『兄弟よ 俺はもう帰らない』書評(6)
『週刊朝日』書評欄・『朝日ジャーナル』談話室・『現代の眼』

 

『週刊朝日』 1975. ?

脱走亡命した米黒人兵の手記 

  これはベトナム戦争で米軍を脱走亡命したある黒人兵の手記である。いまさらベトナム脱走兵の話でもという向きもあろうが、これは何よりも一人の人間の魂の記録として読者の心をうつに違いない。しかもその亡命は「べ平連」の協力で達成されたのであり、脱走兵援助の記録としてはほとんど唯一という価値も持っている。
 著者はテネシー州メンフィスのスラムに生まれ、はげしい差別の中で育ったが、勇敢な海兵隊員としてベトナムで負傷、日本で療養中に一人の女子大生を愛するようになった。再びベトナムヘ送り返されようとしたとき、彼はスウェーデンヘの亡命の途を選びとる。
 というといかにもメロドラマめくが、書いてあることは重い(それを救っているのは、全編にみなぎる著者の天性の陽気さだ)。一人の若著が日本軍隊顔負けの非人間的訓練で、急速に殺人機械に仕立て上げられるありさまもすごいが、アメリカの戦争目的について
何の疑いも持たず(考えもしない)ただ勇敢な兵士としてベトナムで戦い続ける描写もすさまじい。
 だがコンチェンの戦闘で脚に重傷を負い、療養中に横浜の電車の中でめぐり会った女子大生・タキが彼を「救う」ことになる。彼女はテリーになぜベトナムで戦うのかと問う。
 「どうしてあなたたち黒人が戦わなくちゃいけないの? あなたたちは自分たちのために戦っているのじゃないでしょ。アメリカがあなたのために何をしてくれてるの?」
 だがベトナムに子供を殺しに戻らないことは、五年の重労働と前科者としての人生を意味する。さもなくば「私の知ってるすべてのもの……にノーということになる――何から何まで最初からのやり直しをしなければならなくなる。私の残りの一生は亡命者それとなる」。
 タキの訴えで脱走にふみ切ったテリーを助けて、日本から脱出させたのはベ平連につながる民衆の力であった。彼らが軍のポリスをまいて逃げまわり、アジトを転々として、遂にソ連の警備艇に乗り移るまでの過程は、まるでスパイ映画そこのけである。
 ソ連での政治的意図を含む歓迎ぶり、それをかいくぐって女を求めて歩く脱走兵の姿、そしてスウェーデン入りを前にして人種差別がありはしないかと悩むテリーの心情、いずれも現実感をもって迫ってくる。
 いまテリーは黒人亡命者としてスウェーデンで着実に生きており、「監獄とゲットー以外の何ものでもない」アメリカに向かって「俺はもう帰らない」といいきることができる。
 ベトナム戦争と日本人のかかわりあいはさまざまだったが、民衆による亡命援助という行為が実を結んだことを知るのは感動的である。訳著は人も知る元ベ平連事務局長、自身がこの脱走計画に手を貸したことになる。心のこもった訳文はよく原文のリズムを伝えている。〈魚〉

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『朝日ジャーナル』 1975.10.17

「談話室」

 (前略) 勇敢な兵士のイメージとして日本人の頭にこぴりついているのは、「死ぬまでラッパを放さなかった」式の戦争の内容を問わない兵士のことであろう。が、ベトナム戦争を不正義の戦争と印象づけ、アメリカ軍の軍紀を自壊させた主役は、勇敢ならざる勇敢な兵士、脱走兵の続出であった。最も劇的で、演出効果のあったのが、旧べ平連の手でストックホルムに逃れた兵士であるが、その一人、黒人の元海兵隊員丁・ホイットモアの『兄弟よ俺はもう帰らない』(吉川勇一訳、時事通信社、1200円)は、ごくありふれた若い黒人兵が、イデオロギーとは無縁なとろでベトナム戦争の欺瞞性を自覚し、祖国を捨てるに至る心理的葛藤を、いきいきとしたフィーリングで語っていて、アメリカの良心を知るには必読の文献である。
 訳文も、脱走兵の救援に奔走した当事者で、ホイットモアとも面識浅からぬ吉川の手になるだけに、これ以上はやわらかくならないというほどこなれている。(以下略)

 
月刊 『現代の眼』 1975年9月号

紹介

 テリー・ホイットモアは、ベトコン殺しの英雄としてメンフィスヘ帰るはれの日を前にし、べッドの中で心踊らせていた。日本で傷の癒えるのを待つ間、彼は日本娘・タキと恋をした。
 死地から逃れた安堵に酔いしれている彼に、しかしサム〈アメリカ)はそんなに甘くはなかった。テリーは再びベトナムのジャングル行きを命じられたのだ。いつしか彼は脱走を決意する。様々な幸運と、愛と、べ平連、とりわけ無数の市民の手によって日本を脱出し、ソ連を経てスウェーデンにたどりつく。スラングに満ちたこのロマンが、テリーの魂を、海兵隊やアメリカン・ライフの一切から放ち、自覚へいたる旅でもあった。魂(ソウル)のわかる黒人として彼はスウェーデンに定住する――巻末の小中陽太郎の「テリーの思いで」に、その後のテリーの様子が静かに詩的に描かれている。
 本書は日本で展開された米軍脱走兵のすぐれた記録だが、ベトナム反戦を担った無数の魂の見事な連帯の記録でもある。訳はストーリーの息づかいを伝えていて、みがきぬかれている。

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