イラクにおける米軍の苦境

米の侵略と暴力支配そのものが揺らいでいる



 米ブッシュ政権は1月30日に予定されているイラク選挙をしゃにむに強行し、米主導によるイラク支配を継続・強化しようとしています。米はそのために1万2千人の米兵を増派し、イラク駐留の米兵を開戦以来最大級の15万人規模にしています。

 米がやろうとしていることは、ファルージャで典型的に見られたように、米の侵略・支配に反対するものを極めて残虐なやり方で大量殺戮・虐殺して反対の声を押しつぶし、ゴマカシの「選挙」を強行して、米国の狙いにとって都合の良い議会と政府をでっち上げることにほかなりません。

 しかし、巨大マスメディアによる情報操作で宣伝し米ブッシュ政権がゴリ押ししようとしている状況は、それほど楽観的ではありません。なによりもイラク人自身が米の無茶苦茶なやり方に反米意識を強め、ますます多くの人々が武装闘争をも含む反米闘争を強めています。そしてイラクでの反米闘争の強まりはもともとオーバーエクステンョン(過剰展開)といわれる米の兵力不足の問題をますます深刻化させ米軍はイラク侵略・占領支配において窮地に嵌り込んでいます。

 ここでは、そうした米軍の陥りつつある窮地の現実を少し詳しく検討したいと考えます。米と米軍の侵略・占領支配の内情を正しく評価することは、ブッシュ大統領と小泉首相に対してイラク侵略・占領反対、自衛隊撤退を要求する運動にとって、その運動の方向を指し示す一つの力になると考えます。


この論評は各種インターネットサイトの情報や報道を元にピース・ニュースとして議論をしながらまとめました。(2005.1.17)


イラクにおける米軍の苦境

米の侵略と暴力支配そのものが揺らいでいる


1. 2004年後半、米軍の戦死者数は増大

 昨年後半6ヶ月間で米のイラクにおける戦死者数は503名にのぼり、11月には1ヶ月間で141名死亡というイラク暫定政権成立後、最悪の結果となりました。2004年6月の米によるイラク暫定政権(=アメリカの傀儡政権)への形式的な「権力移行」、イラク政権軍、イラク警察を前面に押し立てた「治安維持」の実態は反米抵抗闘争が収まるどころか更に激化し、米の侵略と支配は泥沼化の様相を深めているのです。

 12月には合計75名の米軍兵士が殺されました。そのうち14名はこれまでに前例のない、モスルの米軍基地内での自爆攻撃によるものです。それは一回の攻撃としてはイラクで米が被った最悪のものとなりました。

(参照)
ミドル・イースト・オンライン http://www.middle-east-online.com/english/?id=12308
2004年後半はイラク駐留米軍にとって最悪の死者
2004年の後半6ヶ月に503名の戦死者。11月はこれまでの最高の141名が死亡。
2004年12月31日 ミドル・イースト・オンライン

(抄訳)
2004年後半は公式に米の占領が終了した6月以降で最悪であった。503名が死亡した。米に後押しされた暫定政権によるイラク主権の最初の半年は抵抗闘争が減るどころか、流血の大波であった。最悪なのは11月の141名であった。スンニ派イスラム教徒の牙城であるファルージャの戦いを反映している。12月には合計75名の兵士が殺された、そのうち14名は先週の前例のない、モスルの米軍基地への自爆攻撃であった。それは一回の攻撃としてはイラクで米が被った最悪のものであった。(以下略)



2.ファルージャの残虐な殺戮作戦も米の狙い通りには行かず反米闘争は拡大。米も被害甚大。

 米ブッシュ政権と傀儡イラク暫定政権は、2005年1月末の選挙をとにかく強引にイラク民衆に押し付けることを当面の最大の目標としています。このため、米主導の選挙に反対するスンニ派住民が多く居住するイラク北部の地域で居住区包囲と爆撃、大量虐殺、兵糧攻めなど残虐極まりないやり方で、反対する勢力を圧殺しようとしているのです。
11月に始まったファルージャ攻撃は典型例です。米軍と傀儡軍はファルージャを包囲し報道管制のためマスメディアもシャットアウトした状態総攻撃を行いました。一般民衆に被害がでている情報の発信源となるファルージャの病院を最初に患者・医療関係者もろとも爆撃するという極めて卑劣なことをしたのです。一般住民がしないに残っているのを承知で爆撃を行い、動くものは人間はおろか犬でさえ撃ち殺すという残虐な殺戮作戦を展開しました。ファルージャ市街には一般市民、子供、女性、老人を含む死体がころがり、その死体の処理ができず、飢えた犬がその死体を喰うというような極めて悲惨な状況が現出されたのです。

(参照)
ファルージャの惨劇については、海外の資料を翻訳したものを中心にいくつかのサイトで紹介されています。
イラク情勢ニュース http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/Fallujah2004.html
イラク戦争被害の記録 http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/iraq_body_count.htm#dialy

 しかし、米が徹底して報道管制を行い、圧倒的な兵力格差の上で行ったこの殺戮作戦はその狙いどおりには成功していません。開戦後1ヶ月以上もファルージャ市街では抵抗勢力による戦闘が続きました。こうしたゲリラ的な戦闘で米軍やイラク政権軍も大きな被害を被っています。11月の米軍戦死者が過去最悪になったのはこのためです。

 米軍のファルージャ攻撃後すぐに、抵抗勢力による抵抗闘争はモスルその他のイラク北部の都市に拡大しました。2004年末にはティクリートその他のイラク中部の都市へも抵抗闘争が拡大しています。

(参照)
イラク・レジスタンス・レポートhttp://www.geocities.jp/urknews/resistance_report_20041215.html
レジスタンス側の発表であり戦死者数等の詳細については慎重な取り扱いが必要です。
アサヒ・コム 
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200412280371.html

3.米軍司令官も苦戦を認める発言

 モスルでの米軍基地内部での自爆攻撃による被害は一回の攻撃としては、イラクへの米の侵略・占領を通じてこれまでで最悪のものとなりました。そしてその被害の大きさだけでなく、米軍基地内部で攻撃が行われたことは、米軍にとって極めて深刻な打撃を与えています。

 こうした状況のもとで米軍内部からも苦戦を認める声が出始めています。抵抗勢力がモスルを支配下に置き、意のままに行動しているということを米軍司令官が認めた発言をしたとの報道や、米軍イラク最高司令官のアビサイド将軍が12月27日、モスルへの増派が必要なのは明白だと記者会見で認めたという報道があります。

(参照) 
ガーディアン http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,1379426,00.html
武装抵抗勢力はモスルで意のままに行動している。米が語る。
食堂テントへの攻撃前に警備上の問題は知られていた
2004年12月24日

(抄訳)
 イラク北部での米高官による諜報調査の結論によれば、米軍とイラク当局の取り組みが失敗したため、22人が死んだ今週の爆弾攻撃で抵抗勢力は「意のままに」行動できたとしている。ガーディアン紙が入手したその報告書は今週のキャンプ・メレッツでの食堂テントへの自爆攻撃前に起草されたものであった。それはモスルのほとんどの警察隊が放棄したか逃亡し、モスルの一部が短期間ではあっても抵抗勢力に渡った先月の蜂起の後に書かれた。その報告書では米の基地への脅威について明確に記述してはいない。しかしそれは、イラク軍の募集や作戦上の問題について、一連の情報収集の間違いや不足について書かれている。懸念事項の多くを反映したその調査結果や勧告は最近のガーディアン紙との記者会見で、モスルの米軍指揮官のカーター・ハム将軍とモスルのイラク人高官から表明されていた。火曜日の爆発は米軍への単一の攻撃としては昨年3月の侵略以来、最悪のものであった。そしてそれはイラクでの米軍の適切な防衛に明らかに失敗したことで、ペンタゴン高官とラムズフェルド国防長官を守勢に立たせている。(以下略)

(参照)
YAHOO!ニュース http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&cid=1506&e=4&u=/afp/20041227/ts_alt_afp/iraqusvotemilitary_041227133145
イラク選挙のためモスルに増派が必要なのは「明白」と言明。米司令官。
12月27日

(抄訳)
ワシントン(AFP)−米軍最高司令官アビザイド将軍は1月30日の選挙の期間イラク北部のモスルを警戒するためにより多数の米軍が必要と言明した。「選挙期間中にモスルでは追加の兵力が必要なことは明らかだ」とアビザイドは日曜日放送のCNNのインタビューで語った。米軍は、モスルの米軍基地で22人を殺した食堂ホールを狙った自爆攻撃がどのようにして警備を破ったかを調査している。・・米政府高官が警告するように、選挙に向かってイラク全土で自爆攻撃による暴力が激しくなるだろう。・・CNNによれば軍関係者は選挙の期間中治安を維持するのを助けるために6000人から8000人の新たに送り込まれた米軍が配備されるかもしれないという。(以下略)


4.反米武装勢力の戦闘により米軍の後方支援に影響が出ている。

 イラク侵略と占領に反対するイラクの民衆の武装闘争は、圧倒的な軍事力の格差を持つ米軍との戦闘のために、米軍の水、燃料、食糧、医薬品、武器、弾薬等の物資を運ぶ補給路を攻撃する戦略をとり始めています。補給のトラックや車列に対して道路脇に手製の爆発物を仕掛けて爆発させたり、待ち伏せ攻撃を仕掛けることを行っています。この結果、米軍や米軍に雇われた民間企業による、米軍への補給物資の陸路での輸送が極めて危険な任務となりました。逆に言えば、補給路そのものの安全を確保できない状態で占領を行っているともいえます。この点にも米軍の過剰な展開、米の戦力の不足が現れています。

12月初めにクゥエートでラムズフェルド国防長官が一兵士から装備不足と駐留の長期化について、不満の質問を投げつけられ答えに窮したという事件はこのような状況を反映したものに他なりません。

(参照)YAHOO!ニュース  http://uk.news.yahoo.com/041215/325/f8mqi.html
イラクの反乱は「より効果的」に成長している

(抄訳)
ワシントン(ロイター)−イラクでの米の補給線に対する、大胆で画期的な反乱が効果を増加させ始め、爆破攻撃は軍の作戦を遅れさせていると米軍司令官は語った。「彼らは、後方支援業務において効果を与えることができることを益々理解している」と米中央軍の副局長である空軍将校のランス・スミスはレポーターに語った。「彼らはIED(手製爆発物)の使用においてより効果的なやり方になっている」とスミスはペンタゴンでの記者会見で追加した。スミスは語る。米軍は現在14万8千人-今月初めに13万8千人であったところから引き上げられ1月の国民選挙を防衛するために近く15万人に計画されている--しかし道路脇に置かれている爆発物が、米軍がこの国へ侵略後2年近くも。軍事作戦と復興を妨害してきた。それらの攻撃が作戦を遅らせてきたのかという問いかけに対してスミスは「そのとおり」と答えた。彼らは我々に車両のルート変更を強いてきた。彼らは我々に策略をとることを強いてきた-その策略は大体成功してきた--.そして我々は可能ならより小部隊で移動したいのだが、彼らは車列を組んで移動することを我々に強いてきた。「つまり、インパクトがあるということだ」。



 米軍は11月頃から、こうした状況に対して、危険な陸路を避け、空輸で補給を行う方針転換を行っています。しかし空輸による補給で全てが解決するとは考えられません。トラックやトレーラ輸送の陸路に比べ、航空機で輸送する空輸は燃料その他のコストが高くなり一方で輸送効率が悪いことは明らかです。イラクに展開する米兵の補給を全て空輸でまかなうことは非現実的です。米軍自身が最大の補給基地であるクゥエートから北上する陸上補給路が主要補給路として残ることを認めています。

陸路の安全を確保するためには数百キロにもわたる主要道路を全て警備しなければならず、ただでさえ足りない兵力の上で、更に膨大な兵力が必要となりこれも非現実的なことは明らかです。要は、イラク民衆を敵に回して無理やり強引にイラク支配を続けることなど初めからできはしない、ということになります。米による暴力的な侵略と占領支配の矛盾そのものが集中的に表れていると言っても良いでしょう。

(参照)
ニューヨークタイムズ  http://www.occupationwatch.org/article.php?id=8291
地上輸送の危険性を減らすために空輸を追加
12月15日

(抄訳)
イラクでのアメリカの地上輸送に対する道路わきでの爆発や待ち伏せの脅威に対応して、地上ルートでの軍事貨物の量を減らすために、空軍は急遽イラク国内の基地への装備や補給物資の空輸を拡大していると空軍の司令官は語った。数十機のC−130、C−17輸送機、民間の航空機が一日当たり450トンのスペアパーツ、食料、水、医薬品その他を運んでいる。それらは通常トラックまたはトレーラーで輸送していたものである。以前の月に比べ29%の増大である。先月で400百台分のトラック輸送と1050人の運転手、護衛の兵がイラクの最も危険な道路を通行することをせずに済んだ、と空軍スポークスマンであるマイク・コールドウエルは発表した。米軍の輸送車列は月に100人の死傷者を出していたのである。
・・中略・・ 
荷物を地上で運ぶ代わりに空輸することはより費用がかかる。しかし空軍の決定は、抵抗勢力がアメリカの補給線に致命的な脅威を突きつけ続けるだろうし、荷物の安全な流通と犠牲者を減らすためには特別なステップをとらなければならないという陸・空軍の司令官の判断を反映している。
・・中略・・
ジャンパー将軍と陸軍担当官は陸上輸送車列は輸送の一手段であり続けるということを強調した。なぜならクエートの巨大補給基地から主要に流れる巨大な量の物資はイラクの集結地点へ北上するからである。11月初めまで、米軍は毎日平均して215の車列で3000台の車両を運用している。・・(以下略)


5. 米兵の士気の低下。米軍内部に不満が蓄積している。

 長引くゲリラ的反米闘争に対する米の苦戦は、米軍内部で様々な問題を生み出し、それがまた一層の米軍の弱体化を促進し、更にそれが米の苦戦を招くという悪循環に陥り始めています。このような矛盾は根源的には、まったく正当性のないイラクへの侵略戦争に兵士を動員するために、米市民権や学費補助等さまざまな米社会での特権をエサに(実はそれ自身もウソで塗り固められている)リクルートしてきた「志願」兵と、侵略に対し国と民族の独立・生存を懸けて戦う兵士との根本的な差異に行き着きます。

 2004年12月初めクゥエートでの集会で、ある米兵がラムズフェルド国防長官に装備不足と駐留の長期化についての不満の質問を投げつけ、居合わせた米兵たちが拍手喝さい、ラムズフェルド国防長官が答えに窮したという事件が報道されました。一兵士が国防長官に直接クレームを投げかけるほどにまで米軍内部で兵士の不満が蓄積していると見ることができます。10月には貧弱な装甲の輸送車でイラクへ燃料輸送を命じられた兵士17名が、あまりに危険だと命令を拒否して軍当局に逮捕される事件まで起きているのです。

(参照)
反戦翻訳団 http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/8170607.html


6.米兵の戦線離脱、紀律の乱れ

 米軍の士気の低下を最も端的に表わしているのが戦線離脱です。軍の報道管制により詳細は良く分かりませんが、仏の週刊誌の報道では2003年5月の「大規模戦闘終結宣言」以降で1700名の米軍兵士が米国への一時帰国でそのまま任務に復帰しないなど任務から勝手に離れる事態が起きていると言われています。新聞やテレビなどでこうした戦線離脱兵士のインタビューなどが行われて報道されています。

(参照)
アサヒコム http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200312040307.html

 イラクへ派兵された米軍女性兵士の高比率での妊娠という問題もあります。これには2つの側面で見なければならないでしょう。一つは米軍内部でのレイプなど紀律の乱れであり、また別の側面からは妊娠すれば合法的に帰還できるため、女性兵士が意図的に妊娠するということも報じられています。これも隠れた形での戦線離脱とも言えます。

(参照)
東京新聞 
 http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040627/mng_____tokuho__001.shtml

7.米兵の採用難、再入隊の拒否。予備役兵の応召拒否(召集に応じない)。

 さらに深刻なのは志願制を採る米軍兵士の採用難です。米軍は各基地毎に兵士の採用ノルマが決められているのですが、2004年前半でこのノルマに到達しない状況が起きているのです。特に大きな影響をもたらしているのが、最初の兵役期間を過ぎた兵士の再入隊者の激減です。その中でも、「陸軍の背骨」とも言うべき軍歴4年から10年の中堅下士官の再入隊が地域でばらつきはあるものの、予定の5割から8割程度にしか達していないということが報道されています。ある基地ではノルマの達成が困難なために特別の報奨金を払うことにより数字を確保したことが報じられています。

(参照)
反戦翻訳団 http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/7830707.html



 また、即応予備役兵の召集に対して、約3割の予備役兵がそれに応じず届け出もして来ないという状況もあります。即応予備役とは、通常は職業を持ち市民生活をしながら年間に定められた日数の訓練を行う兵士のことです。緊急時には命令(召集)により出動し配備される制度です。特別な事情があれば召集の免除申請ができますがほとんどの場合は却下されるようです。免除申請もせず出頭もしなければ「無届離隊」として犯罪者リストに載せられることになるのですが、召集にも応じず届出もしない予備役兵が3割もいるということが報じられています。この即応予備役兵のうち8名はこの「無届離隊」を公言しているといいます。

(参照)
反戦翻訳団 http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/7829372.html


8.精神疾患に陥る米軍兵士の増大

 更に今後長期に渡って深刻な問題として前線兵士の精神疾患の問題があります。前線兵士はゲリラ戦のなかで誰が敵で誰が一般イラク民衆か(もともとそのような区分け自身ができる状況ではないことが問題なのですが)区分けできない状況に置かれ、24時間、極度の緊張と恐怖に長期間にわたって晒されています。兵士によっては女性や子供、老人などイラク民衆を殺害したことの自責の念にとらわれ良心の呵責に苦しむ人もいます。こうしたことが精神的なストレスとなり精神疾患に陥る兵士が少なくありません。先に紹介した仏週刊誌では精神疾患の問題で米に帰還された兵士が既に7000人に達したと報じられています。これに対して軍は、精神疾患を抱えた兵士を帰還させるのではなく、戦場に牧師や専門家を派遣して、早期にメンタルストレスを「緩和」させ前線に復帰させるという――苦しむ人間に対して、良心、恐怖など人間的な感情を捨てさせて人殺しの前線に復帰させるという――極度に非人間的な対応を行っています。

こうした状況に対して専門家は、今後更に精神ストレスを抱えた兵士が激増することを予測して警告を発しています。それによれば現在でも陸軍の調査で6人に1人はうつ病、不安症あるいは外傷後のストレス疾患をかかえており、最終的にはそれは3人に1人の割合に達し、米軍全体で10万人に達するという驚くべき数字になっています。

(参照)
ニューヨーク・タイムズ http://www.nytimes.com/2004/12/16/national/16stress.html?ex=1104172736&ei=1&en=ca46c9a99aad4650
おびただしい数の問題を抱えた兵士が生まれると専門家は予測する。
2004年12月16日 

(抄訳)
ワシントン12月5日 - 退役軍人の代表や軍の医者の語るところによれば、困窮する国の退役軍人に対するヘルスケアシステムは、戦争のストレスと虐殺によってもたらされた深刻な精神的衛生上の問題を抱えたイラクから帰国する数万人の兵士が殺到しそうだという問題に直面している。陸軍の調査によれば兵士の6人に一人はうつ病、不安症あるいは外傷後のストレス疾患の症状を記録し、ある専門家によればそれは最終的には3人に一人の割合に達し、詰まるところベトナムの退役軍人と同じになると確信している。ペンタゴンの数字によればこれまでに約百万人の米軍兵士がイラクとアフガニスタンでの戦闘に従軍しているため、専門家は精神衛生上の治療を要する人数は結局10万人をこえるだろうと予測する。「これから35年間、援助が必要になる人々で満載された列車がやってくる」と20年前の陸軍退役軍人であり、現在は権利擁護団体である湾岸戦争国民情報センターの事務局長でありステフェン・ロビンソン氏は言う。ロビンソン氏は9月に戦争の心理学的な代償についての報告をワシントンの調査グループであるアメリカ前進センターのために書いた。「メンタルヘルスの重大な帰結がこの戦争の医学的なストーリーになるだろうという、強い感触をもってる」とステファン・ジョセフ博士は言う。彼は1994年から1997年まで国防次官補として保健部門で働いた経験をもっている。(以下略)

※ニューヨーク・タイムズはこの問題を3回にわたって連載しています。
http://www.nytimes.com/2004/12/16/national/16stress.html?pagewanted=2&ei=1&en=ca46c9a99aad4650&ex=1104172736
http://www.nytimes.com/2004/12/16/national/16stress.html?pagewanted=3&ei=1&en=ca46c9a99aad4650&ex=1104172736

9.帰還米兵による反戦運動。

  イラクからの帰還米兵の中から公然と反戦運動をする人々が現れています。2003年2月から8月までイラクに従軍し帰還したマイク・ホフマン青年は2004年7月に「戦争に反対するイラク退役者軍人の会」設立を宣言しました。7月に8人で始めた運動は9月までには40人のグループに成長しています。

 「戦争の理由付けは誤っている。奴等は嘘をついている。大量破壊兵器など何も無かった。アル・カイダなんてあそこには居なかった。そしてはっきりしていることは、武力をもって人々に民主主義を強要することなんて出来なかった、と云うことだ」「イラクに従軍して戦争とはいったい何なのかを目の当たりにしてから、俺は気が付いたんだ。俺たちの仲間を手助けする唯一の方法は、全てのイラク占領軍を撤退させるよう要求することだって」。実際にイラク戦争に参加して、現実を体験したホフマン青年のこうした言葉は極めて重い意味もち、それゆえ反戦世論を高めてゆくでしょう。 

 既によく知られている米軍兵士の家族で構成する「ミリタリーファミリースピークアウト」は2年前に2世帯で始めましたが既に1700世帯となっています。

(参照)
反戦翻訳団 http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/8710602.html


10.米はイラク侵略・占領で矛盾を深め窮地に入っている。ゴマカシ「選挙」押し付け反対、侵略・占領軍の撤退、自衛隊撤退を要求して闘おう。
 
  11月初め米ペンシルバニア大が行った米国内の世論調査でも「イラク戦争はおこなうに値しない」が49%で「値する」の48%を上回る結果が出ています。じわじわと米国内の世論も変化しています。
 12月中旬には、ラムズフェルド国防長官に対して共和党議員から辞任要求が出されるまでの事態になっています。陸軍内部からも、イラク開戦当時の作戦計画にかかわった作戦調査員から、米は占領のプランを明確にしないまま戦争に突入したなどとして、今日の事態を批判する意見が公然と語られ始めています。

(参照) 
ファイナンシャルタイムズ2月27日
ラムズフェルドに共和党から辞任要求

(抄訳)
ラムズフェルドは国防長官の在職中多くの障害に勝利してきたが、今回は手強い相手に直面している。:彼の辞任を要求する共和党の政治家達の声が日に日に強まっていることだ。ラムズフェルドは先週何人かの共和党員からの激怒をかった。なぜペンタゴンは軍用車両の十分な装甲を用意しないのか、というある兵士の懸念に対して、ラムズフェルドはそれを却下したように見えたからだ。クエートのタウンミィーティングで兵士に対して「今ある兵器で戦わなければならない・・こうあるべきだという軍で戦うわけにはいかない」。民主党からの攻撃に対して慣れているラムズフェルド氏は共和党員からの手強い批判に遭遇した。上院の軍事委員会のメンバーであるスーザン・コリンズは彼のリーダーシップについて質問し、ネブラスカ上院議員でペンタゴンの戦争遂行に批判的であるチュック・ヘーゲルは、米兵は「軽薄」な反応(ラムズフェルドの発言のこと:訳者注)以上のものを受けるべきだと批判した。
・・・ 中略 ・・・
議員のうち何人かは傲慢だと評するような不快なスタイルで、ブッシュ氏は議会のメンバーの中で荒っぽいリーダーシップを採ってきた。しかし、これまではほとんどの批判は民主党員からのものであった。例えば、アブ・グレイブ監獄のスキャンダルが明るみに出たとき民主党員はラムズフェルド氏の辞任を求める列を作った。マサチューセッツ上院議員のエドワード・ケネディはサダムフセインの拷問取調室が米国の管理下で再開されたといいながら彼をこき下ろした。しかしながら、彼に対する個人的な非難と引き換えに、ラムズフェルド氏は今では悪名高いアブグレイブの写真の問題がホワイトハウスに行かないようにした。ブッシュ氏はしっかりと彼の後ろに隠れていた。このサポートは今月、再選されたブッシュ氏が彼の二期目にラムズフェルド氏にペンタゴンの担当として残るよう要請したことで再確認された。しかし大統領の支持は、ラムズフェルド氏への保守派の関心についての意見を止めることはできなかった。水曜日に、ウイークリー・スタンダード・ジャーナルのネオコン編集長のウイリアム・クリストールはラムズフェルドの首を要求する冷徹な社説を書いた。「確かにドン・ラムズフェルドはブッシュが二期目に残るよう要請すべき国防長官ではなかった」と彼はワシントンポストに書いた。(後略)


(参照)  
ワシントンポスト http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A24891-2004Dec24?language=printer
陸軍歴史研究者が戦後プランの欠如に言及
少佐はイラクでの努力を「二流」と評価

(抄訳)
米軍は占領と安定化のための公式のプランを持たずにイラクに侵略した。そしてこの高いレベルの失敗が、すでに「さえない」ものになってしまったイラクでの米軍の努力の価値を低め続けている。陸軍歴史家であり戦略家である彼はこう結論付けた。戦闘が終了してからの占領のための「第Wフェーズプランがなかった」とイサイア・ウイルソン・V将軍は評論している。彼は戦闘の公式の歴史家として、その後イラク戦争のプランナーとして勤務した。米の勝利のあと起こる状況について多くの政府高官が検討を行ったが、誰も主な戦闘作戦が終了してからの勝利を確実なものにする青写真を実際に描いたものはいない、とウイルソンは評している。サダムフセイン体制が敗北して以降の混沌を見て、ある軍の当局者のレポートは「それ以来、米国と米軍、そして有志連合はずっと事態に追いつくことに振り回されてきた」と書いている(マイケル・ロビンソン・チャベス-ワシントンポスト)。
「国家レベルでの、あるいは戦闘地域内での種々の国家機関でさえも多くの『計画』があったかもしれないが、それらは全て体制崩壊後の問題を解決するものではなかった」--すなわち、米軍が同のように移動し、構成されるかというものであった。いくつかの学術会議で配布された非公開のエッセイでウイルソンはこのように書いている。同様の批判は以前にもなされたが、今までそれらは今回のように軍内部から極秘計画に極めて近い地位から権威をもって公然と述べられたものはなかった。問題の期間、つまり2003年4月から6月の間、ウイルソンは米軍のイラク自由作戦調査グループの調査員であった。さらに2003年6月から2004年3月まで彼は北イラクに駐留した第101空挺師団のチーフ作戦司令官であった。(後略)



 イラク侵略戦争と占領で米自身が矛盾を深め窮地に入っています。米と世界の反戦運動の持続した力と連携してイラク侵略・占領反対、ゴマカシのイラク「選挙」押し付け反対、自衛隊のイラクからの撤退を要求して行きましょう。