14章 イエスとの出会い
 私は30年間、エホバの証人として幸せな時を過ごした。新世界訳新訳聖書を9回読んだ後、エホバの証人の教義全体が砂上の楼閣の上に建てられていたと理解するに至った。聖書はエホバの証人の信仰を証明していなかった。実際、重要な教義のどれもが聖書からは証明できなかった。
 懸命に研究と通読を重ね、何をすべきかを決断したが、胸の内に秘めていた。心からイエスを招かなければならないと分かってはいた。恐れていた問題を一つ抱えていた。それは容易には解決できるものではなかった。沈黙を守った。何をすべきか心の中では分かってはいたものの、イエスを救いのために信じることはできなかっただけだ。
 ある土曜日の朝、野外奉仕の集まりに出ていた(ドアからドアへの働きと呼んでいた奉仕だ。その出発前、ドアをノックする前の数分間グループごとに顔合わせをしていた)。この日の朝は、一人の奉仕の僕の家に集まっていた。奉仕の僕とは、教会の執事に等しい。奉仕の僕の名前はジムだった。証人の福音を人々に伝える備えとなる祈りをした後、ジムが私を呼び止め、「ここだけの話」を語り始めた。
 私はジムの後から台所に入って、ジムのことばに注意深く聞き入った。「チャック。これからの話は君を驚かすかもしれない。言っても信じてはくれないだろうが、僕は、144千人は実体のない数字ではないかと疑っている。エホバの証人はそれを誤解している」。それを聞くと、自分の耳を疑った。私の調べた結果と同じことを考えていた友人が居たのだ!
 そして私は、ジムにはその晩に私の家に奥さんを連れてきて、一緒にトランプをしながらその話をしようと伝えた。その当時の状況を話すと、ディアンナと私は研究を続けてはいたが、属していた会衆内では主宰監督をしていたし、私が何を発見したかは会衆内の誰にも言えなかった。 晩になってジム夫婦が我が家にやってきた。しばらく夫婦とトランプ遊びに興じた。手を止めて、ジムが朝方話しかけた話題に水を向けた。ジムがどれほど本当の真理に近づいていたか定かではなかったから、私は自分の研究の中で発見した結果をはっきりとは口に出さなかった。
 それから帰る間際、二人には家に帰ったらローマ書を読むよう、次の土曜日には、もう一度、夫婦一緒に家に来るように伝えた。論じるほどの重要な教義を発見できたかを尋ね、二人の態度に何の変化も見られなかったら、トランプ遊びをするつもりだった。そうして翌週の土曜日になった。ジムと奥さんのターニャが家にやってきた。私はその晩の出来事を死ぬまで忘れないだろう。
 ジム夫婦にローマ書を読む機会があったかを尋ねた。ターニャはソファの上に座っていたがそれを聞くと泣き出した。ターニャは私を見つめてこう言った。「キリストを「主」とし、「救い主」として受け入れた私たちは、天国に行きます」!! 興奮する一夜だった。私の学びを目ざめた二人にも分け与えられたと今でも思っている! 二人とも分かった。「主」は二人の目を開かせた。二人は救いの道を歩んでいたのだ!
 それからまもなく、ジムとターニャはターニャの両親に真理を説明した。ターニャの両親は、二人とも本物の真理を学ぶ機会になったと飛び上がるほど喜んだ!! ターニャの両親はその後、彼らの友人たちにも真理を分け与えた。最終的には、本物の真理への道を歩み始めた者の数は会衆内で40人にも上った。私たちは聖書を調べるために週二回の聖書研究を始めたから、キリスト教のなんたるかをはっきりと理解できた。
 水曜日の夜になると一緒に新約聖書を読んでいた。特徴的なポイントを見つけると、私たちはそれについて話し合った。日曜日の朝には、ジムか私がエホバの証人の教義を取り上げ、それが「正しい」かどうかを検証した。私たちのグループは、この研究でも各自の考えを持って話した。私の今までの人生の中でもっとも実り豊かな学びの時間を過ごせたと、素直に認めるしかない。本当のところ、私たちを教えるために聖霊がそこにおられたのだ。自分たちなりの考えを持ち寄り、集会に出ると、聖霊は私たちが正しいか間違っているかを示してくれた。聖霊が導いてくれるか興味津々だった! 
 聖書研究を始めた頃、働いていた会社の都合でダラスに出張しなければならなかった。私たちの素晴らしい研究計画が行れてはいたが、「主」についてはまだ分からないことがあった。何をすべきか、自分では分かっていたが、それはあまりにも安易な道だという思いがした!! 
 ダラスに着いて飛行機を降りると空港で統一協会とばったり遭遇してしまった。彼らは私に彼らの本を読ませようとした。
 私がホテルに着くや否や、ロビーで統一協会のカップルに遭遇した。二人は、統一協会の聖書をくれた。エレベータに乗ると、中には騒々しい黒人女性たちが乗っていた。自分たちはクリスチャンであり、黒人ゴスペルの大会のためにダラスに来ていると語っていた。エレベータの中では「主を誉め称えよ」の声を聞かされた! 私は内心、彼女らは「いかれている」と感じた。
 まもなく自分も「変人」になろうとは思っても見なかった!! そのエレベータ内の経験を思い出すとそのときの素晴らしい時間に喜びを感じる。彼女らはそれほどイエスを愛していたからこそ、それが態度に出ていたのだ! 彼女たちはなんて素敵なイエスの証人だったんだろう!! 
 ホテルの部屋に入ると、電話にメッセージが吹き込まれていた。それはドーンにあるエホバの証人の分派のメンバーからだった。ダラスを牛耳っていたその人は、どこかで私がダラスに来ることを聞きつけて私と話をしたがっていた。ホテルにやってくるとエホバの証人の偽りの教義を話し合い、一緒に2時間ほど過ごした。エレベータで居合わせた女性らと違ってこの人はひどい堅物だったのだ!! 
 このドーン派の人が去ってしまうと、本当のところ、めまいがしそうだった。この日、すべての宗派の人たちと遭遇したようだ。神は私に何を見せたがったのだろうか。少し市内をぶらつくのもよろしかろうと決めた。そうやって少し頭の中を整理するのもいいな。映画でも見に行こうかと決めた。それには一つ、問題があった。どこに映画館があるか知らなかったのだ。レンタカーに乗って、一っ走りすると映画館が見つかった。
 こじんまりとしたショッピングセンタからは離れてはいなかった。上映中していた作品のネオンサインの光線が目に入り、そこが映画館だなと分かった。どんな作品が映じられているのか気になった。映画館まで行くと、驚いたことに上映中のタイトルば「Born Again(生まれ変わる)」だった。チャック・コールマンの人生、それもイエスへの信仰に導かれた人生の闘いがテーマだった。
 神のなされた業ではないのか!! 信じられなかった。自然と映画館に入ると決め、上映されていた映画に見入った。
 映画を見ていると、チャック・コールソンは自分と瓜二つだった。チャックの偽りは私の経験した偽りと瓜二つだった。頭の中にはイエスの知識が入っていたが、そこまでだった。「主」として「救い主」として、キリストを受け入れられなかった。とても単純だった。分かりやすかった。
 映画の後半部ではコールソンは、キリストを受け入れる。イエスが私の琴線に触れたのはそのときだった。数年後、個人的にチャック・コールソンに会って、その映画が私にどれほど影響を与えたかを伝えた!! コールソンがキリストを受け入れたとき、私は涙が止まらなかった。映画館を後にしなければならなかった。車の中に戻るとイエスの愛に満たされ、そこで三時間、じっと座ったままだった。
 私が「主」として、「救い主」としてイエス・キリストに出会ったのは10月の暖かい夕方、テキサス州ダラスにあった映画館の駐車場の車中だった。以前の私とは変わった。ダラスでのあの瞬間にイエスにあって、新しい生き物となり、聖霊に満たされ、義とされ、キリストの子孫となり、神の子となり、罪は許された。
 私は生まれ変わった!!
 妻ディアンナに電話をしてその出来事を話した。カルフォルニアに帰ると40人のグループにその経験を話した。すると聖書研究をした40人は全員生まれ変わった。何と、神は私たちを祝福されたのだ!! イエスが私たち全員の人生に入ってこられた。全員が天国で私たちを起こされた「救い主」とともに永遠に生きることが分かった。
 「かわいい子には旅をさせろ」だ。何人かとは別れたが、それなりに意味があった。実父は私に勘当すると電話をしてきたが、それにはそれなりの意味があった。私たちは根本的にすべてをイエスに委ねる――それだけの価値があると言わざるを得ない。言うまでもなく、キリストの中にあって生きる――それほど素晴らしいことはない!!
 イエス・キリストは、30年間をエホバの証人として生きた若い男女を選び、イエスの家族に迎えた。何と素晴らしい特権ではないか! その神秘さを伝えなければならない! イエスを知って幸せだ。
 あなたもそうなるように祈っている!


目次へ戻る