文字の学びはじめから、世界に誇れる日本国憲法の理念、国際平和主義、民主主義、主権在民主義の思想の中に生きてきたことを、とても幸せなことだと思う。
●5歳だった私は宇都宮市で被災して焼夷弾の音に怯えながら逃げ、生き延びました。
●今日本が行っているアフガンへの無差別殺戮の参戦行為に反対しなければ、私も非人道戦争行為を肯定していることになる。
●戦争への危機感に突き動かされて「裁判で問いませんか」と思わず発言。
 

「テロ特措法・海外派兵は違憲」 市民訴訟 第一回口頭弁論

原告 橘 紀子 さんの意見陳述

10月30日 さいたま地裁第4民事部法廷

 前回の原告団長 尾形 憲さんの意見陳述の紹介に引き続き、今回は第一回口頭弁論で2人目の原告陳述を行った橘 紀子さんの意見陳述を紹介いたします。(本文中に一部誤りがあり訂正いたしました。お詫びいたします12.18)

 市民訴訟の会では、更に多くの原告を集めて、この訴訟を闘おうとしています。是非一人でも多くの人が原告になってください。あなたの平和への思いを、原告になることで国・政府に訴えてゆきましょう。

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原告 橘 紀子 さんの意見陳述
(見出しはピース・ニュース)


日本国憲法が施行された年に小学校入学。憲法の理念の中に生きてきたことをとても幸せに思う。

 私は、1947年3月31日施行の教育基本法、4月1日施行の学校教育法の基で新学制による第1回目の小学校1年生として入学し、その年の5月3日に日本国憲法が施行されています。物心のつく、文字の学びはじめから、世界に誇れる日本国憲法の理念、国際平和主義、民主主義、主権在民主義の思想の中に生きてきたことを、私はとても幸せなことだと、今も心から思い続けています。
 6年生になったある時期、私は毎晩両親に「原爆落とさないよね、原爆落とさないよね」と聞いていたことがありました。2、3日過ぎた頃、父から「6年生にもなって何を言っているんだ!! 今日本は戦争していないだろう!!」と強い語調でしかられました。が、私は静かな夜になるとブーンと飛ぶ民間飛行機の音が恐怖で恐怖で床の中で身と心を竦めていたのです。その頃学校で観た新藤兼人製作監督の『原爆の子』の映像が脳裏から離れられない中で、父は今日本は戦争していないと言うが、その頃は劇映画の前にニュース映画を上映していましたが、それはいつも朝鮮戦争の兵士の戦闘映像だったのです。6年生にもなれば、隣の国朝鮮の戦争映像であることは理解していましたが、思考とは別で心身が本当に恐怖していたのです。

5歳のとき焼夷弾に怯えながら逃げた。今、アフガンへの参戦行為に反対しなければ、私も非人道戦争行為を肯定していることになる。


 2002年の現在、世界的な紛争危機の中で日本が、参戦状態にあることを、私は非常に重く深く心配しています。今日本は、アメリカの世界の権益獲得の世界戦略に取り込まれ、追従して人殺しの手伝いをしています。
 長い間、大国間の権益獲得のための戦禍の歴史に翻弄され、苦しみ続けてきたアフガンの民衆や、全くなんの罪もない子どもたちの頭上から無差別に爆弾を落とす、非人道行為に日本は今、加担しているのです。
 第2次大戦敗戦の1ヶ月前の7月12日の夜、5歳だった私は宇都宮市の中心部に自宅があったため、被災して焼夷弾が「シゥーッ」と落ちてくる音に怯えながら逃げ、生き延びました。宇都宮市の中心部住宅地の32.4%が消失したそうですが、あの時5歳だった被災者の私も、大人になった今第2次大戦の日本の侵略・加害責任はもとより、原爆など戦争犠牲者への責任も免れることは出来ないと考えます。
 今日本が行っているアフガンへの無差別殺戮の参戦行為に反対しなければ、私も非人道戦争行為を肯定していることになります。

戦争への危機感に突き動かされ、思い余って、ある平和集会で「裁判で問いませんか」と発言。

 「テロ特措法」が成立しそうな時、私は病後でまだ単独歩行が不安な左半身まひの身体で杖をついて、以前から知り合いの、議員立法などかなり手がけている法律に詳しい弁護士の国会議員に直接お会いして、テロ特措法の問題点を訴え、廃案にするよう嘆願しましたが、権力構造へ目の向いてしまった議員は、慇懃に対応しましたが、私の意見とは異なる立場の人になっていました。この時期、私は戦争への危機感に突き動かされて、出来うるかぎり、この参戦法に反対の意思を表す行動に参加しましたが、結果はむなしかった。思い余って、ある平和集会で「裁判で問いませんか」と思わず発言していました。

まともな審議もせぬまま可決された「テロ特別措置法」−国民として羞恥と絶望と憤り。

 21世紀の現在、人類は環境問題ひとつ考えても抜き差しならない地球規模の危機の中にあります。人間同士の殺し合いをしている時ではないのです。また、核を持ってしまった人類は、有史以来の全生命の危機の責任の中で生きているのです。
 私はこの場をお借りして、すべての政治家に語りかけをさせていただきます。政治の要諦は、国民一人ひとりの生命を平穏な生活の中で全うさせることにある、と。
 憲法違反・各種の国際法違反である「テロ特別措置法」と「その関連法」は、実質審議10日という驚くべき、まともな審議もせぬまま多数決の原理で可決してしまったにもかかわらず、「不信任案」さえ提出されませんでした。
 立法府(国会)は、全く正常に機能していませんでした。私は、日本のこの国会の有様に、国民として羞恥と絶望と憤りを覚えました。「統治行為論」の前で、統治の主権者である私(たち)は、この国会の現実に重い責任を感じて、テロ特別措置法とその関連法・この法の基による人道への罪、殺戮加担行為が日本国憲法違反であり、各種の国際法違反であることについて、違憲立法審査権を持たれる裁判官の皆さまに訴状を持って、心からお訴えいたします。

人類は9・11の原因究明を本気でしたでしょうか。人権を基盤に平和共存を本気で模索しているでしょうか。憲法第九条を持つ国、日本はこのことをこそ、世界にメッセージし行動する責任がある

 世界の100ヶ国以上の人びとが参加した99年の平和アピール市民会議「21世紀の平和と正義」のためのハーグ・アジェンダの中で、悲惨な被爆体験国日本の切実な反戦の願いから生まれた日本国憲法の九条が各国に戦争をさせないための平和の指針として採択されましたが、日本国憲法が、国家暴力・戦争を許さない人間の安全保障、世界の平和共存の羅針盤となるよう、訴状に込めた私たちの平和への願い、日本国憲法前文・条文の理念に基づいて、黎明なるご判決を裁判官の皆さまに心奥よりお願い申し上げます。
 人権を考えるとき、再考箇所・有りながらも、人権思想を基盤とする日本国憲法の理念こそ、ますます複雑になるであろう国際紛争を回避するための、また、地球全人類の平和建設のための揺るがぬ真理であると、私は確信しています。
 人権は相互の関係性の中にあります。人類は9・11の原因究明を本気でしたでしょうか。人権を基盤に平和共存を本気で模索しているでしょうか。
 憲法第九条を持つ国、日本はこのことをこそ、世界にメッセージし行動する責任があると、私は訴えさせていただきます。

争いのあるところに一致を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇のあるところに光を
悲しみのあるところには喜びを


〜マザー・テレサの愛した祈りより〜