現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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裁判長期化批判キャンペーン批判
オウム・ウオッチャーを読む
「インパクション」第112号(99年2月発行)掲載。
太田昌国 


                    一

 オウム真理教の構成員およそ二百名に対する裁判には大きな関心をいだいてきた。

 この宗派の人びとが犯したとされる犯罪は、その内容も規模もあまりに酷いものであっただけに、被害をうけた人びと(死者、負傷者、麻痺などの後遺症に苦しむ人びと、脅迫され恐怖をうけた人びと、そしてその身近な人びと)の生命と心が癒されるには、果てしない時間がかかるであろうことは当初から明らかであり、その事情は今も変わってはいない。

サリン事件などを引き起こした主体は、可能なあらゆる形でこの責任を引き受けていかなければならないと、当然にも私は考える。

一方、いわゆる世間が、この犯罪の残酷さに怒りを抑え切れず、被害者への同情心もそこに加わり(あえて言えば、野次馬的な好奇心も手伝って)、報復感情に基盤をおいた集団心理が形成されるであろうことも、またそれにはマスメディアによる情報操作という報道姿勢が大きく加担するであろうことも、最初から予想できたことであった。この集団的な報復感情の問題については十分な警戒が必要だと私は考えてきているが、その意味については後に触れる。


 私(たち)には、前者、すなわち被害者とその周辺の人びとの身体と心の傷を癒す術は、ない。私(たち)がどんな発言をするにしても、どんな思いを吐露するにしても、それらの人びとの存在を念頭から拭い去って表現するわけにはいかないな、と内心で自制するのみである。

それでいてなお、私の発言がそれらの人びとの怒りをかってしまうことがあるのなら、それは引き受けざるを得ない責任だと思いながら、たとえば「国家なき社会を展望しながら」という小さな文章を書いた(年報・死刑廃止96『「オウムに死刑を」にどう応えるか』、インパクト出版会、一九九六年、所収)。

それは、毒ガスや兵器の開発・使用にまで至ったオウムの推定犯罪と、五〇年以上を経たいまもなお「清算」されていない侵略戦争という日本の国家犯罪を切り離して考えることはできないという立場から、「各種兵器・毒ガス・サリン・戦争行為などを国家が独占している場合は許されるが、オウムのように、その国家独占を打破した場合は、なぜ犯罪を構成するのか。

それを問うことは、オウム以上の『悪』を日常の課題として実践している国家とは何かと考える道へ、そしてそのような国家をこそ批判し廃絶することが、実現はいまだ遠くに展望するしかないにしても私たちの必須の課題だという認識へと私たちを導く」という趣旨の考えを短く述べたものであった。オウムが犯したと推定される行為の悪の「絶対性」を確信しつつ、こと国家犯罪との関係性においては前者を「相対化」し、オウムと国家の悪の双方を共に止揚する新たな次元を切り開くべきだとの考えから、それはきている。


 オウムの犯罪を免罪することは、もちろんしないが、私も心ならずも構成している「国家」の犯罪を免罪する論理に依拠してそれを行なうべきではないというのは、いまなお、私の基本的な考えである。

この考えが、上にいう当事者の怒りをかったかどうかは知らない。ここでは、当事者を盾にして即座に反応した小田晋という名の、元矯正医官・現司法精神医学研究者、別名「サイコキラー」と呼ばれて恥じない男(「フォーカス」一九九九年二月三日号)の言葉に触れるところから始めよう。

小田は、サリン事件被告人に対して厳罰を求めるべきかどうかと迷う「『被害者の妻』の血を吐くような『良心』」に自らが一体化しているかのように見せかけながら、私の文章の一部を恣意的に引用して「死刑廃止論者の正体見たり」と言いつのる雑文を書いた(小田晋「死刑廃止論の根拠と論点を検証する」、『犯罪心理研究』第二号、日本犯罪心理研究所発行、一九九八年、所収)。

小田によれば、「日本の検察と裁判所は、死刑の適用に関しては、極めて慎重で抑制的である」そうだが、私(太田)のような死刑廃止論者はそんな事情にも付け込みながら、犯人を極刑にしてほしいか無期懲役でいいかと、夜も眠れないほどに悩む被害者の妻の血を吐くような「良心」を、身勝手な文脈で「利用」しているのだそうだ。


 私の印象では、被告の死刑を望む被害者と、死刑か無期懲役かと悩む被害者の妻の言動の双方を融通無碍に「利用」しているのは、小田のほうだと思える。私は、小田とは違って、被害者やその遺族や近親者の言葉や心情を盾にしたり、それに依拠したり、一体化しているかのように見せかけて、何事かを語ろうとはしてこなかったし、いまも思わない。

存在論的に言って、それは不可能なのだ。私たちは、直接的な当事者ではないことによって自分たちに可能になる、客観的で冷静な立場から、事態を眺め、捉えることができるだけであり、それでいいのだ。そんな視点から、最初に述べたように、私は一連のオウム裁判に関心を持ち続けてきた。幸いなことに(と、当初は思えた)、新聞各紙は、オウム公判が開かれた翌日朝の紙面で、かなり詳細な公判報告を記事にする。とくに、麻原公判については一面全体を使う場合が多い。

公判内容の報告だから、社会面の扇情的な記事とはちがう、冷静な報告が載るものと思っていた。ところが、この三年間どの紙面を見ても、公判を傍聴した記者はかなり恣意的な感情を込めた報告を書く。

そのことは、検察側・弁護側・裁判長・被告・証人のやりとりを客観的に報告する性格を本来もつはずの本文においてそうであり、囲み記事で記者個人の感想を記す欄において、とくに際立つ。マスメディアがこのような欄においてでも情報操作を行なうとは! 予想が甘かったな、と私は思い続けてきた。


 地下鉄サリン事件に前後して、オウム関係の報道がマスメディアを埋め尽くしたときにも、私は、その扇情的な報道のあり方に疑問をもち、ニュースがあふれればあふれるほど「真実」が遠ざかっていく感じをうけた。

当時にわか仕立てのオウム・ウオッチャーになった有田芳生は、のちに「メディアを通じて連日のように新事実が明らかされ」と書いたが(有田芳生著『追いつめるオウム真理教』、KKベストセラーズ、一九九五年)、それは、メディアの情報操作に対して無防備・無警戒なままワイドショーに出演し、「事実」を述べれば述べるほど「真実」から遠ざかるのではないかという疑念も不安も持たなかったらしいこの男に、いかにもふさわしい表現だと思ったものだ。

そんなことも思い出しながら、この公判報告をどこまで信じて読むことができるのだろうか、私はいつもそんな疑念を持ちながら、新聞に掲載されるそれらを読み続けてきた。

                    二

 一九九八年一二月三日、麻原公判は百回目を迎えた。区切りのよい時期にきて、各紙はいっせいに過去百回の公判をふりかえり、将来を展望する記事を載せた。どれと特定して引用することはしないが、おしなべて、「麻原弁護団は、意図的に裁判の引き延ばしを図っており、証人に対する微に入り細に入る尋問のあり方に、それが典型的にあらわれている」との中身で一致していることが特徴的であった。

 私はそのころ、ちょうど一冊の本を読んでいた。麻原弁護団団長である渡辺弁護士に、ジャーナリストの和多田進が質問する形で成った『麻原裁判の法廷から』と題する本である(晩声社、一九九八年四月刊)。麻原弁護団は十二人で構成されているが、なぜあれほどの悪人を弁護するのかという社会的雰囲気があまりに強く、脅迫・嫌がらせ・顧客喪失のおそれなどから身を守るために、団長・副団長以外は覆面弁護団である。

渡辺氏だけが写真で顔もさらし、さまざまなメディアにも登場して原則的な発言を行なう態度を見て、遠くから敬意をもっていた。初回公判で弁護団は、麻原の意を体してクルタ(修業服)での出廷要求をしたが、それは麻原に対する弁護団のおもねりだとの批判がいっせいになされた。それについても渡辺氏は、「着衣の自由」に関わる手続き上の権利の問題だと主張して、たじろぐことはなかった(『文芸春秋』一九九六年七月号)。

裁判長はこれを却下したが、弁護団は不当にも劣勢の社会的雰囲気に呑み込まれずに、刑事裁判の原則を揺るがせにせずに争う態度が見えて、私は好感をもった。


 今回『麻原裁判の法廷から』という本の存在を知ったのはふとしたきっかけだったが、この本でなされている渡辺氏の発言を読むことで、私は新聞上の公判報告に感じてきた不満の根拠が解き明かされていく思いがした。

ほんとうは、読者がこの本に直接に当たられるとよいのだが、この一文の展開上で有効だと思われる箇所にのみ私なりに触れてみる。 渡辺氏は「マスコミの偏見によって整理されていない弁護側反対尋問の一端を具体的に紹介したい」と言って、地下鉄サリン事件に関わって証人尋問された警視庁・科学捜査研究所化学科責任者である鑑定人・安藤浩章氏の証言を、公判記録に基づいて引用している。その一問一答を読むと、次のことがわかる。

 一、一九九五年三月二〇日に起こった地下鉄サリン事件の遺留品(プラスチック袋入りの液体、脱脂綿、濡れた新聞紙など)はどこで誰によって領置され、鑑定依頼されるに至ったかの書類がない。

 二、千代田線霞が関駅と丸ノ内線本郷三丁目駅で領置されたプラスチック袋に入れられた液体は、三月二四日と二五日に鑑定委嘱されているが、よそで領置されすでに鑑定に付された液体と「同じ」と考えてそのまま保管した。しかし、もし中身が違ったら問題だということで、麻原逮捕後の五月二四日になって袋を開け、鑑定に付された。

 三、五路線の地下鉄で撒かれた液体のうち、二箇所二種類の遺留品の領置しかなされていない段階で、警視庁は「毒物はサリン」と断定し、公式発表している。

 細部を言えばさらにいくつもの問題点が出てくるが、詳しくは渡辺・和多田対談本に委ねよう。この後に続くふたりの対談でも語られているように、以上の項目からだけでも、次のことがわかる。

 一、もっとも重要な証拠品の領置・鑑定すらが迅速かつ完璧になされていなかった。そんな「証拠」に基づいて、刑事裁判が進行している。

 二、この鑑定のでたらめなやり方から言えば、警察はオウムがサリンを撒くかもしれないという情報を、事前に知っていた可能性がある。

 この証人尋問が行なわれたのは、オウム・ウオッチャーのひとつというべき毎日新聞社会部が編集した『オウム「教祖」法廷全記録』第二巻「私は無罪だ!」(現代書館、一九九七年)で見ると、一九九七年三月十三日の第二九回公判のことだと思われる。

この日の公判の様子を、後者の報告に即して読んでみたが、上に見た問題点は浮かび上がってこない。独り言を呟く麻原の様子や、弁護人の尋問に「『こんなことまで聞くのか』といった感じで皮肉っぽく口元をゆがめる」裁判長など、つまらぬことにこだわった細部の描写はあるが、尋問の核心がどこにあったかは整理されていない。

渡辺氏の報告と、毎日新聞社会部の報告を読み比べると、ふたつが同じ日の公判を説明しているとは、到底思えないほどだ。麻原ほかの被告や弁護人の挙動が、いかにも嫌味たっぷりに描写されている日頃の公判報告報道を読んで私が感じていた報告全体に対する違和感は、やはり根拠のないものでなかったのだと思う。

 さて、さらにいくつかの情報を付け加えて、オウム裁判の問題点を整理してみる。

 三、検察側は、坂本弁護士事件(一九八九年十一月)→坂本事件に加わった一オウム信者が、遺体の埋葬場所を警察に告知したこと(一九九〇年二月)→松本サリン事件(一九九四年六月)→読売新聞のスクープ記事「サリンの分解物を上九一色村で発見」(一九九五年一月)など、一連の犯罪とオウムの関係性を強く印象づける事態を前に、警察がいかなる捜査を行なっていたかの資料を開示していない。

誰の目から見ても、警察の捜査方法には、怠慢・緩慢・隠しごとなどの匂いを嗅ぎ付けざるを得ない。坂本弁護士事件の捜査と解明が迅速かつ適切に行なわれていたならば、その後のサリン事件などは防ぐことができたという観点から、捜査過程が孕む問題点が明らかにされる必要がある。

 四、実行者ではない麻原を地下鉄サリン事件の謀議責任に付している検察側の論拠は、事件の二日前の三月一八日、高円寺から上九一色村へ帰るリムジンの中で「地下鉄にサリンを撒く」という車中謀議がなされたとするところにある。一被告の自供にのみ基づくその断定はいまだ根拠が薄弱だが、より重大な問題がある。同乗していた「法皇官房」Iは教祖直属の幹部のひとりと言えるが、地下鉄サリン事件に関しても、他のいっさいの件に関しても起訴されないまま行方不明になっている。渡辺氏は、公然化すると警察に都合の悪い存在であるIは、警察の保護下におかれて、外部から遮断されているのではないかと推測している。これは、上記三とも関連する論点である。

 五、総じて、マスメディアは、オウム真理教および教祖麻原の「確定(!)犯罪」の凶暴性にのみ目をやり、職能としてそれを「弁護」する弁護人のあり方をもすべて批判の俎上にのせるという報道姿勢に傾いている。

そして検察側が提起した公訴事実があまりに杜撰であり、十分な証拠物に基づくことなく無限大に被害者を拡大している現実を前に、弁護団が刑事裁判の原則に則り、証拠と事実から離れることなく公訴事実の成否・量刑の適非を審理するために行なっている弁護活動を「裁判引き延ばしのために、重箱の隅をつつくような細かな尋問を繰り返している」との決まり文句で非難している。

だが、事態の全貌が誰にも見えていない段階で、何が核心で何が重箱の隅なのかを知ることはできない。渡辺氏は言う。

「細かな尋問が、実は堤防を崩していく蟻の一穴であったという経験は私たちの弁護活動の実例がいくらでもはっきり示している。細かく見えるものも大きなものに変転していくという生きものとしての発展性が裁判というものの生命線である。争う権利の躍動がそういう発展性を生み出す」。

 オウム裁判の状況を以上のような観点でまとめてみると、オウム・ウオッチャーとしての各新聞社会部記者たちが書き綴っている公判報告を、いかに〈読む〉べきか/どう〈読んで〉はならないかという視点が生まれてくるように思える。

                    三

 一九九八年一二月六日、麻原弁護団の安田好弘・主任弁護人が「強制執行妨害」の疑いで逮捕されて以降、日頃から「オウム弁護団は裁判引き延ばしを行なっている」と主張しているオウム・ウオッチャーのなかでももっとも突出した発言を繰り返しているのは、作家・佐木隆三である。

先に触れた有田芳生なども相変わらずテレビのワイドショーに出演して「犯罪もの」を中心にコメンテーターの役割を演じており、安田弁護士逮捕についても皮相なコメントをしていたということを風の便りでは聞いたが、言葉としては確定できないので、取り上げるわけにはいかない。

 佐木隆三は言う。「わたしは、『法律バカ』という言葉を、刺激的に使う。法曹(裁判官、検察官、弁護士)は、優秀な頭脳と豊富な知識をもっているが、市民感覚という点で、抜け落ちていることがあるからだ。

たとえば、弁護士が法に触れたとして逮捕されたら、『反権力の闘士だから政治的な意図がある』と、仲間がキャンペーンを張る。弁護士に『不逮捕特権』があるかのようで、市民感覚としては『うろたえずに法廷で頑張りなさい』とアドバイスしたくなる」(東京新聞、一九九九年一月一四日付け)。

 また言う。「わたしが知っている複数の弁護士は、かねてより麻原弁護団の訴訟遅延策が、被告人不在の法廷にしたことに批判的である。こんどの主任弁護人の逮捕・起訴について、麻原弁護団が『違法・不当な逮捕だ』と言い立てることは、『弁護士の特権意識というものではないか?』とクールに分析している。

彼らはきわめて有能な、刑事弁護のベテランであり、『麻原弁護団が解体するのなら、自分たちが受注してもよい』とひそかに決意している人もいる。

このままの状態では、刑事裁判に対する国民の信頼が失われ、被告人自身のためにもならないからだ。(中略)この連載で指摘してきたように、麻原弁護団は、裁判の引き延ばしそのものを弁護方針の基本にしていると、わたしは受け止めている。裁判所としては、公平で迅速な裁判をめざす良識ある弁護活動のために、毅然たる対応をするとみられる」(「オウム法廷」連続傍聴記・第一六二回、『週刊ポスト』一九九九年一月二七日号)


 佐木隆三は、「裁判傍聴業」と自称する人間である(同著『法廷のなかの人生』、岩波新書、一九九七年)。関心をもったさまざまな裁判の傍聴を続け、裁判記録に基づいて書いた単行本は四十五冊を数えるという。

彼が裁判の傍聴に通うのは「小説のネタが拾えるだろう……と、さもしい根性だけで」はなく、「市民の司法参加」のために「一人の市民として傍聴席にすわっている」という。佐木がもつ自負からしても、彼は刑事裁判に関してふつうの市民をはるかに越える経験を積み、知識を得てきたと言えるだろう。

だが「謙虚な」佐木は、「市民感覚」を大事にし、麻原弁護団長・渡辺氏と行なった対談(「麻原彰晃をどこまで弁護できるか」、『文芸春秋』一九九六年七月号)においても、しきりに「一般の国民」の気持ちを代弁したり、麻原の思いを「素人考えで勝手に想像した」発言を繰り返して、渡辺氏の反論を招いている。

市民としての参加意識でもあるのだろうが、作家としての仕事上でも刑事裁判の現状に深く通じる「特権」を有してきた佐木が、ふつうの市民や一般国民を装って行なうオウム弁護団批判の発言の仕方には、佐木が意識的か無意識的かは知らぬが、詐術がある。

「ふつうの市民や一般国民」の多くは、朝食時間帯のテレビが映し出す新聞各紙の見出し説明や、採っている新聞の大見出しや、新聞広告や電車内のぶら下げ広告で見かけた週刊誌の扇情的な見出しや、テレビのワイドショー……という具合に、それぞれの時間的可能性に見合った、乏しい手段でしか、何らかの事件報道に接していない。

いきおい、認識は表層的なものになり、場合によっては、重大な誤認や思い込みや勘違いが生じたりする。マスメディアの扇情的な事件報道が犯罪的なのは、人びとの意識をこの水準で固定化し、集団意識として組織するからである。


 裁判傍聴のいくたの経験の上に、いままたオウム裁判を連続的に傍聴し、商業誌に傍聴記を書き続けている〈特権者〉佐木には、「一般国民」に逃げ込まないで事態の本質に迫る責任が客観的にも備わっているはずだと言える。

だが、佐木はまったく逆のことをしている。刑事裁判の原理に無知でなければ主張できないような水準の麻原弁護団批判を繰り返し、マスメディアの、若く経験の浅い社会部記者が書くのとさして違わない水準の公判報告を書き散らす。

「きわめて有能な、刑事弁護のベテラン」だと佐木が評価しているらしい弁護士の陰に隠れて、麻原弁護団全面交代のイメージをすら描こうとしている。佐木のこれらの言動はデマゴギーに限りなく近づいているが、この支離滅裂な主張をするためには、刑事裁判に無知な「ふつうの市民や一般国民」を装おう必要があったのだろう。


 秋山駿は、佐木の著書『死刑囚 永山則夫』文庫版(講談社、一九九七年)に寄せた解説において、いささか気負った口調で書いている。「今日では、犯罪が、われわれの生の意識を鋭く撹乱するところの現実的な発条になっている。

したがって、新聞、週刊誌、雑誌、テレビ……犯罪をめぐっての文章や映像が非常な活況を呈している。しかし、こういう現象と、佐木隆三の文学とは、きっぱり区別していただきたい。佐木隆三は、文学の創造の行為において犯罪というものを主題にしたのだ。単に犯罪について考察しているのではない。この二つは、ぜんぜん違ったものだ」。


 私は、一定の時期の佐木の作品に関しては、秋山のこの評価を否定しない。だが、時代は、佐木を、「産経抄」の石井英夫や「正論」の稲垣武や「新潮45」のビートたけしたちほどは剥き出しではないが、「人権派弁護士逮捕」の報が伝わると、すすんで「反人権派」として過剰な反応を示さずにはおかない場所に押し出したようである。佐木の文学の方法は、マスメディア上の犯罪報道と「きっぱりとは区別できない」地点にすり寄ったのであろう。



                            【1999年1月30日記】

 
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