『失踪』書評(1)
『週刊文春』森詠・中島河太郎『サンケイ新聞』

 

『週刊文春』 1979. 4. 26

密林に消えたシルク王のナゾ

フリージャーナリスト  森  詠  

 ひとりのアメリカ人実業家が忽然と”失跡“した。一九六七年三月二十六日、復活祭の日曜日の午後のこと。場所は中部マレーシア山岳地帯の高級リゾート、カメロン高原である。消えた男は、タイ在住の億万長者、ジェームズ・H・W・トムソン。
 トムソンはその日、ピクニックから山荘に帰った後、婆を消す。トムソンは、大の愛煙家だったのに、煙草も持たず、胆石の持病があるのに、鎮痛剤も持って行かなかった。この推理小説を地でいったようなトムソン事件は、当時、日本では報道されておらず、ほとんど知られていない。事件を追ったウィリアム・ウォレンのノンフィイクションは、ミステリー・ファンならずとも読む者を冒頭から事件のなかに引きずりこんでいく魔力を持っている。なによりもトムソンの持つ魅力的な人柄と、彼が数多くの伝説の持主だったからにちがいない。
 トムソンは第二次世界大戦中、建築士の職を捨て、兵役を志願し、CIAの前身にあたるOSS(戦時作戦局)要員になる。戦後、任地先のタイに残り、ホテル業を手はじめに事業を興し、斜陽になっていたタイ・シルクを再興する。そのため、彼は人々にはタイ・シルク王として知られていた。
 その彼がなぜ”失跡”したのか? 身代金めあての誘拐か? それとも自殺か? CIAのからむ政治的背景があったのか? 著着・ウォレンはトムソン事件にまつわるそれらの、ナゾを克明に追及していく。だが私に、なによりも圧巻だったのは、第二部の「最初の伝説」の章であった。そこではトムソン失跡を一本の縦糸に、横糸としてあまり知られないタイ・シルク創業史や戦後タイの政治裏面史、それに彼がいかにタイを愛していたかが語られている。彼の周囲にはサマセット・モームをはじめとする著名人の数々が登場し、さながら、タイ・シルクの様にきらびやかな「トムソンの伝記」に織り上げているのだ。
 トムソンは十二年たった今日も、行方不明のままである。いまもってトムソンのナゾの失跡が語られるのは、「トムソン伝説の大きさを示す尺度」にほかあるまい。戦後インドシナの隠れた現代史を語る秀れたノンフィクションになっている。

 

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『サンケイ新聞』  1979.6.25

タイシルク王の失踪
    
待たれる松本氏の続稿

中島 河太郎 

◎伝説的なアメリカ人

 東南アジアを廻りながら、書店を見かけるたびに気になって覗(のぞ)いてみた。英文のミステリーではどこも圧倒的に、アガサ・クリスティの作品が多い。その根強い人気には今さらながら驚いた。バンコクではル・カレやエラリー・クイーンの作品を、クアラルンプールではニック・カーター物を、シンガポールではディック・フランシスなどを見かけたが、日本の書店のようにバラエティーに冨んだ顔触れがずらりと並んでいる壮観とは、まるきり無縁であった。
 春夏秋冬の区別がなく、のべつ夏みたいなこれらの国々では、謎解きの固苦しいミステリーなどに読み耽(ふけ)ることなど、とうてい出来そうにもないから、すらすら読める作品に手を伸ばしたがるのは無理もない。
 バンコクではタイ・シルクを世界的に有名にさせた億万長者で、しかも彫刻や古美術の収集家として知られているジム・トムソンの家に是非寄りたかった。あいにく休館日にぶつかってしまったので割愛したのだが、実は私にとってはその収集品よりも、彼の失踪(しっそう)の謎のほうに興味を惹かれている。
 トムソンはタイでは伝説的なアメリカ人であった。彼の独創的な色彩感覚と商売宣伝の巧妙さで、タイの絹織物産業を隆盛ならしめ、第二次大戦後のアジアにおいて、彼の閲歴はもっとも人気のある伝説を作りあげるほどになっていた。
 ところが一九六七年(昭和四十二年)三月二十六日、彼は中部マレーシアのカメロン高原にある友人リン博士の別荘から、散歩に出かけたままジャングルに入り姿を消してしまった。大規模な捜索が実施されたにもかかわらず、その消息を杏(よう)として断ってしまったのである。
 日本ではあまり騒がれなかったが、東南アジアはもちろん、欧米の新聞雑誌は争ってこの事件をとりあげた。わずかに松本清張氏が昭和四十七年からこの事件に取材した「熱い絹」を連載されたが、二十数回に及びながら中断したままである。
 エラリー・クイーンの来日を期に、アメリカでも日本ミステリーの輸出の話がもちあがって、松本氏はこの作品を完成し、日米両国で出版するはずだと聞いているから、遠からず続稿に接することができるかもしれない。

◎訳出された「失踪」

 それはともかく、トムソンの人物・経歴と共に、その失踪事件を克明に探求したノン・フィクションがこのほど訳出された。「失踪」(時事通信社刊)がそれで、著者のウィリアム・ウォレンは記録映画の台本作家としてタイに渡り、彼と八年間の交友のあった人物である、。著者はトムソンと親しかった数多くの人々とのインタビュー、事件に関するあらゆる文献を検討したあげく、本書を纏(まと)めた。
 失踪の説明としてあげられた身代金めあての誘拐説、自殺説、政治的背景説、ジャングル内事故説を詳細に検討しているが、どれも決定的といえるものがない。

◎呪術師たちも登場
 
 事件の追及にはむろん官憲やその他の捜査協力がなされたのだが、いかにもマレーシアらしいのは、ボモー(呪術師)、透視術者、占い師、占星術師、手相見、杖占い師など、オカルトに関係した連中が続々現れて、トムソンの所在について各人各説を述べたてて人心を惑わしているのがおもしろい。
 それにトムソンはかつてOSS(アメリカ戦略作戦局)の一員であったことは事実で、このOSSがCIAへ引き継がれるのだから、CIAの係わりあいが問題になったのは当然である。それとクーデターに矢敗して、現在中国にいると信じられているタイの元首相プリデイとの連関も囁(ささや)かれている。著者のつっこみ方の足りない点は、訳者の吉川勇一氏も指摘しておられるが、当分謎が未解決だとすると、早く松本氏が「熱い絹」の続稿に着手して、独特の解決を示して欲しいものである。
(『サンケイ新聞』 1979. 6. 25 )

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