[投稿] 証言報告

「『山西残留』は軍命であった」─「山西省残留」体験者(元日本兵)の証言を聞いて


「蟻の兵隊」 − 最後の闘い

 映画「蟻の兵隊」(注1)で一部の人には知られたものの、まだ多くの日本人は「山西残留」について無知である。元兵士たちは高齢で時間はあまり残されていない。彼らは最後の闘いとして、「山西残留」が軍命であったことを認めるよう国に対して要求する署名を集め政府に訴えようとしている。

 3月13,14日に「撫順の奇蹟を受け継ぐ会神奈川支部」(注2)主催の元日本兵の方による証言集会が横浜で開かれた。元山西残留兵だった稲葉績さんによる13日の証言を報告したい。この記事を読まれた方が彼らを応援してくださることを強く願う。


満州朝顔
戦犯管理所に咲いていたこの花は
日中友好の証として帰国者に持ち帰られ
日本でも花開いている


 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した。これにより日本軍は完全に武装解除された。ところが中国山西省に駐留していた北支派遣軍第一軍は違っていた。軍隊はそのまま継続し、大規模な戦闘こそなくなったが武装したまま鉄道警備等にも出動していく日常だった。それでもみんな復員の日を待ち望んでいた。
 翌年2月司令部に将校が集められた。そこで澄田司令官から命じられたのは三分の一の兵士の残留であった。



日本軍山西残留部隊
映画「蟻の兵隊」のHPより


戦犯訴追逃れのために部隊兵士を「売軍」

 当時山西省は閻錫山(えんしゃくざん)率いる国民党軍が支配し日本軍もこれに降伏した形であった。ところが八路軍(中国共産党軍)が西から勢力を拡大し、追い込まれた閻は澄田司令官はじめ戦犯容疑のある上層部の無事帰国と引き換えに一部兵士を残留させ共産軍と戦わせようとした。司令官等はこの条件にのり、破廉恥極まりない「売軍」が成立したのだ。最終的には5万余りの軍から指名された2600名が特務団として内戦の中に放り込まれ「戦死」、あるいは「捕虜」となって数年後復員した。


「棄民」とされてしまった元兵士たち

 特務団の結成にあたり澄田司令官は「本土はアメリカにおさえられているからこの山西を日本軍復興の足場としよう」と語ったという。しかし彼は兵士を残しアメリカ軍の飛行機で帰国し、国会で「残留兵士は勝手に残った逃亡兵である」と証言した。この言葉により、ようやく復員したにもかかわらず、元兵士たちは軍人恩給の支給すらない「棄民」とされてしまった。

 今回証言していただいた稲葉績さんは最年少の将校として名指しで残留させられ、太原戦犯管理所に収容されて56年起訴免除となり帰国できた方である。
 43年秋繰上げ卒業とともに学徒出陣された稲葉さんは現在86歳、仲間が倒れられるなか何としても真実を伝えたいと語ってくださった。


人間性をなくして鬼にする -  初年兵教育

 生い立ちから始まり、皇軍で何を行ったか、残留軍のいきさつ、太原戦犯管理所での生活と語られる言葉は本当に重かった。

 皇軍では初年兵教育として中国人の捕虜を殺害させていた。軍隊では人を殺したことのない兵隊は使いものにならない、とされていた。人間性をなくして鬼にすることが初年兵教育だったのだ。行軍中、荒野にところどころ白い塊が見えたので塩の山かと思って近づくと人骨だったという。三光作戦(注3)の跡だった。

 残留軍には「山西で兵力を温存して日本の反攻を待て」という命令とともに最新の軍備、中国の銀貨が大量に渡された。澄田司令官は「援軍を要請しに行く」と言い残して帰国した。自分たちはさっさと逃げ、都合の悪い命令は自分が下しておきながらも一切認めない。皇軍の司令官、元帥に共通するこの行動には何と言ったらいいんだろうか。もはや人ではない。

 太原戦犯管理所ではどうせ殺されるのだからと反抗を続けたそうだ。3,4年たってようやく自分の行為をふり返り始めたが、最初は「おれたちは一銭五厘で集められて上層部の命令でやっただけ」と考えていた。それが職員とのやり取りの中でだんだん罪を認め、さらに謝罪へと変わっていった。やっと鬼から人へ変われたという。


元兵士たちの要請に耳を傾けない日本政府・裁判所

 「残留兵士は勝手に残った逃亡兵」とされたのは、軍命となれば明白なポツダム宣言違反だからである。日本政府は56年の澄田司令官や山岡参謀長の言葉だけを受け入れ、元兵士たちの再三の要請にも一切耳を傾けず、裁判所も事実を認めようとしない。

 「私たちは軍人恩給がほしいとか靖国へ祀ってほしいとかではない。皇軍の、日本の行ったことを認めてほしい。日本軍の犯罪性をきちんと暴いてこそ平和国家がつくられる」と稲葉さんは訴えられた。

Y.A.
(注1)
映画「蟻の兵隊」 元山西残留兵士たちが国を相手に軍人恩給交付を求めて起こした裁判の原告奥村和一さんと中国・国内を訪ねながら日本軍の実態を暴き、山西残留の真相を解明しようとするドキュメンタリー。PNでも紹介された。DVD発売中。
映画公式サイト
http://www.arinoheitai.com/index.html

PN紹介記事
http://www.jca.apc.org/~p-news/bunka/the_ants.htm

(注2)
「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」 日中戦争中の戦争犯罪者として撫順戦犯管理所と太原戦犯管理所に収容された日本兵1000名余りが中国の人道的な扱いの中で自分の罪を認め謝罪の心を持つことができた。彼らが帰国後作った「中国帰還者連絡会」の精神を受け継ぎ反戦平和と日中友好のために活動している会。全国に支部がある。
 http://kanagawa.uketugu.org/

(注3)
三光作戦  日中戦争時抗日ゲリラ対策に日本軍が行った根絶作戦の中国からの呼び名。日本では燼滅作戦と呼ばれた。三光とは殺光・焼光・搶光をさし、それぞれ殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くすの意味である。