69 2012年の初めに (2012年01月11日  掲載)  

 暮から今年にかけて、とりわけというほどではなかったのですが、なかなか時間がとれず、私の個人サイトはすっかりご無沙汰にしていました。いろいろありますが、順不同で、思いつくことを並べてみます。
2012年の賀状

 
今年の賀状は、「おめでとう」というような言葉がどうにもつけれず、右のように「新年のご挨拶です」とつけました。(クリックすれば大きく拡大して読めます。)
 
毎年と同じく、天国からの吉川祐子からの「割り込み」の文面が入っているのですが、年につれて、頂く賀状の宛名が、私ではなく、祐子宛5のみの賀状が増えてきており、祐子の文面のほうが面白いなどという意見のついたものも次第に多くなっているようで、私としては面白くない思いもなくはありません。
 そこに書いてありますように、確かにお茶の淹れ方は少しうまく出来たように思っており、日本茶だけは少し贅沢をしてみたいと、いいお茶だけでなく、右の写真のように、急須も新しくしてみました。万古の銀彩(黄)の急須で、金沢銀箔を焼き付けたあと、釉薬を吹きつけて再び焼きなおしたもので黄色に染まった銀箔です。華やかな正月らしい雰囲気になって、気に入っています。左の茶飲みは、
有田(古伊万里)の六代目 佐藤走波の「赤玉」文様で、これも気に入っているのです。でも、なんとか、5代の走波で赤玉の茶飲みを欲しいなと思っていますが、簡単に手に入らない上、かなり高いのですね。5代の走波77歳の時の「赤玉」のそば猪口は、 右の写真の中央にあるもので、以前、佐世保のベ平連の旧友から頂いたことはあるのですが。
 急須や茶碗は脱線でした。今年もたくさんの方から賀状でをいただきました。もちろんのことですが、そのかなり多くの文面は、大地震、津波、そして原発についての被害の人たちへの心配、政府や東電などへの批判、脱原発活動などにふれたものでした。
 お名前は載せませんが、何通かの絵と文をご紹介してみます。
○大国の虚栄を捨て隣国との協調をはかる小日本主義こそが最上の道とおもっております。
○ いつもなら、明けましておめでとうと書くのですが、今年はその決まり文句が書けません。千年に一度という大津波と原発の未曾有の大事故がありました。それでも原発は廃止せず、輸出もする。沖縄普天間基地の辺野古移転を推進、TPPに加盟し、関税の自由化を進め、農業と地域の暮らしを破壊する。社会的連帯による自治の方向へ歩むしか出口はないと思うのですが、道は容易ではありません。自分の持ち場で、将来のために一本の木を植えるような仕事をし続けたいと思っています。
○ (前略)どんな技術も,人間のなすことゆえ完全ではありえず.リスクはあります。しかし地中からウランを掘り出し,自然界ではまず起こることのない連鎖反応を大規模に実現させるということは、平常運転での環境汚染だけではなく、ひとたびそれが暴走したときのリスクの大きさを考えると、人間社会が許容できる範囲を超えています。実際、福島が事故以前の状態を回復するのに百年単位の時間を必要とします。とすれば核エネルギーの使用は、軍事はもとより民生用であれ人間のキャパシティーを超えていると言わざるをえません。まして、その挙句に地球上には事実上存在しなかった何万年も毒性を失わないプルトニウム等の放射性廃棄物を大量に産出し、その後始末を何世代も先の子孫に押し付けるということは、許されることではありますまい。 新年早々かたくるしい話で恐縮です。
○大阪は若いファシストを首長に選出しました。きびしい戦争をやりすごして66年の時を経るとこんなことになるのですね。恐ろしいことだと感じています。私たちの歴史認識の不徹底のせいで起こったことでしょう。昭和天皇の戦争責任をきちんとしなかったために、歴史認識が一歩も前進しない世の中になっています。昭和天皇が沖縄を何十年も使ってくれとアメリカにさLだし、戦後半世紀をへても、なお米軍の駐留が続くのは異常にすぎるではありませんか。領土保全の議論があちこちで起こっていますが、なによりも大事なのはその地に生きる人が議論の主語であることだと思います。(後略)
母は満の白寿
 賀状で祐子も書いていますが、あと1週間、今月の18日で母は満で白寿になります。足腰は弱り、前に置いた車椅子に手を掴まないと歩けませんが、それでも老人ホームの食堂まで一人で出かけますし、車椅子に乗ってバレーボールの競技(?)に参加したりまでするのです。頭はボケていません。昨年暮れには、狂句とも言えないような駄洒落を見せ、ずいぶん考えたのだよ、と言いながら次のようなものを見せました。――「駄目なこと、駄目と言わない 駄目な国、駄目と言えれば 駄目でない国」
 母は昔から「しおがま」(東北の駄菓子)が好きでしたが、最近では東京のデパートにも並んでいないようです。それで、インターネットで注文してみましたが、仙台の菓子店から昔と同じ味の「しおがま」が送られてきました。ついでに、やはり仙台の菓子店の「白松が最中」と「白松の羊羹」も以前と同じものが送られてきて、母は喜んでいました。
一人の料理
 母に行く時は、私が母が好きな里芋の煮物や牡蠣のしぐれ煮などを作ってもってゆきます。私の料理もいろいろレシピは増えつつあります。昨年のクリスマス・イブでは、一人だけですがこんなテーブル(左端の写真)でした。このワインは、昨秋の武藤さんとの80+80=160歳の会で、旧い友人から送られたボルドーのおいしいものでした。また、暮には、ベ平連の友人から贈られた博多の上等な明太子で、きれいな丼を並べられました(それぞれ左の写真)。今日は鏡開きで、正月中に飾ってあった餅(右の写真)を食べたところです。こんなものも一人ですがテーブルの脇に並んでいたのですよ。武藤さんに言われたように、私は、こういう暮らしは保守的なのです。
金東希問題

 1967〜68年に、金東希・金鎮洙問題という運動がありました。韓国軍や米軍から脱走した反戦兵士で、どちらも日本への亡命を希望したのでした。しかし、日米両政府の方針によってそれは不可能になり、金東希は北朝鮮に、金鎮洙はソ連を経てスウェーデンに送られました。そのうち、前者の金東希は、北朝鮮に入ってしばらく後に情報がなくなり、処刑されたという話さえ出ているのです。旧ベ平連は、この二人が日本にいた当時、二人の金を支援するという運動を進めていただけに、私は、今も、とりわけ金東希問題には強い憂慮の念をもっていました。 
 
ところが、昨年、新時代社発行の『週刊 かけはし』2011年10月24日号の「韓国は、いま」欄に、聖公会大・日本学科のクォン・ヒョクテ(権 赫泰)教授の「ベトナム派兵を拒否し翻ろうされ続けた2人の脱走兵」という論の翻訳が掲載されました。原文は韓国の『ハンギョレ21』2011年9月26日付けに出たものです。金東希問題が韓国の中で問題にされたことは、おそらく、これが初めてのことだったと思いました。それで、私は、『かけはし』にこの問題について投稿を出し、それはの2012年1月1日号に掲載されました。この二つの文は、旧ベ平連のサイトにFTBファイルで全文が載せられてありますので、以下をぜひごらんください。http://www.jca.apc.org/beheiren/saikinbunken.htm 
 ところが、今年に入って、クォン・ヒョクテ教授自身から私にメールが送られ、直接の連絡が取れるようになりました。ありがたいことでした。クォン教授によれば、近く、韓国での学会で、日本のジャテック問題についての報告もされるとのことです。この問題もぜひ今後連絡したいと思っております。
新年での訃報など
 今朝の新聞には、原子物理学者の服部学さんの訃報が出ています。1月10日、肺炎で85歳の逝去とのことです。原水爆禁止日本協議会の専門委員として活動されましたし、また、ベ平連には最初から賛同、協力していただきました。残念です。明日、12日(木)の午後6時、及び13日午前11時から、横須賀市小矢部2-13-2美松苑会館(
電話:0120-365-024 JR横須賀線「衣笠駅」下車 徒歩15分 京急線「横須賀中央駅」下車 バス15分)で「お別れ会」があるとのことです。
 
また、かなり前の訃報になってしまうのですが、原水爆禁止運動の初期、国際会議での通訳、翻訳で活躍されていた山田敦さんが、昨年5月29日、93歳で逝去されていたということを、賀状への返事として娘さんからご連絡をいただきました。山田さんも原水爆禁止運動の初期のとくに国際関係では、とても必要な方でした。また、ベ平連運動でもずっと協力を頂いていました。お二人に心から追悼の意を表します。
 さらに、昨年12月10日のことですが、劇作家の市川森一さんの逝去は、みなさんもご存知だったと思いますが、今年に入って1月7日に、NHKが
市川森一脚本の“私が愛したウルトラセブン”「夢見る力」( 1993年2月20日に放送したもの)を再放映しました。この第2部『夢見る力』は、『ウルトラセブン』製作グループが米脱走兵を援助し、匿い、日本から脱出させようとするが、最後には宮城県の港で逮捕されてしまうというフィクション。市川森一は、直接にベ平連に関連して活動したことはなかったのですが、その後、『世界』に出ていた小中陽太郎との対談で、市川は、脱走兵援助活動の当時、ベ平連をたえず意識していた、と語っています。60年代に人気を集めた『ウルトラセブン』の製作グループの中にあったエピソードなどもふくめ、60年代後半の時代の雰囲気をよく描写しているドラマでした。(脚本=市川森一 演出=佐藤幹夫、出演=田村英里子、松村雄基、日向薫、仲村トオル、佐野史郎、香川照之、梨本謙次郎、別所哲也、財津一郎、鈴木清順 )。