米軍住宅建設反対・池子の森を守れ・米軍小学校受け入れ反対を訴え

池子の森を守る 追加建設反対ウォーク!


  10月3日(日)「池子の森を守る会」などの呼びかけで「池子の森を守る 追加建設反対ウォーク!」が催されました。40名余りの参加者は逗子市役所から米軍池子住宅地区ゲート前まで2,5kmを歩きながら、市民に「米軍住宅建設反対」「池子の森を守れ」「米軍小学校受け入れ反対」を訴えました。さらにゲート前でアピール文を読み上げ、首相や米軍などへ送ることが確認されました。

戦後も米軍の弾薬庫・米軍住宅として使われてきた池子の森

 逗子市と一部横浜市にまたがる池子の森は、旧日本軍によって1938年弾薬庫として接収され戦後は米軍に引き継がれていきました。ベトナム戦争後、77年にはすべての弾薬も搬出され逗子市民は遊休地化した基地が返還されることを期待していました。

 ところが米軍と国は83年この地に米軍住宅1000戸の建設を発表、市長は市民の意思に反し受け入れを決めてしまったのです。市長の交代、市議会の解散など粘り強い戦いの続く一方で住宅建設工事は強行され、ついに94年今後一切の増設をしないことなどを条件に逗子市は854戸の建設を認め国・神奈川県と合意し文書を交わしました。


「池子の森」は横浜市と鎌倉市・逗子市の境にある

池子の森のフィールドワーク報告はこちら


国は地元との約束を破り米軍住宅の追加建設を米と合意


 しかし2003年国は池子の森の横浜市域に新たに800戸住宅建設を米軍と合意(その後700戸に削減)し、さらに逗子市域にはこれに伴う米軍小学校やトンネル建設を押し付けてきました。しかも引き換えに返還されることになっていた40haの土地は米軍との『共同使用』とされてしまいました。




米軍住宅:逗子市854戸、横浜市側700戸(
当面400戸)予定



沿道から多くの市民が声援

 歩いていると多くの市民が声援を送ってくれました。これまでの闘いの歴史と国の理不尽さへの抗議の意思を改めて感じさせられるものでした。今回は韓国から在韓米軍基地のもたらす問題と闘っている市民たちも参加されました。
 
 一緒に歩く人の数はまだ少ないけれど、続けて訴えていく中できっと大きな力になれる、そう感じさせられるピース・ウォークでした。

米軍池子住宅地正面ゲート前で抗議する参加者
手前は京浜急行線路