現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2010年の発言

◆太田昌国の夢は夜ひらくH メディア報道劇「チリ・地底からの生還」は何を描かなかったか2010/11/7

◆「抵抗の布――チリのキルトにおける触覚の物語」ラウンドテーブルにおける発言2010/10/265

◆いわゆる「尖閣諸島」問題について2010/10/25

◆太田昌国の夢は夜ひらく8 検察特捜部の「巨悪」の陰に見え隠れする、日常不断の検察の「悪行」201/10/4

◆太田昌国の夢は夜ひらく7
イラクが被った損害を一顧だにしない「戦闘任務終了演説」2010/9/27


◆太田昌国の夢は夜ひらく6
国家論なき政治家の行方――死刑執行に踏み切った法相の問題2010/8/25


◆太田昌国の夢は夜ひらくD 植民地・男性原理・王家の跡継ぎ問題を浮かび上がらせた舞台2010/7/16

◆韓国哨戒艦沈没事件を読む2010/6/9

◆太田昌国の夢は夜ひらくC 「理想主義がゆえの失政」に失望し、それを嗤う人びとの群2010/6/9

◆脱北者を描く映画のリアリティが暗示していること2010/6/1

◆わずか二百人のアメリカ人にとっての普天間問題2010/6/1

◆昌国の夢は夜ひらく@横断的世界史を創造している地域と、それを阻んでいる地域2010/3/13

◆映画『パチャママの贈り物』を観て2010/3/13

◆軽視すべきでない新政権下の流動2010/3/13

◆書評:荒このみ著『マルコムX』2010/3/13

◆講座『チェ・ゲバラを〈読む〉』詳細レジュメ公開2010/02/10

◆選挙とその結果をめぐる思い――選挙と議会政治に「信」をおかない立場から2010/02/10

◆カリブの海をたどっての思い――ハイチ大地震に慄く2010/02/10





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軽視すべきでない新政権下の流動

「地域アソシエーション」誌72号(2010年2月28日発行)掲載

太田昌国


 元外務省主任分析官であった佐藤優の文章には、彼の立場に賛成するか否かは別として、そこに盛り込まれている情報の量と質の両面で、傾聴に値するものが、ときどき、ある。

『情況』誌3月号には、「青年将校化する特捜検察」と題する文章が掲載されているが、そこでは、検察が小沢一郎の秘書であった石川知裕議員を政治資金規正法違反で取り調べ・逮捕・起訴した問題をめぐって、これは、民主党政権によって官僚の地位が脅かされることを嫌った検察内部の青年将校による強制捜査だとする観点から、官僚心理をめぐる独自の分析を行なっている。

丸暗記主義の国家公務員試験や司法試験を通っただけなのに、官僚は無知蒙昧な「国民」を見下し、自分たちこそが国家運営に携わっているのだ、と確信しているというのである。


 国家運営の実権を、選挙の洗礼も受けていない官僚の手から奪い返し、選挙によって選ばれた政治家のもとに取り戻そうとするのが民主党政権の意図だから、そこで新政権と官僚の間での角逐がさまざまな場所で見られる。

問題は、肝心の民主党指導部の多くは元来は自民党に属していたのであり、その金権体質も権力行使の恣意性も、そのまま引きずっているから、政治家の手に実権がいくといっても、民衆のこころに高揚感が沸くことはないという点にある。案の定、首相と党幹事長の政治資金疑惑問題で、新政権は、機能不全のまま半年を経ようとしている。


 私たちの多くは、自民党の退場を歓迎しつつも、新政権に全面的な信頼をおくわけには、もちろんいかず、かといって全面的に否定することも非現実的だと考えて、個別課題の現場で試行錯誤しているというのが、大方の現状だろうと思える。

私の場所から見えるいくつかの問題について書き留めておきたい。その場合、沖縄の米軍基地問題に象徴される日米同盟体制をどうするかは最大の問題のひとつだが、新政権には同盟体制を解消する意志はさらさらなく、その範囲内で基地移設の問題をめぐって各閣僚が迷走発言を続けているにすぎない。ここで言うべきことは、あまりにも明らかなので、あえて触れない。


 拉致問題は、正直に言えば、新政権によって積極的な打開が図られる可能性のある案件のひとつだと私は考えていた。

拉致問題に関してつくられてきた社会的雰囲気は、歴史認識を歪め、排外主義的な日本ナショナリズムの悪扇動に道を開いてきただけに、共和国との国交正常化を実現する過程で、この雰囲気に終止符を打たなければならない。

そう考えてきた私は、「制裁ではなく交渉を」と主張し始めた拉致被害者家族会の元事務局長・蓮池透氏と対談し、『拉致対論』(太田出版)を刊行した。

刊行時期は偶然にも新政権の発足時と重なったので、私たちがそこで語り合ったことは政策提言的な意味合いも持つものとなった。結果的には(現段階では)私の希望的な観測は甘かった。

新政権でこの問題を担当しているのは、中井洽国家公安委員会委員長だが、私が見るところ、最悪の人物だと思える。

インタビューや国会審議の答弁などを読むと識見にも乏しいことがわかるが、自公連立政権時代とまったく違いのない政策方向しか持たない人物だから、である。

高校無償化法案で朝鮮学校を対象外とする政府内の動き(2月25日現在)は、中井担当相の要請によるものだが、「東アジア共同体」や「友愛外交」を掲げる首相も、この程度の水準の排外主義を諌めるだけの見識すら持たない。諦めるのではなく、政治レベルでも、当方からの多角的な働きかけがまだまだ必要な課題だと考えている。


 これと対照的に、閣僚の人選によっては事態が動く場合もあることは、法相のケースを見ればわかる。

千葉景子法相は、就任会見時から、「個人通報権の保障」を重点課題として掲げた。国際的な人権条約に付属する個人通報権条約を締結した場合には、国内の最高裁判所で敗訴した被害者が人権規約違反を理由に国際機関に個人通報できるという、国際的な制度的保障である。

この社会では、少数者、少数民族、異民族、子ども、老人、女性、障がい者、犯罪容疑者として逮捕された者、獄中者、死刑囚などの権利が、著しく侵害されている場合が多い。

その改善のために国内に住む私たちの努力が必要であることは前提としても、国際的な人権水準に照らして枷をはめることも有効である。これこそ法務官僚たちがもっとも嫌うことであり、千葉法相の在任中に「政治主導で」明確な方向性を示してほしい(私たちが、その働きかけをなすべき)課題である。


 千葉法相下で、死刑の執行が(現段階では)なされていないことは好ましい。この制度を維持することに固執している官僚たちは、ここでもいらついているに違いない。

官僚たちにとって心強いことには、多様な回答(選択肢)を排除した世論調査なるものでは「死刑容認率85%」などという結果が出ているようだが、報復を絶対視するこの社会的雰囲気を変えていくのも「政治主導」の課題である。

私の考えでは、国家は、戦争の発動と死刑の執行によって、個人には許されない「人殺し」の権限を、公然と独占している。国家が持つこの「秘密の鍵」を取り外していくことは、社会がよりよく住みやすい方向へ向かうことと同義である。

議員たちからすれば、死刑廃止を訴えることは「票にならない」とか「票が逃げていく」ことにひとしいというが、それだけにこの課題は、社会に浸透している価値観を変革していくうえできわめて重要な意味をもっている。

千葉法相は、最近の法務委員会で「将来、死刑が本当になくてよいという状況になれば、これは大変好ましいのかな、という考え方を私が持っていることは確かです」という、きわめて回りくどい言い方での答弁を行なっている。

千葉法相への個人的な思い入れは何も持たないが、「世論」と法務官僚からの圧力に耐えるためのギリギリの地点での発言なのだろう――という印象を受ける。もう一歩踏み出したイニシアティブを期待したいところだが、もちろん、これは法相ひとりで担い得ることがらではない。


 加えて、法務関係の事案も、複雑に錯綜している。法制審議会は、時効廃止問題に関わって刑訴法改正要綱案をとりまとめ、法相に答申した。未解決事件の被害者や遺族の声に押されて、時効廃止へと事態は向かいつつある。

事件の被害者や遺族の気持ちが尊重されることは当然だが、そのような当事者ではない立場にいるからこそ取りうる、客観的で冷静な判断も、社会的には必要である。

被害者と家族(遺族)の立場を絶対化し、その考え方への批判や疑問提起をいっさい封じ込めているのが拉致問題に関する報道のあり方だが、それがいかに歪んだ結果をもたらしているかを見れば、そのような態度の是非ははっきりとしているといえよう。


 このように、自らが担う個別課題に即して考えていけば、新政権の政策を徹底的に批判する、あるいはそれを部分的に活用できる――などの具体性が浮かび上がってくる。政権交代がもたらしている、一定の社会的・政治的流動化を軽視すべきではないと思う。

(2月25日記)
 
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