フィールドワーク報告

2010新春フィールドワーク
 旧陸軍登戸研究所(その2)
(神奈川県川崎市)

本記事は当日の説明と
参考文献(末尾参照)をもとにまとめました。
文責ピース・ニュース


 
 その1に続き、沖縄平和ネットワーク首都圏の会(注1)主催で行われた旧陸軍登戸研究所のフィールドワークの内容を報告する。

 

(注1) 沖縄平和ネットワーク首都圏の会:「沖縄平和ネットワーク」は学習活動を基本に、修学旅行などの平和ガイド、戦争遺跡の保存・活用運動に取り組んできた市民グループ。沖縄に関する学習会や戦跡・米軍基地などのフィールドワークを行っている。


極秘の登戸研究所のなかでも、特に秘密にされた偽札造り

 
 陸軍マークの消火栓、第1科の建物があったところ(現在の明大の図書館)から南方向に少し進むと、いかにも古びた木造の建物がある。これは第3科の5号棟である。この周辺は高さ3メートルの木製の塀に囲まれていて、研究所内部でも更に秘密にされていたそうである。

 第5号棟は中華民国国民政府(蒋介石政権)の紙幣(法幣)を偽造するための製版・印刷工場であった。香港にあった国民政府の造幣所から印刷用の原版を奪ってここで印刷したのである。


偽札の製版・印刷工場だった5号棟


戦時物資調達だけでなく紙幣を大量に持ち込み
インフレによる経済的混乱を狙った


 偽造した紙幣は、中国現地での戦争物資の調達や親日分子を作るための買収に使われたと考えられる。しかしそれだけでなく、偽札を大量に持ち込み使用することで、国民政府紙幣の価値を下落させインフレによる経済混乱を狙った。

 武力による侵略だけでなく、こうした経済戦・政治戦も行われ登戸研究所はその一翼を担ったことになる。

生物化学兵器の開発も行われた

 第3科のすぐそばには第2科があった。ここでは生物化学兵器の開発が行われた。アメリカのトウモロコシ、ジャガイモ、小麦などに対する枯葉剤の研究、中国の穀物に対する生物兵器の研究、風船爆弾に積んでアメリカの牛を殺すための牛疫ウイルスの研究などが行われた。


現存する第2科の建物

実験室のため内部には排水溝や排気設備がある

 ここで開発された枯葉剤は1941年に中国の常徳、桃源で稲などを枯らすために大量に散布された。

 枯葉剤はアメリカがベトナム戦争で大量に使用し、現在でもその後遺症が問題になっているが、アメリカの専売特許ではなかったのである。

 木造の実験室の西南にはコンクリート作りの36号棟がある。この建物は後述する「登戸研究所展示資料館」として利用するため2010年1月現在準備が行われている。

コンクリート作りだった第2科36号棟


弾薬庫


 36号棟のすぐそばには弾薬庫がある。
 
 第2科では謀略戦のための武器、スパイ用の道具なども開発していた。この弾薬庫はそのような開発で作られた缶詰爆弾、かばん型カメラ、爆弾、蛇毒などを入れた注射器、毒入りチョコレートなどが保管されていた。


空襲を受けず残された登戸研究所 - 技術は朝鮮戦争等で米軍により利用された

 太平洋戦争末期には東京、横浜、川崎などは徹底的な空襲を受けた。川崎近郊の登戸も空襲を受けたが、そこからわずか2Kmたらずの登戸研究所は機銃掃射があった程度で、なぜか本格的な空襲は受けていない。

 戦後、GGQは登戸研究所を接収し、その中枢の人々を尋問した。米は「満州」の731部隊関係者と同様に、戦犯として訴追しないことを条件に、登戸研究所での研究内容や技術を入手した。

 偽札作りをしていた人々は、朝鮮戦争時には横須賀基地で米軍に技術協力をして北朝鮮の偽軍隊手帳、中華人民共和国の偽書類などを作ったとのことである。また高い技術を買われて、サンフランシスコの米軍基地で技術指導をしていたそうである。

 登戸研究所が空襲を受けなかったのはアメリカが戦後の技術確保を狙っていたからであろうか。


高校生・市民の手で歴史発掘・保存運動-2010年3月末に「登戸研究所展示資料館」開設

 このような登戸研究所の歴史発掘は1980年代後半から、市民や高校生の活動により行われてきた。

 1945年太平洋戦争末期にに登戸研究所が長野県駒ケ根市その他に疎開したため、登戸研究所の歴史発掘を通じて長野県赤穂高校と神奈川県法政二高の生徒の研究交流が行われたり、高校生の熱意ある聞き取りに、「君たち高校生だけには話しておきたい」という証言者が出るなど、市民と高校生の活動だからこそできた面も少なくない。

 こうした活動成果が明治大学内に「登戸研究所展示資料館」という形で残されることに結びついた。前述のコンクリート造りの実際の遺跡である36号棟がその資料館として使われる。

登戸研究所のシンボル的遺跡=5号棟(にせ札製造施設跡)保存の陳情署名にご協力を!

 明治大学は、登戸研究所のシンボル的な存在である木造の5号棟について、キャンパスの中心部に位置するということや、消防法上の制約から撤去することを決定している。

 これにたいして、「旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会」では川崎市議会に対して保存を求める陳情署名を行っている。

 過去の日本の戦争の実態をしっかり学び継承してゆくためにも、この史跡の保存は重要である。「登戸研究所保存の会」の陳情署名に是非ご協力をお願いしたい。署名の呼び掛けはこちら。署名用紙はこちら


[参加者の感想]
・ 新聞報道などで保存運動を目にすることはあったのですが、今回、初めて登戸研究所を見学し、老朽化した施設を見て改めてその重要さを実感しました。木造の5号棟は、このままでは朽ち果ててしまうし、撤去されてしまっては目にすることもできなくなります。将来にわたって保存できるように働き掛けが必要です。(M)

・ ピースニュース関西読者です。こちらでも登戸研究所見学会の様子を周りの人に伝えたところ、「動物慰霊碑」・「三笠宮と登戸研究所の軍人との写真」・「風船爆弾攻撃」・「偽札製造による経済・政治攻撃」などなど、想像を絶する侵略戦争の実態に、一同驚きを通りこして信じられない真実の一端を知ることができ大変勉強になりました。登戸研究所の1部疎開先の兵庫県山南町を一度訪ねて、調べてみたいと思いました。有り難うございました。(K)
[参考文献]
「旧陸軍登戸研究所見学のしおり」旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会 渡辺賢二
「あなたは旧陸軍登戸研究所を知っていますか?」旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会
「学び・調べ・考えよう フィールドワーク陸軍登戸研究所」姫田光義監修 旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会編