『市民運動の宿題』書評(3)

高橋寿臣・八坂康司

 

『インパクション』1991年11月号

分かりやすい宿題、解きにくい課題

高橋寿臣

  60年代末の運動に大学生として参加していた私にとって「べ平連」の存在は自明であったが、その実体についてはほとんと何も知らなかった。現在の自分の運動の位置から見ればきわめてわかりやすい「諸問題=宿題」が述べられている本書によって初めて、べ平連のある実体が了解しえたような気がする。党派・全共闘の活動家であった私自身にとって、時に「共同行動」として場を共にすることのあった市民に対して、特に何の関心もなかったし、それは私たち自身(党派)の運動に触発されて動きはじめた「大衆」としてしか把えられなかったものだ。大学内等での接点も特になかったから「市民運動の軟弱・日和見」を批判する根拠もなかった。自分にとっての運動とは「前衛党の一員」としてやること以外、考えもつかなかったのである。

  自分自身を根拠に運動を行っていくしかなくなった70年代−80年代にようやく、無党派的運動の様々なあり方が気になり、いつしか自分の運動も「市民運動」などと呼ばれているような状況になってくると、実に多様な人間の多様な運動への関わり(方)が感じとられるようになってくる。まして今日、革命的前衛党なるものの実体が、これほど明白になってきた時代である。

  吉川勇一も日本共産党という「前衛党」の一員であった。本書におけるその時期の体験は、十数年の差をもった私の「前衛党」体験もあって、私には関心が強いものである。課題・運動内容には無論大きな差があるのだが、党や党的人間のもつ問題性にはやはり、驚くほどの近似性がある。吉川は、後のべ平連の良き精神に携がるようなリベラルな視点で、そのような問題に則して悩み、苦闘するのであるが、少しサラッとしすぎているような気もする。私が自分自身のことを回顧・総括する場合も、批判精神の方を強調したくなってしまうが、問題は、にもかかわらず、何故そこに居続けたのか、という方にもあると思う、そしてそれは、吉川にとっても、70年代前半までのべ平連運動の中にあってなお「前衛党の必要性」を感じていたことにつながるもののような気がする。

  その問題は又、べ平連の運動――今日の運動の体験の中から吉川が整理した市民運動の宿題の内、(自然的・多様な)運動と管理、運動展開と日常の実務といった問題にからんでくるようにも思う。私なりの言い方でいえば多様な個性と発想による運動と、その組織性といった問題である。これは実際、頭の痛い問題で、単なる一参加者ではなく運動のリーダーとしての位置にあればおそらく誰でも感じる問題であろう。できるだけ人々の自由な運動を! といっても、誰かが呼びかけ、そのためのビラをつくらなければならない。高揚期にはそれほどの心配はないかもしれないが、限られた人数での実務は、その人々の過重負担を強いることになる。又、一方で「自由な運動」というものが責任無任・いいかげん、の批判をうけることもあり、「だから市民・無党派の運動はだめなのだ」とされてしまうこともあるのだ。本書にあるべ平連時代の吉川のいくつかの経験などは、現在の私の目から見れば、本当に身につまされるものがある。

  その他にも吉川が「宿題」としたものは全て妥当(今日の運動にとって)と思えるが、では、それらの解決の方向性はどこにあるのだろうか。特に現在のように、べトナム戦争という日本も深く関わった巨大な課題がなく、あるいはそれに類するものがよく見えてはいないという状況の中で、人々の自発的で多様な運動そのものが停滞しているように見えている時、その宿題を宿題として感じとられることができるのだろうか。危惧はある。

  まったくいいアイデアなどというものはないのであるが、運動は所詮、人間問題であること、自発性と責任性、多様さと組織性も又、個々の人間とその関係のあり方の中にあることを粘り強く訴え続けるしかあるまい。

  本書はそのようなことを考えるための貴重な一冊であると思う。

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『反天皇制運動』U期 第7号

八坂康司

  今から思えば、テレビの深夜の11PMで観たのが吉川さんを知った最初だった。こじんまりした”はげのおじさん(失礼!)“というのが第一印象で司会の大橋巨泉が敬意を払った対応をしていたのを想い出す。その後、市民運動(日市連)の集会で拝見した時には、余分なことは言わずテキパキとした口調で、集会を進行させている姿で「頭の回転のなんと早い人だ」というのが第二印象となった。事務局などの会議になると、いままで経験した実例を具体的に出して、現在の問題にどう対応したらよいか、かなり説得力のある話しをされる(これはかなわない!と直感する)。きわめて冷静で、若い人がその場の気分だけでいろんなプランをぶっても、具体性に乏しかったり熱意と責任の伴わないようなものにはキッパリ批判される。やっぱり“ただ者“ではなかった。裏方に徹したポジションや、極端なまでにでしゃばらない人柄、合理的で、そしてきわめて原則的であること――。

  今回この本の中に納められている共産党経験からべ平運運動、そして現在の市民運動へと続く吉川さんの軌跡は、前述の私の印象や思いを裏書きしてくれる内容に満ち溢れている。またそれが、吉川さん個人の思いや評価に留まらないのは、それを越えて、戦後日本の民衆運動がたどった紆余曲折の中で大切に継承されなければならない数々の経験知がいっぱい詰まったものになっているからでもある。民衆運動にとって、共産党の指導(支配)から離れ独自の自立した運動としてそれぞれの自発性によって運営・成立することは現在では自明のことではあるが、原水禁大会における大衆運動のルールを無視した共産党の非民主的な政治主張のゴリ押しを批判したために党から除名された経験などは、大衆運動のパワーがどこにあるかということと合わせ、大変興昧深い。また、見解の相違や、少数と多数との関係で、「少数意見を尊重しなければならないのは、もしかするとじつはその方に相対的な正さがあり、やがて多数意見に転化する可能性が制度的に形式として保障されなければならない」「これは大衆運動の場合であれ、政党であれ、国家であれ、同様に必要なことだ。」ともある。運動の領域での民主主義の問題でもあり、共同で何かをやる時の基本的な約束事にも通じる。「内ゲバ」等を回避するシステムは、即大衆運動を発展させる契機ともなるとその他の記述からも推察される。

  市民運動のリーダーとして吉川さんが卓越した所は、「自分が言いたいことやりたいことをやるだけではなくて、全体構造の中で、自分が他人にどういう影響を与え、他者との関係で自分の行動を選び取っていくことを旨としている点であるし、また国家(権力)との緊張・距離感をいつも意識しながら問題を立てることも怠らない所だ。幻の名著『市民運動入門』(非出版)で「運悪く警察に捕まって『二度とこんなまねをするな』と警官に言われ、『はい』と返事をするのであれば、そんな人は市民運動は辞めたほうがよい」といった主旨のことが書いてあったこと思い出す。それは現在の市民運動がややもすれば落ち入りがちな党派政治の裏返しとしての、独善的な自己絶対化に無縁で、絶えず自己を相対化する姿勢を貫いて、原則を通しながら運動の腐敗や堕落を防いでいる点に顕著に現われている。

  本書は「私の大学時代のこと」「平和委員会での活動」「べ平連について」「久野・鶴見氏の対談をめぐって」「ベ平運が残したもの」「湾岸戦争反対運動教訓」の六章からなる、運動家としての吉川さんの戦後史でもある。「市民運動の宿題」というタイトルが示すとおり、未解決の問題の提起の書ではあるが、運動にたずさわる人にとっては宝の山に等しい。ぜひぜ一読を。

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