イラクでのエセ「民主」選挙の真実

米のイラク占領政策の泥沼的危機は「選挙」で何ら克服されない


占領軍即時撤退を求める

3・19/20反戦グローバル行動
に立ち上がろう!


この論評は各種インターネットサイトの情報や報道を元にピース・ニュースとして議論をしながらまとめました。(2005.3.2)

 
 1月30日に実施されたイラク「国民議会選挙」の確定結果が17日に発表された。それによると、定数275に対し、イスラム教シーア派の政党連合「統一イラク連合」が140議席を押え単独過半数に達し、2位の「クルド同盟」は75議席、アラウィ傀儡政府首相の「イラキヤ・リスト」は3位で40議席であった。「国民議会」は、8月までに新憲法の起草を行い、10月までには新憲法をめぐる「国民投票」を実施し、年内には新憲法に基づく「選挙」を実施してイラクに「正式」な政府を樹立するという。

 しかし、この「選挙」に対する「成功」とか「民主主義の勝利」だとかいう宣伝は「イラク大量破壊兵器保有」と同じウソである。世界に向けられた、ブッシュによる「イラク民主化」の装いは、自らの侵略を正当化するための、国際社会や国際世論に対するダマシの常套手段である。

1.「国民議会選挙」は民主主義とはかけ離れた不正義そのもの

 ブッシュは、米国とその軍事力が、あたかもイラクの「民主化」のプロセスの推進役・支援者であるかのようなウソをつくことによって、先制攻撃戦略による戦争=侵略戦争の罪を不問とし「正義」としようとしている。わたしたちは、「国民議会選挙」がいかに「選挙」とは言えない「選挙」であったのか、その実態と結果を暴き、米軍の侵略に立ち向かっているイラクの反米・反占領・民族解放闘争を闘う人々と連帯し、ブッシュの侵略主義を挫折に追い込んでいきたい。

「選挙」を強行するためにファルージャでは大虐殺が行われた

 昨年11月米大統領選の結果が出るやいなや強行されたファルージャ大虐殺の暴挙は、今回の「国民議会選挙」が、非民主的なものであり、不当なものであることをもっとも露骨に表わしている。米軍はファルージャだけで少なくとも6000人を惨殺した。スンニ派を中心とする反米・反占領闘争に立ち上がる民衆を虐殺し、大量拘束したのである。

 このような、軍事弾圧の下で行われる選挙を民主選挙と呼ぶものがかつていたであろうか。「イラクの民主化」のために行う「選挙」がために、イラクの人々を殺すとは一体何ごとか。これだけとっても「選挙」がイラク国民のためのものでなかったことを十分うかがい知ることが出来るであろう。

 さらに、治安悪化を口実にアラウィは、非常事態宣言をクルド地域を除くイラク全土に発令し「選挙」までの反米・反占領のレジスタンスの自由を奪い去り、逆らうものに対しては、米軍に徹底弾圧の自由を与えたのである。イラクの人口の約20%を占めるスンニ派や反米・反占領・レジスタンス勢力は事実上「選挙」から排除されることとなった。

(参照) パンフレット「2004年11月:ファルージャの大虐殺」 http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/pamphlet_fallujah0411.htm

人口の20%を占めるスンニ派住民を排除した選挙

 ブッシュやアラウィは、「選挙」の日程通りの強行を主張しつつ、スンニ派が多くを占め、反米闘争が激しいバグダッド、ニネベ、アンバル、サラフディンの4州で、「投票が困難」と認識していた。これら中北部4州の人口は、バグダッド650万人など合計1127万人。イラク全18州の42%を占めている。ニネベ州では、予定された330カ所のうち、実際に開かれた投票所は93カ所にとどまった。ファルージャがあるアンバル州とニネベ州については、有権者登録すら出来ていなかった。

 当然、反占領のスンニ派主要勢力は、米国による占領下で実施される似非「選挙」を批判しボイコットの立場を明らかにしていた。バグダッド市内のアダミヤ、アミリヤ、サドルシティのような居住地区、ディアラ、バクーバ、アンバル、ファルージャ、サマッラで全面的ボイコットが記録されたと伝えられている。200万の住民によるものである。

投票率のウソ

 一方、ブッシュやアラウィは「選挙」の「投票率」の多い少ないで正当性をめぐる評価を与えようと腐心した。彼らはイラク国民をいろいろな方法で脅して選挙に参加させた。例えば、食料配給カードを受け取るための証明書類の発行(アラウィ政府発行する)を投票と関連させた。国連の食料計画が生き延びる唯一の手段となっているイラク人民に対し、投票しなければ食料もないと脅したのである。ボイコットを呼びかけていたイスラム聖職者協会の代表的人物に対しては、殺すという脅迫がき、実際にそのメンバー6人が暗殺され、また、サドル運動に加わる多数の人物が投獄され、選挙に参加するよう強制されたと伝えられている。

 投票直後、投票率は72%だったと世界に向けて発信された。ライス米国務長官は「期待以上」と述べ、ブッシュも「イラク国民にとって偉大な日」と述べて選挙の「成功」を国際世論に向けてアピールした。しかし、その後その数字は「60%近く」に変更され、結局58%だったと伝えられている。

 58%という数字自体にも問題がある。この数字は、約1400万人の「有権者」に対し約800万票を指している。しかし、まず「1400万人」は選挙登録をしたイラク人の人数であり、実際の「有権者数」1800万人とは違う。「800万票」も、投票用紙の買占めや、「死者投票」「一人で複数投票」などの不正が伝えられる中ではどこまでが真実か不明である。これらの情報だけでも投票率はゆうに50%を割っていたことになる。

(参照) 「食料と引き替えに投票しただけ」(ダール・ジャマイルのイラク速報 05年1月31日)http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005Vote_for_Food.html


「選挙」をするまえから当選者は決まっていた

 大勝が予想されたシーア派の統一会派「統一イラク連合」の比例選挙名簿の順位決定は米国と親米の旧亡命派とシーア派の野合によってなされたものだと言われている。「選挙」をする前から当選者の顔ぶれはほぼ決まっていたのである。しかも、その選挙候補者名簿は、「テロの標的になる」との口実で投票直前まで公表されていなかった。多くの投票者は誰に投票するのかわからない、誰が何を言っているのかわからないままに投票するに至っている。

 米軍の軍事的監視の下での選挙

 ブッシュの言う「民主化」のプロセス全てが、大規模な米軍の軍事占領下で進められようとしていることを見落としてはならない。ブッシュは、13日「米国と連合軍は、選挙実施を可能にした我々の役割に誇りを持っている」としてそのことを誇示している。選挙の前後の期間イラクは非常事態令下に置かれ、定められた時刻を過ぎてから外にいる者は、発見されれば、その場で撃たれると言う状況であった。空港や国境も封鎖され外部との行き来は途絶えた。道路も封鎖され、移動の自由も奪われた。反米反占領の集会や行動などもってのほかであったろう。これがブッシュの言う「自由」である。

選挙の国際監視はなかった

 さらに、この米国主導の「選挙」は第三者による監視がされていない。イラク国内に残る大使館職員などをかき集めて199名の「国際選挙監視団」を急遽作ったが、これも治安上の理由で投票所場の監視はほとんど行われず、事実上選挙の国際監視はなかった。

 そして、投票の直後から不正選挙の訴えがイラク各地で相次いだ。投票用紙が不足したというものから、投票妨害、偽造投票用紙、「死者が投票」「1人が5回投票」などの報道がされている。北部の少数民族トルクメン人政党はキリスト教政党と合同で2月6日、バグダットでデモ行進し選挙のやり直しを求めている。

(参照) 「国際監視団「199人」と強調 イラク選管」(アサヒ・コム 05年1月29日)http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200501290350.html
      「イラク選挙、不正の訴え続出 「死者投票」「1人5回」」(アサヒ・コム 05年2月9日)http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200502090287.html


「選挙」後も生きる米のイラク占領のための暫定憲法「イラク基本法」

 2004年3月に米国のイラク占領当局(CPA)がイラクに押付けた「イラク基本法」と呼ばれる暫定行政法がある。米のイラク占領支配の為の法律であり、例えば、その59条は、イラク軍は米軍の指令下にあることをうたっている。

 また、恒久憲法の成立の条件として、イラク全18州のうち16州で少なくとも有権者の3分の1の賛成票を得なければならないことを規定しているのも「イラク基本法」である。3州が拒否権を発動すれば恒久憲法は成立しないのだ。これは、米国がクルド人勢力を操ることで、恒久憲法の住民投票結果に対し拒否権を持つことを意味している。

 そしてこの「暫定憲法」=「イラク基本法」は、イラクで住民投票による恒久憲法が確定するまでは失効しないことになっている。「選挙」が終わった今でも効力を失っていないし、今後も米国が望む限り効力は失われず、イラクは米軍占領下で有り続けるのである。

 「イラク基本法」の3州の有権者の3分の2が拒否すればイラクの新憲法は成立しないという条項は、スンニ派アラブ人が多数のニネベ、アンバル、サラフディンの3州によっても拒否権が成立することを意味することとなった。イラクの新政府がどんなに米国に都合のいい新憲法を起草しようともスンニ派の拒否で成立しない可能性を生んでいる。「選挙」後、スンニ派取り込み・懐柔の動きが出ているのはこの様な背景にもよるのである。

国際的な公的債務削減計画は米国が主導――従わなければ債務は減らない――

 昨年11月に米国が主導して合意に達したパリクラブ合意というものがある。主要債権国はイラクに対する債権総額の80%を段階的に削減するというものである。30%は直ちにということになっているが、30%は政府がIMFの「自由化」プログラムに従うことが条件となっており、残りの20%はその達成具合を踏まえてということになっている。IMFの経済政策が、被援助国の国民の貧困や失業には無頓着で、投資国の投資家の利益を代表していることは周知のことである。

 「選挙」の結果いかんに関わらず、イラクは米国主導の植民地的な支配を受けることと引き換えに、債務の削減を獲得できるという仕組みになっているのだ。

(参照) 「対イラク債権、3段階で80%削減 主要債権国会議合意」(アサヒ・コム05年11月22日)   http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200411220081.html

2.「選挙」によってもブッシュの占領政策の危機は深化するばかり

イスラム国家化やイスラム自治権、外国軍の撤退期日を求める動きが出ている

 「選挙」の結果発言力を増した、シーア派勢力がどこまでブッシュに対して従順であるかは未知数である。圧勝を確認するや、シーア派のリーダーのシスターニ派と見られる聖職者の一部が、イスラム教を新しい憲法の唯一の立法の根源とすべきであるというイスラム原理主義的要求を掲げ始めた。シーア派の有力聖職者は「イラク人民の大多数は国会が永続的な憲法の法的根源をイスラム教とすることを望み、イスラム教に逆らうどのような法も拒否することを望む」と声明を発した。イラク南部にシーア派自治行政圏を建設しようという動きも出てきているという。イラクを恒久的に米国の支配下におくというのではなく、米国の支配からは独立したイスラム原理の主導下におこうということである。これは、イラクの植民地支配を意図する米国にとって絶対に避けたい路線といえる。

 シーア派で反米反占領武装闘争を闘いつづけてきたサドル師派は、「選挙」が終わるまで沈黙を守ってきたが、「選挙」がおわるや、「選挙」の批判を公然と語り始めた。また、シーア派各層から占領軍の撤退期限の明示要求が出ている。シーア派グループは、新憲法草案起草にあたって、スンニ派の取り込みを模索しているが、スンニ派サイドは反米反占領武装闘争のエネルギーを持続しているうえ、イスラム聖職者協会(スンニ派)は、占領軍の撤退スケジュールが明確化されることを新憲法の草案起草への協力の必須条件としている。

(参照) 「イラクシーア派リーダ達は法の根源にイスラムを要求する」(World - AFP 05年05年2月6日)http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story2&u=/afp/20050206/wl_afp/iraqvotereligion

シーア派が、親米になっても反米になっても、どっちに転んでもブッシュの危機は深化する

 「選挙」結果がはっきりしてきて以降、これまでにも増してシーア派住民を狙った自爆攻撃などが多発している。シーア派の新政府勢力は@反米反占領の武装闘争を主導するスンニ派やイラク住民の意向に配慮を示し、米国の占領政策に部分的にしろ抵抗姿勢を示してスンニ派勢力を懐柔し取り込むか、A米国の軍事力を後ろ盾に大弾圧へと進むか、どちらかしかないだろう。@なら、シーア派の反乱で米国にとって思いも寄らぬ誤算が生まれる可能性も有る。Aなら、イラクが内戦の地獄に突き進む可能性がある。実態は未だ十分には見えないが、いずれにしても、ブッシュの危機は深化するであろう。

イラクへの大規模駐留で史上空前の財政危機は深化の一途

 14日、ブッシュは、米軍のイラク駐留経費などを中心とした819億ドル(約8兆6000億円)の追加支出を議会に要請した。イラクやアフガニスタンの駐留経費や装備の増強に749億ドル、イラク戦争に協力してきたポーランドなど「有志連合国」への支援に4億ドルなどが内訳だ。結果として、05会計年度(04年10月〜05年9月)の財政赤字は過去最大空前の4270億ドルに達する見込みである。イラクへの大規模駐留の持続が、米国経済を足元から突き崩そうとしている。

 大量に展開し疲弊する駐留米軍の負担低減、兵力削減の道筋は見えないまま
米軍は、とどまることを知らない反米武装闘争と対峙し続けることで疲弊しきっている。米軍の恒久的なイラク駐留を狙ってはいるものの、陸軍兵士のローテーションもままならないくらいにイラクに張付き続けることは、米の軍事力・経済力をもってしても出来ることではない。

 しかし、15万人に膨らんだ駐留米軍の削減について、選挙後もラムズフェルド米国防長官は、イラク駐留米軍の削減や撤退などについて日程を示さないとして、負担軽減の道筋が立っていないことを告白している。「選挙」後も反米・反占領の武装抵抗は止んでいないのである。米軍や「イラク警察」等への攻撃が連日のように発生している。「選挙」によってなにも解決していないのである。

(参照) 「イラクにおける米軍の苦境」(ピース・ニュース 2005年1月17日)http://www.jca.apc.org/~p-news/IRQ/usarmykukyo.htm


欧州の負担を狙った「関係修復」は演出のみで中身無し

 第2期ブッシュ政権は欧州との関係修復と欧州の支援を必須の命題としている。投票が終わると2月の初頭からライス国務長官が欧州を歴訪し、ブッシュ自身も21日から欧州を歴訪した。米国とEUで「イラク支援会合」を共催することをうたいあげ、シラク仏大統領を夕食会に招き「和解」を演出して見せた。独では、イラクについて「民主化という共通の目標がある」(シュレーダー首相)として関係修復をアピールした。

 しかし、「選挙」を終えてもなお、ブッシュのイラク占領への実質的な支援は獲得出来たとは言えない。「イラク支援会合」は、目的こそ「イラクに対する国際支援の促進、協調」という抽象的な確認をしたものの、時期や場所は未定という全く急ごしらえで具体性の無いものである。シラク首相との会談もイラク問題での対立が「米仏関係の基盤に悪影響を及ぼすものではない」と述べたに過ぎず、むしろ対中武器禁輸の解除問題という新しい対立が前に出てきている。独シュレーダー首相も、既にアラブ首長国連邦で進めているイラク警察、治安部隊の訓練について「継続、拡大したい」と述べたが、相変わらず、イラク国内での訓練実施やドイツ軍の派兵は否定している。

(参照) 「イラン核兵器「保有阻止」で一致 米独首脳会談」(アサヒ・コム 2005年2月23日)http://www.asahi.com/international/update/0223/012.html
      「米仏首脳、「和解」を演出 シリア撤退要求で共同声明」(アサヒ・コム 2005年2月22日)http://www.asahi.com/international/update/0222/001.html

「有志連合」の綻びも止まっていない


 安保理決議によって「多国籍軍」へと看板を変えた「有志連合」の綻びも止まっていない。昨年末にはハンガリー300人が撤退、今年も2月にチェコ100人、3月にオランダ1300人、今年前半中にウクライナ1700人などの撤退準備が進んでいる。当初49カ国でスタートした「有志連合リスト」も今や派兵継続を表明する国は日本を含めて22カ国となり、その綻びの酷さは、ホワイトハウスは密かにホームページから「有志連合リスト」を削除したほどである。

 「イラク国民議会選挙」が終わっても、国際的な支援による米軍の底なし沼からの脱出の糸口は見えないままなのだ。

3.本来の解決には占領軍の撤退以外に有り得ない

 占領軍の即刻撤退を求め、戦争を拒否する3・19,3・20グローバル行動デーに結集しよう!自衛隊の撤退を勝ち取ろう!

 イラクの問題の本来の解決、イラク国民による、イラク国民のための国作り、復興は、侵略者である米軍と全ての外国軍隊が撤退しない限り有り得ない。米国の傀儡政権が退陣し、イラク国民が真に自身の力で自身の決定を出来る環境が整わない限り、真のイラク国民の代表を選ぶ選挙は出来ない。私たち、日本の国民も、自衛隊をイラクに派兵し続けることで、侵略者の立場になってしまっている。私たちはまず、一刻も早く自衛隊をイラクから撤退させるための運動を継続していかなければならない。

 1月26日〜2月1日、「もうひとつの世界は可能だ」を合言葉に世界の社会運動団体が結集し交流する「世界社会フォーラム」がブラジルのポルトアレグレで開催された。135カ国からの参加があり、初日のデモには20万人が参加した。これを日本のマスコミは報道しなかったが、その中の反戦・平和運動の代表者が集まる世界反戦会議で決議が発せられ、「イラクからの軍の即時撤退、もう戦争はごめんだと要求し、3月19日、20日の、戦争に反対するグローバル行動デー」が全世界の反戦平和運動・市民に呼びかけられた。米英のイラク侵攻2年にあたるその日(3月19日)、東京ではイラクからの占領軍の撤退を求めるWORLD PEACE NOWの集会が日比谷野外音楽堂で計画されている。イラクの侵略戦争をやめさせるため、今年こそ自衛隊のイラクからの撤退を勝ち取るために立ち上がろう!
(参照) 「特集・世界社会フォーラム05」(日本ジャーナリスト会議 05年2月3日)http://www.jcj.gr.jp/wsf05.html
      「グローバルアクション WORLD PEACE NOW 3.19」http://www.worldpeacenow.jp/
(05年2月27日)