第6章 さらに詳しく「大群衆」を調べる


 質問2、3、4はすべて「大群衆」をテーマにしている。1935年に遡ると、2代目会長ラザフォード判事は一つの問題を抱えていた。144千人だけが天国に行くと考えられたが、144千人以上のエホバの証人がいた。「大群衆」は144千人以外のグループであり、地上で永遠に生きるなどとラザフォードはなぜ思いついたのだろう。
 「大群衆」に関する次の質問を論じるために、その質問に簡単に答えを探してみよう。

質問2:聖書のどこに「大群衆」は地上に生きる」と書かれてあるのか

 聖書の中にはエホバの証人にとって最も大切な教義が見あたらない。それは実に驚愕に値する事実だ。エホバの証人は、「大群衆」が地上で生きる根拠として黙示録7章を用いるが、実は、その聖句はその正反対の論拠となる。
 初代会長ラッセルは、「大群衆」は地的な級ではなく天的な級であると信じていた。ラッセルは「大群衆」は天国に配置されているかのように黙示録7章を解釈している。しばらく黙示録7章の「大群衆」の箇所を読んでみよう。

黙示録7:9 その後、わたしが見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と子羊との前に立っていた。
黙示録7:10 彼らは大声で叫んで言った。
 「救いは、御座にある私たちの神にあり、子羊にある。」
黙示録7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して
黙示録7:12言った。
「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと勢いが、
永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」
黙示録7:13 長老たちのひとりが、私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちはいったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。
黙示録7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそご存じです」。と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは大きな艱難から抜け出てきた者たちで、その衣を子羊の血で洗って、白くしたのです。
黙示録7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

 黙示録7:9を読むと、「大群衆」は天国にいるとすぐに分かる。これは天的な意味だ。天の玉座と子羊は天に居る。「大群衆」は玉座の前に立っている。
 黙示録7:11ではほかにも天的な生き物がいることが分かる。御使いと長老と四つの生き物だ。これらは黙示録の中では常に天的被造物として語られている。彼らの役割に気が付く。天の玉座に跪き、神を礼拝した。
 黙示録7:13では強い質問が示されている。この白い衣を着ている人たちはだれか。どこから来たのか」。これが地的な場面としたら、とぼけた質問である。
 長老が「大群衆」はどこから来たのかを知りたがった理由は、「大群衆」がその領土では知られていなかった者たちだったからだ。これが地上の場面だったのなら、その質問に対する答えは「ニューヨーク」とか「東京」になるはずだ。
 しかし、黙示録7:14にある答えを見なさい。「彼らは大きな艱難を抜け出てきた者たちであって」。彼らは地的な聖徒であり、彼らも天に行く。しかし艱難をくぐり抜けなければならない。艱難が始まった後にキリストを受け入れたからだ。
 その彼らの救いに目を向けなさい。黙示録7:14には、この群れはその衣を子羊の血で洗い、白くしたと書かれている。
 群れは救いのためには組織を信じてはいなかった。救いのためにキリストを受け入れた!! 黙示録7:14では、群れは玉座の前に居て、宮で「昼も夜も」神に奉仕すると書かれている。群れは天的な民だ。群れは眠らない。地的な民は眠る。しかし「大群衆」は「昼も夜も」眠る必要はなく、宮で仕える。黙示録7:15によると、群れは神の宮で昼も夜も神に奉仕をする。
 それは、エホバの証人のギリシア語逐語訳聖書で調べられる。宮に相当するギリシア語は神の聖所である。神はどこに住んでいるのか。神は天国と呼ばれる所に住み、そこに生き、滞在する。はっきりしている。「大群衆」は天に居る。
 
質問3:エホバの証人は「大群衆」が地上に生きるという偽りを教えていますね。確かにそう思えるのです!!
 
 そして、次の質問4は「大群衆」が地上で生きるという証人の信仰を根底から覆す。

質問4:黙示録19:1によると「「大群衆」は天にいる」と言っているのに、なぜものみの塔は「大群衆」が地上に生きると言っているのでしょう。

 黙示録19:1の御言葉に注目しなさい。「大群衆」が常に住んでいる場所を特定している。

黙示録19:1 この後 私は、天に「大群衆」の大きい声のようなものがこう言うの
を聞いた。
「ハレルヤ、救い、栄光、力は、われらの神のもの。

 間違いない。聖書の「大群衆」は天に住む。私は30年間、エホバの証人だった。そして一度たりとも黙示録19:1のこの聖句を読んではいなかった! どうして「大群衆」は地的な群れだと言えるのか。
 「大群衆」が地上に生きるとする聖書は一つとしてない。それはとても興味を引く。正反対の御言葉「天の「大群衆」が大きな声で」が見つかる。
 これほど分かりやすい聖句はない!! この聖句だけで「大群衆」のメンバーであるエホバの証人を組織から離れさせるに十分である。人を邪悪にさせる重大な教義がある。それはエホバの証人の99%に深く関わっているからだ。
 1935年、アル中だったものみの塔の二代目会長、ラザフォード判事は、エホバの証人の大多数は地上で生きると決めた。そのときからエホバの証人は偽りの中で生活をしてきた。「大群衆」はいつになったら目ざめるだろう。エホバの証人の群衆はいつになったら最終的によみがえり、それで十分だと言えるのだろうか。
 ものみの塔はイエスを通した救いを「大群衆」から奪ってきた。ものみの塔に地上の家を与えてきたがそれは真っ赤な嘘だ。ものみの塔は「大群衆」を死んだ民にしてきた。神から見ればエホバの証人は死んでいる。
 ここで読者はなぜ私がエホバの証人を辞めなければならなかったのかがおそらくは分かってくるだろう。実際はものみの塔は、私も、私の妻も、家族も神から永遠に引き離す運命に陥らせていた。決断しなければならなかった――組織と邪悪な関係を続けるのか、または神と聖書にかなった生き方をするのか。
 ありきたりな問いかけかもしれない。それはなぜエホバの証人を辞めなければならなかったかを父に説明した後に父が私に語った言葉であった(父はその後、私を勘当した)。それが多くのエホバの証人の信仰でもあるのだ! 読者がその信仰を信じるならもう何も申し上げられない。迷い道を歩きなさい。成り行きに任せなさい。
しかし、目ざめさせられましたなどとは、言いなさんな。
 一方、真理を愛する者なら、あなたと家族の運命を決められる。もし、本当に、神の尊い御子、イエス・キリストを通して聖書の神に奉仕を始めるとき、神はあなたを豊かに祝福してくれるのだろうか。
 それには答えられない。しかしここで休んで考えてみよう。これは間違った道から神が私たちを跪かせるためにもたらされた十分な情報であるに違いない。
 が、友人たちに知らせたいことはこれで終わりではない。まだ終わっていない。前へ進もう!!
 


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