●アジアの人々の指導者にならねばならないと思い上がった使命感を燃やした軍国少年。
●憲法前文が「崇高な理想と目的を達成すること」を世界中の人に「誓ふ」と言い切っていることに感動。
●再び戦前の「暗い谷間の時代」に逆戻りしているという危機感。
憲法制定時の精神をふまえた判断を。

「テロ特措法・海外派兵は違憲」 市民訴訟 第二回口頭弁論

原告 東 幸一郎 さんの意見陳述

12月25日 さいたま地裁第4民事部法廷

 2002年12月25日、さいたま地裁で、テロ特措法・海外派兵違憲訴訟の第二回口頭弁論が開かれました。
 第一回の原告団長 尾形 憲さん橘 紀子さんに引き続き、第二回口頭弁論で原告陳述を行った東 幸一郎さんの意見陳述を紹介いたします。

 第二回口頭弁論では、まだ2回目の法廷で、実質の審理など行われていないにもかかわらず、裁判長が3月結審をほのめかすなど、国・政府と一体となった官僚的・強権的な態度を見せています。
 是非一人でも多くの人が原告になってください。この裁判の意義をより広く訴え運動を強化することにより、憲法の番人としての裁判所に、責任ある判断を要求していきましょう。

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原告 東 幸一郎 さんの意見陳述
(見出しはピース・ニュース)


日本軍占領下の北京で少年時代を過ごした。
アジアの人々の指導者にならねばならないと思い上がった使命感を燃やした軍国少年。

 私はもと都立高校教員です。原告になった動機と裁判所への要望を申し述べます。
 私は1927(昭和2)年、中国東北のハルビンで生まれ、日中全面戦争からアジア太平洋戦争の時期には、日本軍占領下の北京で少年時代を過ごしました。小学校に入ったのは日本が国際連盟を脱退した翌年の1934(昭和9)年で、教科書は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」に代表される第4期国定教科書でした。
 この教科書で学んだ世代は、日本は現人神である天皇が治める国で、日本がやることはすべて正しいと信じ、日本が始めた戦争に対して、こんな戦争をしてよいのかとか、果たしてこれがアジアの解放や日本国民の幸福になるのだろうかなどと、日本がやっていることを批判的乃至は客観的にとらえる眼は全く育つことなく成長し、敗戦に至りました。
 例えば、日中戦争は東亜新秩序建設のための「事変」、米英とも戦うようになると、アジアを解放し大東亜共栄圏を建設するための聖戦である。日本は中国と戦っているのではない、蒋介石や中国共産党が、米英ソの援助を得て聖戦を妨害し、民衆を苦しめているから、これを撃破しているのだなどと教わりました。
 しかし、中国の街に住んでいるのですから中国の学生や民衆が、日本軍や日本人に強い敵意を抱いていることは、しばしば見聞します。このように教わることと、現実との矛盾を先生に尋ねると、「それは日本の真意が中国人にまだ理解されない過渡期だからだ。お前たちは、中国人と接しているのだから、指導しなくてはならない」などと言われ、中国の学生や民衆がなぜ、日本人を嫌うのかということを深く考えることなく、より一層、アジアの人々の指導者にならねばならないと思い上がった使命感を燃やし、日本の敗色が濃くなると「戦局挽回のために若人よ起て!」との呼びかけに応じ16歳で海軍の予科練を志願し1年5ヶ月の軍隊生活を送った軍国少年でした。

「生徒たちの血を戦争で一滴たりとも流させてなるものか!」との思いで、教員生活。

 敗戦後、あの戦争は中国にとっては抵抗するのが当然の侵略戦争であり、2000万以上のアジアの人々を殺し、日本国民も300万の犠牲者を出したことを学んで行くにつれて、目がさめる思いが致しました。
 平和憲法が公布されたとき、私は19歳の学生でした。学校の寮で仲間たちと憲法が話題になったとき、前文の結びが「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と世界中の人に「誓ふ」と言い切っていることに感動したのをおぼえています。新しい日本が出発するんだといった若々しさのようなものを、そこに感じたからでしょう。
 けれども、日本はもう永久に戦争はしない、だから武力は一切もたないという第9条については、もう戦争はこりごりだから当たり前と感じていたのか、特に記憶に残っていることはありません。アメリカの占領政策が変わり、1950年代に入って政府・与党が憲法を曲解させて事実上の軍隊を作り、次第に増強させて行く、それに対し再軍備反対、軍国主義復活反対、軍事基地反対等々の運動がおこる。一方戦争責任の問題も論議されるようになる――そうした運動に参加したり、かつての戦争とそのあとしまつの問題を考える中で、私は平和憲法、とくに第9条の重要な意義を理解し共感するようになっていったと言えます。少々気負った言い方になりますが、教員になってからは、生徒たちの血を戦争で一滴たりとも流させてなるものか!といった思いで、教員生活を続けました。

教育基本法の全面見直しは国家のために進んで戦争に行く人間をつくることがねらい。
再び戦前の「暗い谷間の時代」に逆戻りしているという危機感。


 しかし、その後憲法の空洞化が進み、とくに1997年の日米新ガイドライン成立以後は、憲法の精神に反する悪法が矢つぎ早に成立し、周辺事態法、テロ特措法、そして自衛隊を派兵し、米軍に加担して参戦するに至って、私たちは提訴することを決めました。
 さらに現在、政府は国内の戦時体制をととのえる有事法制の成立をめざしており、文部科学省は教育の憲法ともいうべき教育基本法の全面見直しを進めています。ここ数年の教育の諸政策と合わせて考えると、これは有事に備えた人づくり、つまり、少年時代の私のように、国家のために進んで戦争に行く人間をつくることが重要なねらいであろうと考えます。
 このように今の日本は平和憲法の精神に全く逆行する道を進み、いつの間にか「戦後」は終わって、再び戦前の「暗い谷間の時代」に逆戻りしているという危機感をおぼえます。
 私はいささか現代史を勉強してきまして20代から30代に入った頃、仲間と一緒に当時40代から60代の中国研究者や歴史学者を訪ね、1925年の治安維持法成立から、山東出兵、満州事変と満州国、京大事件、日中戦争等々について、当時どのようにお考えになったかをうかがったことがあります。どなたも進歩的な学者でしたから仲間と将来を心配し合ったことを語って下さったのですが、まさか、最後は世界中の国を相手に戦争するとまでは予想できなかった、また、いつの間にか、お互いに何もいえない状況になっていたということを語っておられました。これは現在の大きな教訓ではないかと思います。申のべましたように、私は今や2度目の戦前がきたと思うのですが、かつての戦前とは違います。悲劇の再来をくいとめようと考えている人は、平和憲法の立場に立ってさまざまな運動を展開しています。私は憲法の番人である裁判所に、テロ特措法と自衛隊海外派兵は憲法違反との判断をして貰うことが、平和憲法に全く逆行する今の事態に、大きな歯止めになると考え、提訴に参加致しました。

憲法制定時の精神をふまえた判断を。

 憲法上の解釈や判断にあたっては、立法時の精神に基づいて解釈し判断することが、いちばん大切であろうと存じます。
 訴状の最後で述べているように、危機に瀕しているのは、憲法第九条だけでなく立憲主義そのものです。どうか審理を尽くし、憲法制定時の精神をふまえ、憲法の番人としての責務を全うした判断を下すことを、切に要望致します。