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第116号(2000年9月28日発行)

【連載】
     認定・裁決取消訴訟 (4)

第四  復帰後の土地接収と違法性

一  沖縄の日本復帰と軍用地問題

 一九七二 年(昭和四七年)五月一五日、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」(以下「沖縄返還協定」という)により、沖縄の施政権は米国から日本政府に返還された。この日以降沖縄の米軍基地は、ほぼそのままの形で、本土における在日米軍基地同様、日米安保条約第六条、日米地位協定第二条等によって日本政府から米国に提供されたものとなり、その法的性格は名目的には日本本土と同一となった。

  しかし、県土面積に対して基地の占める割合・密度、その機能・規模をみるとき、基地が沖縄県民の全生活に与える影響は、本土の比ではない。のみならず、どのような歴史的経緯で基地とされたのか、どのような場所が基地とされているのかをも視野に入れて考えるとき、本土の米軍基地と沖縄の米軍基地を同一視することは到底できない。

 沖縄の基地は、いわば頭のてっぺんから足の爪先に至るまで違法性という汚辱にまみれたものであった。また本土の場合、米軍用地の多くは国有地(戦前の陸軍の演習場、海軍の軍港、陸海軍の学校・施設など)であって、民有地は少ないのに対し、沖縄の場合は、大部分が民有地ないし市町村有地である。

 いみじくも「諸悪の根源」といわれてきた基地、その基地に対して、復帰を迎える沖縄県民は強く反対し、その撤去を求めていた。本土へ復帰することによって、これまで県民の蒙った基地によるあらゆる権利侵害・生活破壊は解消されるものと期待した。

 仮に直ちにこの県民の要求や期待が全面的にかなえられないにしても、基地の態様が変り、大幅な整理縮小によって不安が大きく軽減されることを強く求めていた(政府ですら口を開けば整理縮小を唱えていた)。

 このような切実な要望をもった沖縄県民に対して日本政府は、沖縄返還協定三条によって、米国に対し基地の継続使用を、復帰前とほとんど変らぬ状態で認めることをもって応えた。

 このようにして、法的には新たに米軍に提供されるようになった軍用地を、復帰の時点で空白を生じることのないようにし、また、米軍から肩代わり的に自衛隊が基地を使用できるようにするため、公用地法が制定された。後に述べるように、この法律は憲法に違反するもので、その仕組と役割は、実質上、占領中に米軍が発布し発令し乱用した諸種の土地強奪布令と同じであったと言ってさしつかえない。

 沖縄県民の平和な生活を根底から破壊している、このような大量の軍用地使用を、日本政府が引き続き米軍と、新たに自衛隊に対して認めることによって、沖縄の不幸はさらに続くことになった。

 この法律は、結局、「本土並み」返還の美名の下に、日米安保体制の維持と米軍基地の固定化、さらに新たな自衛隊の配備に道を開く役割を担うものとなった。


二  「公用地法」による土地の違法使用の「追認」

 復帰時、本件土地を含む沖縄の軍用地は、おおよそ、その九七パーセントが、地主との「賃貸借契約」の形式をとっていたが、これは実際は、米軍が強制的に収用しておきながら後になって布令二○号の下での「契約」の形を整えたにすぎないものであった。   

 軍用地の所有者たちは、このような一方的土地接収に対して争う法的手段を否定されたまま「契約」を強いられ、はなはだ低廉な地代を押しつけられて先祖伝来の宅地や肥沃な田畑を軍用地とされていたのであった。
 このような、へーグ陸戦法規等国際法の上からいっても認められないような米軍の強制的土地収用を事実上合法化し、施政権返還後も日本政府がそのまま収用土地に対する米軍の継続使用を認めることを目的として制定されたのが「公用地法」である。

 しかもこの法律は、復帰前から使用していた米軍の継続使用のためのみならず、新たに配備するにすぎない自衛隊の基地のための用地確保をもその目的としており、多くの県民・国民の反対を押し切り、強行採決によって立法されたものであった。


三  「公用地法」の違憲性

 憲法上の問題として、次の諸点が指摘される。

 第一は、この法律では、暫定使用期間が五年という長期になっていた点である。
 米軍用地収用特措法附則第二項は、本土における講和後の米軍基地の継続使用を可能にするための規定であったが、これによると、調達局長は、日米安保条約発効の日から九○日以内に、継続使用に供すべき土地等の所在、種類、数量および使用期間をその所有者等に通知し、六ヶ月を越えない期間においてこれを「一時使用」することができるとされている。

 沖縄の場合は、本土の一○倍の期間とされた。この問、原告を含む土地所有者の同意を要することなく、収用手続も必要でなく、復帰前の関係土地の苦痛をそのまま「追認」させることは、本土と比較してはなはだしく不平等である。沖縄県民に対するこのような差別的扱いは、法の下の平等原則を定める憲法第一四条に反する。

 第二は、自衛隊による土地使用の点である。
 本土では、自衛隊は、日米地位協定第二条四項a「合衆国軍隊が施設及び区域を一時的に使用していないときは、日本国政府は、臨時にそのような施設及び区域をみずから使用し、又は日本国民に使用させることができる」という規定の限度で、事実上米軍基地の引継ぎを行なっており、(たとえば岩国飛行場)、防衛出動の場合の強制的使用(自衛隊法第一○三条)を除き、自衛隊のための平時における土地等の強制的収用や使用を根拠づける法令は存在しない。

 ちなみに、自衛隊法第一○三条五項は、同条等による「土地等の使用」について「必要な手続は、政令で定める」と規定しており、有事立法の制定企図に関連して、政令の作成が論議されたことはあるが、憲法体系との矛盾、予想される国民世論の反発等もあって未だに制定されていない。

  土地収用法第一条にいう「公共の利益となる事業」にも自衛隊は含まれないから、現行制度の下では自衛隊のための土地収用は許されていないのである。「公用地法」は沖縄県民にのみ、新たに自衛隊のため土地収用強制使用権を認めたもので、ここにも憲法第一四条の平等原則違反が認められる。

 このようにしてまで自衛隊のために用地を確保しようということは、一九五一年(昭和二六年)の現行土地収用法制定に際し、旧法第二条一号に規定されていた「国防其ノ他軍事ニ関スル事業」が、新憲法に適合しないものとして削除されたという経過から、憲法第九条の平和主義の精神と矛盾する。

 内閣法制局は、一九五三(昭和二八)年当時、自衛隊の前身である保安隊の用地取得について、土地収用法第三条三一号にいう「国・・・が設置する・・・その他直接その事務又は事業の用に供する施設」に該当するという解釈を示したことがある。しかしながら、その後の国会では、河野建設大臣によって、土地収用法第三条の「公共の利益となる事業」には、国防・軍事に関する事業が含まれないことは、社会通念上常識であるとの答弁がなされて今日に至っている。

  しかも、公用地法の立法理由は、沖縄の復帰に伴う法秩序の移行に際して、空白を生ずることのないように「暫定使用」を可能にするというところにあったが、自衛隊は新たに配備するのであって、法秩序の移行による空白が生ずるという問題の起こる余地はないものである。

  「公用地法」は事実上の土地収用法の改悪であり、自衛隊による土地の強制収用への道を開こうとするものであった。

 第三に、収用手続を欠き、土地の権利者の異議申立もない強制使用権を、米軍ないし自衛隊に五ヶ年間も与える点である。この法律に基づく土地使用者は、なんらの手続も要せずに、右期間の範囲内で土地を使用でき、使用土地の区域、使用方法は使用後に「遅滞なく」通知または公告すれば足りるとされているだけである。

 土地収用法に定める立入調査、事業の認定、土地細目の公告も、異議申立制もない。このような収用手続の欠如は、憲法第三一条から導かれる行政における「適正手続の原理」にもとるものと言わなければならず、それはまた、憲法第二九条の定める「財産権の保障」に対する侵犯をもたらすものである。

  以上のように、この法律は「防衛上の必要性」を前面に出して県民の基本権を無視したものとなっており、憲法違反の新たな「土地接収法」の性格をもっていたと言わねばならない。

  仮りに、「公用地法」自体の違憲・無効の議論は暫くおくとしても、「公用地法」は、「この法律の施行の際沖縄においてアメリ力合衆国軍隊の用に供されている」ことを「暫定使用権」発生の要件としており(同法二条一項一号)、そこで「用に供されている」とは、復帰の時点において、単に米軍が事実上使用していたことを意味するものではなく、まさに使用の正当な権原を有していたことを要件としていることにほかならない。このことは、政府自ら「公用地法」の国会での審議において明言していることでもある。

 前述したように、復帰前における米軍の本件土地の強制使用は、国際法上の条理に明白に違反し、また、日本国憲法上もとうてい容認しえない違法なものであるから、米軍が復帰の時点で本件士地使用の正当な権原を有していたとはいえず、したがって、国は、「公用地法」の制定によっても、本件土地の「暫定使用権」を取得しえなかったものである。  その他にも、沖縄に日本の施政権が及ばない復帰前の一九七二年(昭和四七年)四月二七日に、官報に告示がなされていること、「この法律の施行後、遅滞なく、当該土地の区域又は、工作物及び土地又は工作物の使用の方法を、その所有者……に通知しなければならない」のに、本件土地については、一○ヶ月も経過した一九七三年(昭和四八年)二月一○日付でなされているにすぎないこと、使用前に縦覧に供された被使用土地等の図面には施設名だけが記載され、肝心の地番の記載がなかったこと、等々従来の土地法の体系の枠を著しくはみ出した法律構造の異常性をもっていることが指摘されてよい。

  「公用地法」は、一九七七年(昭和五二年)五月一五日午前零時の到来により、時限立法としての生命を終えて失効した。

 ところが政府は、同年同月一八日「地籍明確化法」を制定し、「公用地法」の五年の暫定使用期間が一○年に延長されたとして、本件土地を含む未契約軍用地の違法使用を継続した。公用地法による暫定使用期間は五年であるから、一九七七年(昭和五二年)五月一四日をもってその期限が切れ、以後強制的に使用できる余地はなかった。

 その経緯については、四以下で言及する。
                 
つづく