「バングラデシュのエコ・トイレ建設に伴う環境教育について」 、永持雅之氏(大阪市都市環境局)の「ハバナの下水道とハバナ湾」 、細川顕仁氏(日本下水道事業団)の「インドネシア共和国における汚水処理の状況」 、谷口尚弘氏(東京設計事務所)の「ブラジルにおける下水道経営戦略」の5編の研究発表がありました。
 アフリカ、南アジア、東南アジア、中南米と、気候風土、社会風土、そして衛生問題に対する住民の態様や下水道整備に対する熟度を異にする地域での多岐にわたる研究発表でした。ともすれば、無菌動物を育成するかのような日本の衛生整備、下水道整備の来し方を基軸に見がちな我々の視座に対する率直な文化障壁が個々の発表の基調にあったものと思います。
 固有の気候風土に立地する人々の生業を文化とすれば、衛生観念の共有やその具現化としてのトイレ・下水道機能の整備は普遍性を持った文明ということができるでしょう。勿論、トイレ・下水道整備などの形態の差異は文化の領域に入るでしょうが。
 アフリカとバングラデシュの発表は、同じ機能のエコ・トイレを学校と個人住宅に導入した例です。しかしながら、学校の共同トイレでは、管理が行き届かないことが課題として挙げられておりました。このことは、ハバナ、インドネシアにおける発表でも指摘されています。一旦我が家を出た後の汚水や下水道がどうあろうと住民の関心は極めて希薄のようです。公と私に対する文化の持つ観念の相違、生物学的にいえば、なわばりに対する文化障壁といえるかも判りません。
 我々日本人が長年培ってきた資源還元型のし尿文化は、高度経済性成長期に、国策として採用された欧米型下水道整備に切り替わり、一気呵成に高度処理にまで至ったことは衆知の事実です。その結果、処理水や汚泥など資源処分型の一過性の形態を確立してきたことは否めない事実であります。そのような仕組みを維持できるのは、私が莫大な税金と料金を負担し、公の運用にゆだねる方式と言えるでしょう。私がなわばりを金で確保する構図です。それも極めて狭い領域に壊小化されたなわばりといえるでしょう。我々日本人が長年培ってきた資源還元型のし尿文化における公と私、私の持つ衛生意識と行動のなわぼりについて再考を促す示唆に富んだ発表会であったと思います。

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セッションV  下水文化活動

福智 真和 クボタ

 セッションVでは、水文化を通して環境教育等の取り組みを行っている方々より、 6編の活動状況についての報告がありました。いずれの活動も地域の中に着実に浸透し、多くの実績を上げておられ、社会的に極めて有意義な取り組みの発表でした。また、優れた論文揃いで、優秀論文2編とも当セッションから選ばれました。

1.上賀茂地域の活性化を目指した環境学習から地域研究への展開

 300年以上の歴史を持つ上賀茂の独特の伝統文化が、少子・高齢化等により、その継承が難しい状況になって来ていることから、地域・歴史への認識を高め、文化の伝承と地域の活性化を目的とした、環境学習や地域研究等の活動についての報告である。それらの活動が地域住民に理解され、住民の主体的な活動へと発展させていく過程の様々な取り組みの手法、住民への接触における配慮などは、今後のNPO活動の参考になるものと思います。

2.奈良の水とまちづくり

 古代の町づくりにおける水利用の形態を掘り起こし、水環境の悪化は、都市生活に深刻な状況をもたらして来たことを紹介し、持続発展が可能な町づくりにおいて、下水道が、水の質的・量的コントロールに今後益々重要な役割を果たしていかなければならないことを示された。

3.「生きている大和川」をつくるにあたり

 ひと・くらし・自然をテーマとして、自然や水辺に親しむ副読本として「生きているシリーズ」作成への取組みについての発表で、子どものみならず親、教員の環境教育を目指し、極めて精力的な活動の状況が報告された。

4.渚処理場試験田 〜処理水を利用した稲作〜

 下水処理水の稲作への利用の可能性について、 5,000m2の大規模での実験を4年間にわたり実施して、十分利用できることを実証し、食味・抵抗感・商品価値においても遜色の無いことが示され、処理水の水循環利用の枠を広げることに繋がる大変有意義な報告でした。

5. NPO法人京都・雨水の会活動報告

 雨水利用に関する、環境教育冊子の発行、国内・国際会議への参加、セミナーの開催、行政への政策提言、雨水タンクの設置・調査など広汎な活動の状況が報告されました。

6.市民がつなぐお寺と環境、そして地域社会

 東本願寺の御影堂(ごえいどう)の修復工事を契機として、かつて人々の精神的拠り所であったお寺が、環境問題を一つの視座として地域との交流を進め、お寺と市民の密接な繋がりを取り戻し、新たな社会的使命を果たしていこうとする様々な取り組みについて報告された。

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第8回 下水文化を見る会を案内して

流通科学大学 長山 雅一

 大阪の下水文化研究発表会でシンポジウム「水環境と歴史」のパネラーと巡検の案内役をおおせつかった。見学は難波宮跡の湧水と排水施設の遺構や太閤下水として現在も使われている石積の下水、城下町の背割下水跡を歩いた。
 この発表会と関わったことから認識を改めることが多くあり、発掘調査への課題が見つかり有意義なものであった。と云うのは、現在ではトイレから下水へ直接に放流され、下水とは汚水を流す施設である。しかし、かっての都市構造と生活スタイルでは、そうでなかったことを確認したことは、私にとっては大きな成果であった。
 パネルディスカッションにおいて、私は発掘調査に見る近世大阪の下水の話を予定していた。しかし、下水を流れる水は必ずしも悪水ばかりではないことが伺われ、「太閤下水」と云われる施設が、「水道」と呼ばれていることを知った。
 以前、東京の「水道博物館」で江戸における上水の展示を見た。非常に素晴らしい上水施設に感心しながらも、排水についての疑問が生じたので質問したが、適切な答えはなかった。シンポジウムにおいて江戸の上水は、水量が豊富で排水にも汚水の感覚が少なかったことを了解した。そして、排水が流れ込む隅田川の水で酒が作られていたことも紹介されていた。そして、近世史家の「当時のわが国に上水はあるが下水はない」という記述を読んで違和感を覚えていたが、事情が理解できたように感じたものだった。
 発表会の翌日、森の宮貝塚をスタートに上町台地を横断し、船場の適塾まで歩いた。古代の上町台地には多くの谷があり湧水が湧いていた。越中井戸と云われる細川ガラシャゆかりの井戸やNHK新館建設前の発掘で七世紀中葉の湧水遺跡とその排水を導く石組溝が地下に保存されている施設を案内した。NHK地下では大阪歴史博物館の植木課長の説明をめぐり参加者と熱心な質疑が交わされた。
 昼食後は現地公開されている太閤下水へ向かった。太閤下水は秀吉の城下町建設時に設置されたもので、今では発掘結果から江戸時代の建設の可能性が強いとされている。太閤下水とは市街地に現在も約20Kmが現役で使われており、町境を流れ背割下水と云われている。
 現状の市街地では城下町の建設時に遡る門や塀の跡が、現在の道路と並行して発掘されることが多い。すなわち大阪の町は豊臣氏の城下町の街区が継承されていることになる。上町から船場へ背割下水の位置を確認しながら歩いた。
 大阪の町家は間口が狭く奥行きが長い「鰻の寝床」と云われる構造を持っている。そこで、道路側から町家の構造を見ることは難しい。ところがバブル後に駐車場が増え、側面から古い町家を見るこ とができるところが多くなっている。そのようなところから、町家が道路に面して店が建てられ、中庭を挟んで奥に「はなれ」と蔵がある。そして、背中合わせの家との間に背割下水が存在しているのである。背割下水はそのように配されたものである。
 見学の最後に緒方洪庵の「適塾」へ向かった。適塾の裏には背割下水敷を示す幅約1mの未舗装部分があった。途中、道修町の神様「神農さん」に立ち寄った。神農さんの秋祭にはコレラ除けのまじないに起原を持つ「張り子のトラ」が配られることは良く知られている。思いがけなく、ここにおいても大阪の下水との関連を知ることとなった。
 このように、案内役のわたしにとって、実に興味深い見学であった。

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