2. ベ平連の運動に関する基礎資料、ドキュメント

(1) 基礎資料集            

 

  左から、『べ平連ニュース・脱走兵通信・ジャテック通信・縮刷版』、 『資料・「べ平連」運動』、『文藝』1965年9月増刊号『ヴェトナム問題緊急特集』、『平和を呼ぶ声』、『反戦の論理』「週刊アンポ」第2号の各表紙。表紙をクリックするとそのページに飛びます。

ベトナムに平和を!市民連合編『べ平連ニュース・脱走兵通信・ジャテック通信・縮刷版』べ平連、1974年 (\12,000)

 1965年10月に創刊され、以降月刊で発行されていた『ベ平連ニュース』の終刊号(1974年2月、第101号)までを、付録、臨時増刊も含めてすべて縮刷合本にしたものでベ平連運動の生の資料。これには、脱走兵援助活動の基礎文献、『脱走兵通信』、『ジャテック通信』の縮刷合本もすべて含まれています。 これは在庫がなくなり、現在、入手できません。実物は図書館、あるいは立教大学共生社会研究センターの常備図書などをご利用ください。
 しかし、このほど(2013年5月)
その全部をPDFファイルに変換して本サイトにアプロードしました。それから全ページを見ることができます。ここをクリックしてご覧ください。 また、この合本の中のすべての文献について、事項及び人名についての索引が作られており、それらのページが明らかになります。なお、この中の文書はほとんど版権問題がありますので、そのまま長文に引用するような場合には、本サイト担当者に了解を取る必要があります。

ベトナムに平和を!市民連合編『資料・「べ平連」運動』上・中・下、河出書房新社、1974年

 ベ平連自身が、解散直後にまとめた資料集で、年代別、テーマ別に整理され、基本文献、論文から、撒かれたビラ、カンパへの領収書、さらには警察へのデモ届けにいたるまでが収録されています。ベ平連運動に関するもっとも基本的な資料集ですが、下巻の後書きに引用されている花崎皋平の批判にあるように、東京中心の記録で、地方の数多くあったベ平連グループの資料は完全ではない。滅多に古本屋にも姿を見せず、図書館で利用する以外にはありません。

週刊アンポ社『週刊アンポ合本』(No.1〜No.15)

 「週刊アンポ社」の発行になる隔週刊の雑誌ですが、事実上、編集に当たったメンバーはすべてベ平連と重なっており、事実上ベ平連発行と言ってもいいものです。最初の編集長は作家の井出孫六。執筆陣は実に豪華で、短編小説を寄せているのが大江健三郎、高橋和己、小松左京、城山三郎、寺山修司、黒井千次、深沢七郎、加賀乙彦、島尾敏雄、辻邦生、大原富枝、小田実、マンガは福地泡介、園山俊二、林静一、勝又進、秋竜山、滝田ゆう、手塚治虫……といった面々。もちろん運動の記録も多数。このほど(2013年5月)その全部をPDFファイルに変換して本サイトにアプロードしました。それから全ページを見ることができます。ここをクリックしてご覧ください。また、この『週刊アンポ』の総索引(といっても、項目別の目次のようなもの)はファイル化されており、このページから飛ぶことが出来ます。希望の方は次をクリックしてください。『週刊アンポ』(No.0〜No.15)総目次

「ベ平連ニュース縮刷版」刊行委員会編『総合索引 ベ平連 1965〜1974』「ベ平連ニュース縮刷版」刊行委員会、1977年

 これは、前記『資料・「べ平連」運動』上・中・下と『べ平連ニュース・脱走兵通信・ジャテック通信・縮刷版』および、『週刊アンポ』合本とを合わせた事項索引、人名索引で、この膨大な5冊の文献を検索するには必須の資料です。残念ながら、もはや残部がなく、そのため、研究者の便を考えて、すべてをファイル化しました。希望される方は、ここからダウンロード(コピー)して下さい。ただし、事項名索引が134KB、人名索引が105KBあり、多少時間がかかります。

『総合索引 ベ平連 1965〜1974』(事項名) (人名) 

京都べ平連『復刻版べトナム通信』不二出版、1990年 \12,000

 1967年2月の第1号から1974年10月の「エピローグ」号までの京都ベ平連機関誌『ベトナム通信』の復刻合本。終わりには座談会『京都ベ平連をめぐって』(飯沼二郎、小田実、北沢恒彦、鈴木正穂、鶴見俊輔)と、執筆者索引が付いている。東京のベ平連と違う地方のベ平連運動をあとづける基本資料。

 

「大泉市民の集い」30年の会編『大泉市民の集いニュース 復刻版』「大泉市民の集い」30年の会、1998年 \4,500

 「大泉市民の集い」は、べ平連ではないが、べ平連と密接に提携して活発に活動していた東京・練馬区の地域反戦グループ。この『ニュース復刻版』には、「集い」発足の契機となった和田春樹・あき子夫妻がまいたビラから始まり、68年7月10日の第1号から73年3月30日の第40号まで、大部分が懐かしいガリ版刷りのものだが、そのすべてが収められ、ほかに、朝霞野戦病院の米兵たちに撒かれた英文の『RIGHT ON』、『FREEDOM RINGS』、さらに多数の写真(和田春樹、巨島聡さんらの撮影)も収録されている。米軍基地への反戦工作の口火を切った「朝霞反戦放送」などの実態を知る上でも貴重な資料集。
  わずか500部の発行だというから、売り切れになる恐れがある。
  (連絡先 〒178-0061 東京都練馬区大泉学園7-6-5 和田方 「大泉市民の集い」30年の会 TEL:03-3922-1219)

 

(2) 記録集

雑誌『文藝』1965年9月増刊号『ヴェトナム問題緊急特集』(河出書房)

 これは単行本ではありませんが、この雑誌増刊号のほとんどが、ベ平連が1965年8月14-15日に行なった「徹夜ティーチイン・戦争と平和を考える」の議事録全文をはじめ、徹夜ティーチインの参加者やテレビで見ていた視聴者からの意見などを含め、この歴史的な集会の記録集となっています。討論出席者の宮沢喜一、中曽根康弘の発言など興味深いものがあります。

小田実、開高健、鶴見俊輔編『平和を呼ぶ声――ベトナム反戦・日本人の願い』(番町書房、1967年)

 1965年11月16日の米『ニューヨーク・タイムズ』紙に、ベ平連は反戦の意見広告を掲載したが、本書は、この運動に寄せられた内外の発言の記録集。65年当時の日本人のベトナム戦争に対する意見が生に伝わってきますし、アメリカ人からの反応も興味深いものがあります。なお、日本の市民は、1991年3月18日号の『ニューヨーク・タイムズ』紙に、湾岸戦争について批判する全ページ広告を出しましたが、この時の内外の反響を収めた記録が『「アメリカは正しい」か――湾岸戦争をめぐる日米市民の対話』(第三書館、1991年 \2,500として刊行されており、この四半世紀を経た時の記録と比較することもおすすめします。

小田実、開高健、鶴見俊輔編『反戦の論理』(河出書房、1967年)

 1966年6月、ベ平連はアメリカからボストン大学の政治学教授で『反権力の世代』を出版したばかりのハワード・ジンとSNCC(学生非暴力調整委員会)の中心メンバーの一人、ラルフ・フェザーストンの二人を招いて、6月2日の札幌から14日の東京まで沖縄をふくむ全国14ヵ所で講演会を開催しました。この二人の話の非暴力行動と市民的不服従(直接行動)は、日本の運動とくにベ平連の思想に大きな影響を与えました。本書はその講演と参加者との質疑応答の全記録です。

雑誌『文藝』1966年10月号『特集 私は平和のために何をするのか』(河出書房)

 これも雑誌ですが、この号には、ベ平連が1966年8月に東京で開催した「ベトナムに平和を!日米市民会議」の記録が載っています。ここでの小田実の基調報告ほか、議事録、そして中野重治、浅田光輝、小松左京の論文など。この会合は、初期ベ平連の基調を定めた重要なものです。

小田実・鶴見俊輔編『反戦と変革――抵抗と平和への提言』学藝書房、1968年

 ベ平連が1998年、京都の国際会議場で開催した「反戦と変革に関する国際会議」の全記録集。終わりに採録されている座談会「京都会議後のベ平連の活動と展望」(井上澄夫、小田実、北沢恒彦、小中陽太郎、高橋武智、田守順子、鶴見俊輔、鶴見良行、福冨節男、古山洋三、武藤一羊、吉川勇一)も、ベ平連中期の動向と空気を知る上で貴重です。

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