西吉野村(奈良県)[1998/05]  
1998/10/20奈良地裁五条支部で勝訴!!

[背景]
 奈良県西吉野郡西吉野村は奈良県の中部西側に位置し、日本一の柿の生産地として知られる。西吉野村の最も奥まったあたりに夜中という戸数14戸の集落がある。ここが、産廃富士の現場である。
 1988年12月、西吉野開発(株)が宅地造成の名目で地元に同意を求める。ところが、持ち込まれるのはゴミの山で、夜中谷へのゴミの不法投棄が開始される。
 1989年2月25日、あわてた地元の奥谷、西新子、夜中の3地区は業者同席で総会を開き、「宅地造成の同意」を拒否する。
 普通に考えればここで終わる筈なのだが、終わらない。数日後、村の厚生課、産業課、建設課の課長らが連れ立って「放らしてやってくれ」と区長宅に説得にやって来る。田舎では区長は行政の末端という意識があり、役場から頼まれると断れない。結局、区長は住民説得役になっていく。こうして1989年11月20日地元三区、西吉野村長、村会議員、西吉野開発(株)で公害防止協定締結。これをもとに、業者は奈良県に産廃処理業の許可を申請し、県は14項目の条件を付けて許可する。業者はこの間も不法投棄を続けていた。もちろん公害防止協定や県の許可条件は守られる事はなかった。
 安定5品目(プラスチック、ゴム、金属、ガラス・陶磁器、建設廃材)、サンドイッチ方式での埋設、定期的な水質検査、産廃の高さは道路まで、それらは何一つ守られなかった。野焼きは最初から行われており、消防団が出動する火災が11回も起きた。1993年4月8日、大火災が発生し1週間も燃え続く。、隣接市から「何が起きているのか」という問い合わせが殺到し、近隣の家では小さな子どもを疎開させたという。奈良県は許可の取り消しや改善命令を一度たりとも出していない。「ほんとうに安定5品目だけか」との問いに平然と「許容範囲内」と答えたと言う。


火事で燃える産廃富士。隣り町からの電話があいついだと言う。

 1993年1月28日、業者は処分場を下流方向にさらに拡大しようと画策するが、危機感を抱いた地元3地区では工事差し止め仮処分申請を決定する。1月30日、これを察知した当時の掘栄三村長は、地元区長らの全面委任を取り付けたうえで業者との「調整」に乗り出し、2月17日業者と「約定書」を交わす。約定書で村長は下流域に第二処分場を建設することに同意し、「三区が予定していた工事差し止め等にかかわる仮処分申請を行わないもの」とした。ここでも首長は業者側に立った。
 業者はこの約定書をもとに新処分場建設のための第二次公害防止協定の締結を地元に迫る。このとき地元で土建業を営む村会議員が現われ、土地の売却を働きかけた。第二次公害防止協定への最終調印は、その場しのぎで踏みとどまった。業者は住民を威嚇し、持ち回りの区長で円形脱毛症や精神科へ入院するものも出た。まだ、この時点では住民は業者と対決しないでいた。
 1995年3月、業をにやした業者は地元と村に7000万円の損害賠償請求を起こす。しかし、この事により住民はついに業者との対決を決意する。4月29日、「美しい水と活気あふれる農業を守る会」を設立し、搬入禁止の仮処分を求めて裁判を起こす。
 1995年11月、仮処分申請を申請し、1996年1月22日仮処分が決定され、埋立と搬入が禁止される。しかしこの日までに業者は産廃を積み上げ、産廃富士が出来上がっていた。奈良県は今だに拡張させたいと思っている。
 1997年8月13日、「産廃富士」の撤去を求めて訴訟を起こす。

 参考書「週刊金曜日1998/03/06 209」
     「美しい水と活気あふれる農業を守る会」ニュース


[感想]
 和歌山県橋本市「産廃処理場を撤去させる会」の方に西吉野まで車に載せて頂いた。道中、山村の美しい風景が続く。和歌山〜奈良の県境には谷が多い。そしてその谷は産廃業者に良く狙われ、谷間だった場所が、平地になっている場合が多いと言う。産廃で谷を埋め、盛り土をしているのだ。「普通の人はぱっと見、わからないけど、私は問題に取り組んだため分かるようになった」橋本の方はそう語った。あなたの家の近くの谷間の前を久々に通り、平らになっていたら、そこには産廃が埋まっているかもしれない。そんな説明を聞いているうち山道になる。細く曲がりくねった山道をどんどん登っていくと、産廃富士に到着した。


産廃富士を正面から見る
その高さを実感できると思う。多くの報道はこの位置からのもの
産廃富士の上にある白い家は元の地権者(今は住んでいない)
産廃富士の下に見えるコンクリート部分も産廃が埋まっている。
コンクリートには亀裂が入り、いつ崩れるか心配だと言う。

手前のショベルのある辺りも産廃を埋める予定だった。












 産廃富士の案内・説明は西吉野「美しい水と活気あふれる農業を守る会」の男性にして頂いた。
 ある程度予想はしていたのだが、産廃富士は予想以上に大きかった。また、周囲の自然とのあまりのバランスの悪さにゾッとする。正面から見た写真を掲載する。この地点は報道に良く使われるそうだ。余りに積み上げすぎ、当時状態を見た人が「あんなに高くて不安定な所でユンボを運転するのは命がけであろう。度胸がある」と変な感心をするほどだった。その当時を見ていない私はどうやって積み上げたのか不思議だ。
 産廃富士に近づく。その圧倒的なゴミの山に思わずたじろいでしまう。かなりの角度がある。産廃の山を見ると、いきなり安定五品目に入らない布団が目に入る。分別せずにただ持ち込んで積んでいったのがよくわかる。
 夏になるといまだに強烈な悪臭が漂うそうだ(安定5品目だけなら、腐敗をしないため、匂いがするはずもない)。産廃のほとりの道路は子どもたちの通学路・生活道路である。子どもたちに対する影響が特に心配だ。産廃の周りはトタンで覆っているのだが、年々傾いており、何時倒れるか不安だと言う。写真を掲載する、継ぎ目が広がっているのが分かるだろうか。
 産廃は谷間に位置する。横の山に登って写真を撮る。電柱の高さから水平に写真を撮っているのだが、電柱の高さをはるかに超えているのがお分かりだろうか。最頂点は道路から28mあると言う。また、業者は谷間に少しでも産廃を埋めるために谷を削った。そのせいで、もともと崖とガードレールの間に立っていた電柱は支えを失って倒れた。現在、電柱はガードレールの内側に立っている。
 処分場内には、最近投棄されたと思われるゴミも目に付く。ここまでゴミを棄てに来る人が後を絶たないそうだ。焼却灰が入ったポリ袋も棄てられている。モラルの無さには目を覆いたくなる。
                                                          
     



    
      


産廃の周りを囲むトタン。傾いている     電柱のはるか上の高さを誇る産廃富士 

 一刻も早い産廃の撤去を願うばかりだ。撤去された日が来たら、その谷の写真を撮りに行こう、柿がなる頃に。
 産業廃棄物は排出企業が「作る企業の責任」として回収する必要がある。アメリカ合州国のスーパーファンド法が日本にも必要だ。安定5品目だけを種分けするのは不可能なので、廃棄物処分場は最低でも「管理型処分場」にすべきだ。説明してくれた方は語る。正にその通りだと思う。その際、リサイクルの義務を徹底すべきだろう。

[西吉野村の方から]
 奈良県の対応は、この様な運動は2〜3年で、潰れるので、それを待っているという感じです。
 80軒程で、数百万円の裁判、運動資金は大変ですが、皆の気持ちの中には「あの産廃富士が無くなるのなら」「この地域が良くなっていくのなら」と言った気持ちで、何万円もの資金を毎年出し合っています。
 ゴミ問題は、市民が声を出し、行動しなければ法律も出来ないし何も解決しません。特に環境ホルモンについては今の若者に考えてもらいたいです「あなたの孫の顔が見れますか?」という問題と言う事を。


トップへ戻る

現地を訪ねて