[投稿] 証言報告

戦争体験者の証言「私を侵略戦争に突き進ませたもの」を聞いて


 5月29日、横浜で「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」神奈川支部(注1)主催の戦争体験者の証言集会が開かれた。
 
 松本好栄さん(88歳)は1943年に入隊し衛生兵としての訓練を受けた後、中国山西省に派遣された。ここで終戦を迎え、翌年帰国した。軍隊生活での凄まじい体験と、そのような兵士がなぜ作られたかについて語ってくださった。以下要約する。



中国山西省での経験を語る松本好栄さん

 中国人は「消耗品」の兵士よりも軽い、なぐさみものだった

 大日本帝国憲法下での国民の三大義務は教育、納税、兵役だった。教育は天皇の臣民として国民を育てることを目的とし、教育勅語が何よりも尊ばれた。兵士として入営すると「初年兵教育」が行われ軍人勅諭─「死は鴻毛よりも軽し」が叩き込まれた。兵士は消耗品だった。

 中国人は兵士よりも軽い、なぐさみものだった。精神的な快感さえおぼえながら兵士たちは蛮行に走った。スパイの疑いの農民を拷問したり、地雷原を歩かせたりしているのも目撃した。

 派遣された孟県の連隊本部には7名の朝鮮人慰安婦がいて、衛生兵として彼女たちの検査などにあたった。スパイの疑いの村を襲った歩兵が逃げ遅れた女性たちを強姦したときには、彼女らの性病検査を行った。感情の動きもなく、仕事として行った。蛮行が始まると隊長でも止められない。日本軍にはモラルがなかった。

 終戦後は兵役前に炭鉱労働者だったので先に帰国させられ、残留戦争(注2)は体験せずにすんだ。

 天皇制国家とは天皇とそれに従う臣民で構成され、「八紘一宇」のスローガンのもとその他の民族はさらに目下のものとみなされた。

 戦後、天皇制は変わったのか?

 終戦の詔勅では「国体の護持」が強調され、1946年年頭にあたっての詔(一般に天皇の人間宣言といわれている)では明治天皇の五カ条の御誓文をもとにした新しい国づくりが唱えられている。新しい万世一系であって天皇中心であることは変わっていない。紀元節の復活、元号制定、昭和の日制定、大嘗祭・・・天皇制は継続している。

 戦争中の日本人には人間観─人間とは何ぞやという考え方があったんだろうか?中国人に対し同じ人間とは見ていなかった。今はどうだろうか?今また戦争の時代に歩もうとしているのではないか?


 過去の過ちを検証することが未来を作るという信念から、松本さんは隠しておきたい体験をさらけ出してくださった。慰安婦や中国人への暴行を目の当たりにしても何も感じない、そんな兵士をまた送り出してはいけない。戦争をする国に戻ってはいけない。戦争体験者の必死の言葉を広く伝えたい。
Y.A.
(注1)
「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」 日中戦争中の戦争犯罪者として撫順戦犯管理所と太原戦犯管理所に収容された日本兵1000名余りが中国の人道的な扱いの中で自分の罪を認め謝罪の心を持つことができた。彼らが帰国後作った「中国帰還者連絡会」の精神を受け継ぎ反戦平和と日中友好のために活動している会。全国に支部がある。
 http://kanagawa.uketugu.org/

(注2)

「残留戦争」  中国山西省で第二次大戦終了後、日本軍兵士2600名が軍命により国民党軍に編入されて共産軍と戦った。
参考資料 「『山西残留』は軍命であった」─山西省残留体験者の証言を聞いて」
http://www.jca.apc.org/~p-news/fw/sansei_zanryu100325.htm