『海の向こうの火事』書評(1)
日高六郎『週刊読書人』・共同通信配信書評『河北新報』ほか

 

『週刊 読書人』 1990.9.10

ベトナム戦争は「対岸の火事」だったのか?
    べ平連を大きく取りあげる

反戦運動のなかで日本の民衆が
学んだ新しいスタイル

日 高  六 郎    

    

 ベトナム戦争と日本との関係を「日本の政治、経済、外交、文化の総体の中に位置づけて綜合的に論じた」(訳者)著作が邦訳された。アメリカのコネチカット大学教授トーマス・ヘイブンズ氏の『海の向こうの火事――べトナム戦争と日本 1965-1975』である。
 ここには、ベトナム戦争当時の日米関係、日本の政財界の対応、ベトナム反戦運動、日本の民衆の反応と意識などが、おどろくほどに細密に取りあげられている。巻末の原注のおびただしい数の資料や文献を見ただけで、著者の打ちこみかたがわかる。なぜ日本のなかからこうした研究書が生まれなかったか、いささか恥ずかしくもなる。
 著者は、この本の題名どおり、日本人にとってベトナム戦争は「海の向こうの火事」に過ぎなかったと言いたげである。ベトナム戦争のさなか、「ベトナムから遠くはなれて」という映画が話題となった。ゴダールの作品だった。私は、それを思いだす。
 ヘイブンズは、最後の章でシンラツに書いている……
 「ベトナム戦争は日本にとって海の向こうの『対岸の火事』だったから、戦争中の日本が良心と財布の両方をともに満すのは難しいことではなかった。企業にとっても保守派政治家にとっても、戦争協力の危険は僅かであり、それに対して利益はかなりのものだった。戦争に反対する勢力にしても、徴兵はなかったし、……深刻な政治的弾圧もなく、また日本が戦闘に巻き込まれる現実的な危険もまったくなかった……戦争を支持した者も批判した者も……二五〇〇キロという距離の海原によって庇護されていたのだ……」
 こう書いたとき、ヘイブンズは戦争によってアメリカが受けた大きな傷を思い
浮べていたことだろう。もちろん、もしそのとき彼がベトナム民衆のこうむった、より甚大な傷手を忘れていたとすれば、それは公正ではなかろう。
 にもかかわらず、私は当時日本に、ベトナム戦争を対岸の火事と考えなかったかなりの数の人たちが存在していたことを知っている。とくにベトナム反戦運動に参加した人たちの〈軽さ〉をからかうだけでは、これまた公平ではない。
 ヘイブンズもそのことを知っている。だからこそ彼はこの本を書いたのだし、とくに反戦運動を大きく取りあげたのだ。なかでも小田実を中心にするべ平連運動。彼によると、べ平連は「既成の野党勢力、原水爆禁止運動、旧左翼労働組織」などとスタイルと発想をまったく異にしていた。それは新しい型の市民運動だった。ヘイブンズは古いスタイルから新しいスタイルヘの変化に好意的である。そのことは行文から十分読みとれるし、また私はこの指摘には根拠があると考えている。
 私自身の当時の回想は書くまい。ただひとつ指摘したいことは、著者がこれを書いたあとに起った東欧革命の意味と、日本のベトナム反戦運動のなかで起った旧新の運動の変化とのあいだに、本質的に共通の構造がふくまれているということだ。
 このように考えると、この本の意味は、私たちにとって過去を論じているだけではなく、現在にまで及んでいることがわかる。ベトナム反戦運動のなかで日本の民衆が学んだことを、的確にヘイブンズは指摘しているのである。
 訳者は当時のべ平連の事務局長の吉川勇一氏。彼なしにべ平連はなく、小田実の活動もなかったろう。運動に精通していた彼だけに、訳文に見当はずれはなく、またよみやすい。彼の労に感謝したい。

(ひだか・ろくろう氏=評論家)
★トーマス・R・H・ヘイブンズ氏はコネチカット大学教授・日本史専攻。著書に「西周と近代日本思想」「暗黒の谷間――日本の民衆と第二次世界大戦」など。

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共同通信の配信書評 『河北新報』 1990.9.17
『埼玉新聞』 1990.9.16 ほか

ベトナム戦時の日本

今日の日本は、三つの戦争の遺産で成り立っている。太平洋戦争と朝鮮戦争とベトナム戦争である。太平洋戦争の後始末のつけ方に至らないところはあったが、敗戦の体験からわれわれは平和と民主についていささか考えるようになった。だが、近隣アジアで戦われた二つの戦争では、他人の流血で金をもうける道を覚えた。
 本書は、「ベトナム戦争は日本にとって何だったのか」を米国の学者が分析したものである。このような主題の書物は、日米の国際関係論として、時の政治家の行動や政策を中心に書かれるのが常道である。ベトナム戦争の十年間(一九六五−七五)は、左翼政党や組織労働者の教条主義的な反体制運動が分解し、個別の市民グループが批判を強めた時代である。「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)は、そうした市民運動を代表する位置にある。
 著者は、霞が関の密室空間で進行する政治と路上のデモや広場のティーチインで展開される市民運動とのダイナミックスとしてベトナム戦争の時代をとらえている。小田実ら、運動の先頭に立った知識人たちからの聞き書きを多用して、このダイナミックな分析は成功している。
 あれから十五年を隔てた今日、振り返ると、一層明確に実感できるのだが、ベトナム戦争の時代は、高度経済成長期とほぼ重なっていたのであって、市民の発言の自由は、豊かさの余暇が生んだものでもあったのだ。戦争の余禄(よろく)が運動を支えていたことも事実である。戦争は終わったが、そこで獲得された利潤とアジアにおける地盤のおかげで、日本社会は、緩やかに再編成された。
 保守と進歩、体制と反体制という対立の構図は終わったのである。原爆、基地、沖縄、ベトナム、三里塚。それぞれの時代に一点の火種があって、そこにすべての運動が力を集中した。今やそのような火種はない。
 ベトナム戦争は新しい時代を準備したのである。そのことに対するしっかりした自覚を生むために本書は読まれるべきである。
=吉川勇一訳=
(筑摩書房=3910円)

 

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