映画の紹介


 花はどこへいった ベトナム戦争のことを知っていますか
2007年 坂田雅子 製作/撮影/編集作品


このページに掲載した写真はいずれも映画パンフレットからのものです。




 パンフレット表紙より


  不勉強のそしりを免れないかも知れないが、この映画を見て米軍による枯葉剤散布の深刻な被害が、現在もなお発生し続けている事実を、私は初めて知った。ベトナム戦争当時に枯葉剤散布を直接受けた世代から見れば孫の世代、ベトナム戦争後に生まれた世代の子供たちに、現在も深刻な障害を持った子供たちが生まれているのである。子供たちは今、幼児から10歳代後半である。


 このドキュメンタリー映画を製作・撮影・編集したのは1948年生まれの坂田雅子である。彼女の初監督作品だという。彼女はアメリカ人の夫との死別をきっかけとして映画製作を決意し、アメリカの田舎町の写真学校で2週間のワークショップに参加してドキュメンタリー映画製作を学ぶ。そしてこの映画を作ったのである。映画は、彼女がこのドキュメンタリーを製作するきっかけとなった夫との死別を中心とした自伝的な部分と、ベトナムにおける枯葉剤被害の実相のドキュメンタリーが平行して進む。



グレッグと坂田雅子

 坂田雅子の夫、グレッグ・デイビスは1967年から70年までベトナム戦争に兵士として参戦したアメリカ人である。彼はベトナムからの帰還後、参戦した兵士に対する「赤ん坊殺し」などとの批判、一方で朝鮮戦争参戦者の右派からは「ヒッピーはたるんでいる」「何故もっとアカを殺さない」などの誹謗に精神的にダメージを受ける。祖国を見限り日本を訪れ新たな自分を模索する最中に、京都大学在学中の雅子と知り合う。その後、グレッグは反戦、反権力の立場を確実なものとして、ベトナムを含めアジアを中心としてフォト・ジャーナリストとしての優れた業績を上げる。しかし2003年春、グレッグは55歳の若さで肝臓ガンにより急逝する。夫の突然の死に雅子はその意味を問い始め、やがて夫の死がベトナム戦従軍時代の枯葉剤の影響であることを確信するようになる。彼女は、夫の死の原因とその意味を問い、夫の意思を継ぐためにドキュメント映画を製作したのである。


 雅子は夫妻の親友であり、グレッグと同じく、ベトナム戦争の枯葉剤被害を告発したフォト・ジャーナリストのフィリップ・ジョーンズの助けを借りながら、ベトナムで枯葉剤被害の実相の取材を敢行し、それをこの映画に結実させた。
ベトナム戦争時代、最も集中的に枯葉剤散布が行われたのは、北ベトナムからの民族解放戦線への補給ルートであったベトナムの中部高原地帯、クアンチ郡である。この周辺では1980年代から生まれた子供に異常が増え、現在でも重度の障害をもった子供が極めて高い確率で発生している。人口5673人のカム・ニア村で0歳から18歳の障害児の数は158人だという。映画の核心部分である、ベトナムでの枯葉剤被害の現在も続く実相は目を覆いたくなるほどのものである。


重い障害を持つド・ドク・ズエンと母親のホー・ティ・トゥ・フォン


妊娠早期の超音波検査で異常が発見され堕胎された胎児のサンプル

 しかし、雅子が捕らえるカメラの映像は、今も続く枯葉剤被害の恐るべき現実を伝えるだけではない。そうした被害を受けて生まれた子供を受け止め、育てる両親や兄弟たち家族の優しさや強さ、明るさなどをしっかりと捉えている。目を背けたくなるような異形の被害者と、彼らの世話する家族たちはともに優しく、明るく、たくましい。その姿は人間的であり美しい。


 この映画でインタビューに応じている人々は、自らの境遇やそれをもたらしたものに、直接的な怒りをぶつけたり、激昂して泣き叫んだりすることはしない。ただ淡々と日々の生活を語る。しかしその語るところは結局、アメリカが行った侵略戦争の底知れない残虐さと非人間性、そしてそれが数世代にもわたり長期に続いていることを深く告発するものである。抑圧し支配する側の人間にとっては、こうした現実は決して触れられたくない、隠し通しとおさなければならないものであり、彼らの恥部であり弱点である。

 グレッグと、そして今、坂田雅子が彼の意思を継いで始めた、現実を徹底して明らかにして告発する活動は、まちがいなく侵略戦争を推進する支配層に対する痛打になるであろう。

映画の公式サイトはこちら: http://www.cine.co.jp/hana-doko/

■坂田雅子による「花はどこへいった」完成までを綴った書き下ろしノンフィクションも出版されている。
「花はどこへいった 枯葉剤を浴びたグレッグの生と死」
 坂田雅子著 発行元:トランスビュー 価格: 1,890円(税込)
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